2011-09-17

フランシスコ・ヴァレラ、エレノア・ロッシュ、エヴァン・トンプソン


 1冊挫折。

身体化された心 仏教思想からのエナクティブ・アプローチ』フランシスコ・ヴァレラ、エレノア・ロッシュ、エヴァン・トンプソン:田中靖夫訳(工作舎、2001年)/チンプンカンプンで、お手上げ。言葉遣いから文体に至るまで肌に合わず。オートポイエーシスの手引き書と考えていただけに他を探す必要あり。

宇宙図の悟り

宇宙図

宇宙図

 前にも書いたが、上記ページのアニメーションを見て私は悟りが閃(ひらめい)いた。直ちに科学技術広報財団に申し込んだのが画像の宇宙図である。

科学技術広報財団(サイズは2種類)

 見るたびに脳が活性化される。137億年を俯瞰するのだからそれも当然だ。最初の悟りを再掲しておく。

時間と空間に関する覚え書き

◆では、宇宙図を見て閃いた悟りを開陳しよう(笑)。視覚が捉えている世界は「光の反射」である。光には速度がある(秒速30万km)。つまり我々に見えているのは「過去の世界」であって「現在という瞬間」を見ることはできない。

◆更に人間の知覚は0.5秒遅れる。つまり「光の速度+0.5秒」前の世界を我々は認識しているわけだ。

人間が認識しているのは0.5秒前の世界/『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

◆例えば北極星。地球上から見える北極星の光は431光年を経たものである。仮に北極星でサッカーの試合をしたとしよう。コイントスが終わっていよいよゲームが始まる。この場合、431年前のゲームを我々が見ていることになる。

諸行無常とは存在の本質を示した言葉であろう。「とどまることを知らない変化」こそが存在の存在たる所以であり、それが生命現象である。しかしながら我々の視覚に映じているのは過去の世界であるがゆえに、「存在の影(あるいは迹〈かげ〉)」しか認識できない。

◆「神」という視点は光に支えられた座標なのだろう。それは「見える世界」に限定される。そうでありながら光の源である太陽を人間は直視することができない。「見えるもの」には名が付与される。言葉は名詞から発生したと考えられている。神は光であるがゆえに「初めに言葉ありき」という構図ができる。

◆相対性理論は空間と時間が絶対ではないことを明かした。例えば光のスピードで走る車をあなたが道路で眺めたとしよう。車内の人達は全く動いておらず、彼らの周囲にある物は全て縮んで見える。車の中では普通に時間が進行しているにもかかわらずだ。

◆車を運転していたのは浦島太郎だった。首都「光速」道路で竜宮城へ行き、3年後に自宅へ帰ったところ、何と300年が経過していた。これを「ウラシマ効果」という。

◆実は我々の生活にもウラシマ効果は存在する。

相対性理論によれば飛行機に乗ると若返る/『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン

◆神が光であると仮定すれば、神的世界は光の届く範囲に限定される。そして光は必ず影をつくり出す。なぜなら物体が光をさえぎるからだ。こうして光は「表と裏」という世界を形成する。地球が太陽に照らされる時、光と同じ速度で地球の影は宇宙に伸びる。その先にも闇は広がっている。

◆宇宙全体に光が及ぶことはない。なぜなら宇宙は光速度を上回るスピードで膨張しているからだ。

宇宙にはてはあるのですか?

◆光に支配されたキリスト教的時間観は直線的とならざるを得ない。生→死→復活→永遠、というのがそれだ。これでは系(システム)として閉じていないので必ず矛盾が生じる。

キリスト教と仏教の「永遠」は異なる/『死生観を問いなおす』広井良典

◆仏教は現在性を追求している。仏典においては「将来」ではなく「未来」という言葉が使われる。「将(まさ)に来たらん」とする時間ではなく、「未(いま)だ来たらざる」時間として捉える。厳密にいえば仏教は未来を認めていないのだ。

◆ブッダが説いた原始の教えはプラグマティズムと受け止められがちだが、むしろ現在性を重んじた智慧であったと考えるべきだろう。カースト制度を支える輪廻という物語を解体するには、前世・来世を一掃する必要があった。悟りとは修行の果てに得られるものではなく、ありのままの現在性を捉えることだ。

◆光の速度を超えると虚数の世界が現れる。2乗してマイナスとなるのが虚数だ。量子力学や電磁気学では実際に使われている。膨張する宇宙の果てが虚数の世界であれば、そこはネガとポジが反転する世界だ。生老病死も反転し、光速度を超えた時点で過去へと向かい、久遠元初に辿り着くかもしれない。

