古代ギリシャでは、人間にとって大切と思われた知識は、もとはすべて詩の中に盛り込まれ、詩人たちによって記憶された。さまざまな学問は、詩から次第に分化して、独立していったものである。
詩作は、学問の原点だった。
【『面白いほどよくわかるギリシャ神話 天地創造からヘラクレスまで、壮大な神話世界のすべて』吉田敦彦(日本文芸社、2005年)】
お前さんは何でもお見通しってわけだ。RT @finalvent: このパターンが多い。“@fuitsuono: 書評:教育の機能 4/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ sessendo.blogspot.com/2011/06/4j.html
— 小野不一 (@fuitsuono) June 30, 2011
先だっては失礼。所詮、解釈の問題ともいえます。私の場合、Kによって仏教理解が深まり、仏教によってKに辿り着いた。彼は啓典宗教を否定していると思います。 RT @finalvent: Kを仏教で解釈しないだけ。
— 小野不一 (@fuitsuono) June 30, 2011
御意。理法があるのみです。Kを通して大乗仏教から政治性の牙を抜くことが、自分のライフワーク。RT @finalvent: 誤解されるかもだけど、「仏教」という宗教はないのでは。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 1, 2011
参りました(三つ指)。大物ブロガーを挑発したつもりが、三手詰めで敗れてしまった。 RT @finalvent: よくわかるけど、問われるのは自分というものだけだと思う。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 1, 2011
しかし、finalvent氏には驚かされた。本当に頭のいい人って、全然怒らないんだね。たまげたよ。短気な私が勝てる相手じゃないね(笑)。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 1, 2011
すでにヤルタ会談(45年2月)で、ルーズベルト米大統領がスターリンに対して、対日参戦の代償として、「莫大な戦利品の取得」「南樺太・千島列島の割譲」「大連を自由港とし、ソ連の優先権を認める」などの密約をしていたし、「戦利品」の一つとして、日本人捕虜のシベリヤ強制労働の道は開かれていたが、日本政府にそうしたスターリンの横暴を許す姿勢がなかったとは言えない。
45年5月には、同盟国だったナチス・ドイツが無条件降伏して、ますます窮地に追い込まれた日本政府は、不可侵条約を結んでいたソ連を仲介にして和平交渉を進めようと、7月20日、近衛文麿元首相を特使としてソ連に派遣する計画を立て、「和平交渉の要綱」なるものをつくったが、それには次のような条件が含まれていたという。
一、国体護持は絶対にして、一歩も譲らざること。
二、戦争責任者たる臣下の処分はこれを認む。
三、海外にある軍隊は現地において復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、やむを得ざれば、当分その若干を残留せしむることに同意す。
四、賠償として、一部の労力を提供することに同意す。
事態が急速に悪化して、この近衛特使派遣は実現しなかったが、日本政府みずから、「国体護持」(天皇制護持)を絶対的条件とする代りに、“臣下”の戦犯処分、シベリヤ抑留・労働酷使に道を開くような提案を用意していたのだ。
【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】