◆実際は光速度に近づくほど質量は無限に重量を増す。これがE=mc²。質量が無限大の世界といえばブラックホールだ。地球を2cmに圧縮すればブラックホールが出来上がる(※実際は質量不足で不可能)。そしてブラックホールを取り巻く空間は激しく歪む

◆物理世界における光速度を超えるのは、無意識の直観であり、これこそが悟りなのだろう。

敢えて“科学ミステリ”と言ってしまおう/『数学的にありえない』アダム・ファウアー
月並会第1回 「時間」その一
ブラックホールの画像と動画

2011-09-16

法華経と同じ物語構造/『介子推』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光

 ・法華経と同じ物語構造

・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 重耳〈ちょうじ〉こと文公は春秋時代の覇者となり、従者の介子推〈かいしすい〉は後漢の時代に神となった。

 読むのは二度目である。棒術の威丈夫といった淡い記憶しか残っていなかった。『重耳』を読んで初めて介子推を理解した。やはり書物には順序というものがある。まず『重耳』を開いてから後に本書を求めるのが正しい。

占いこそ物語の原型/『重耳』宮城谷昌光

『介子推』は『重耳』の余滴(よてき)である。著者は「つらい、とつぶやいて何度か泣いた。そういう体験をもつのは、この小説がはじめてであり、もうないかもしれない」とあとがきに記している。史実は少ない。だが宮城谷は書かずにはいられなかった。棒術の達人というのも創作である。

 つまり介子推という人物は、数千年を経てもなお想像力を掻き立ててやまない存在感があることになろう。人はそれを「魂」と呼ぶ。

 物語は前半と後半に分かれる。前半ではファンタジー的手法を駆使して教育が描かれている。

 だが、石遠〈せきえん〉はちがう。
 屋根をみあげて、草が腐ってきたかな、などという。甕(かめ)の破片を手にとり、土のこねかたが浅かったのだろう、などという。そういう感想のひとつひとつは、たとえば、
 ――形のあるものは、かならずこわれる。
 というような、あきらめにも似た認識からは遠く、ものごとをかならず人の営為のなかでとらえ、人の工夫や努力の足りなさを訴えているようにきこえた。
 おなじことばではないが、そのようなことを介推〈かいすい〉は母にいったことがある。すると母は、
「ああ、石〈せき〉さんは、人の限りということがわかっている人ですね」
 と、即座にいった。
 このこたえのほうが、介推にはむずかしかった。

【『介子推』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)以下同】

 見事な導入部である。技術が棒術へと結びつき、生の術=生きる流儀をも示す。この一文が本書全体のストーリーを見事に象徴している。

 村に住む男性が虎に食われる事件が起こる。介推は人知れず虎を討つことを決意する。水を汲(く)みに山へ何度か足を運んでいると仙人のような老人が現れた。老人は「霊木(れいぼく)を探し、その枝を削り、虎を撃て」と命じた。

 棒を手にした介推は、これまで感じたことのない不安をおぼえた。
 虎と戦うことが怖いということではない。
 棒がかるいのである。
 その棒をつかむと、自分まで地から浮きあがりそうに感じる。棒から手をはなすと、自身の体重にもどる。その奇妙さが介推に大いに不安をあたえた。

 介推はまだ子供であった。体重の変動は自我の脆(もろ)さを表現したものだ。棒を扱うだけの技量が彼にはまだなかった。

 あてはない。
 あの老人があらわれるのを待つだけである。
 介推は一昼夜を山中ですごした。
 ――わたしは耳がよくなったのか。
 と、介推は耳に手をあててみた。物音がくっきりときこえる。耳をふさいでみても、物音が小さくなったという感じはしない。
 ――棒のせいであろうか。
 と、おもい、棒をはなしてみても、その感覚に変化はない。

 目が集中力であるのに対して、耳は注意力である。介推は変わった。そして世界も同時に変わった。

 翌日も、山中をさまよっただけでおわった。
 だが、介推は自身が新鮮に洗われたという感動をおぼえた。
 生きている者は、音を発する。
 風に揺れる木も草も、岩清水でさえも、生きている。山中で起居していると、山の呼吸と同化してゆく。その呼吸は、人だけがよりあつまっている里にはないもので、ゆったりと大きく、また深いものである。
 ――あの虎は、この調和を乱している。
 いろいろなものがよりあつまって山はできている。山は和音そのものだといってよい。虎はその和音を破壊しているにちがいない。

 学ぶ意味が巧みに描かれている。本質を見抜く力こそ学問の証であろう。介推は老人と自然から生の本質を学んだ。そして遂に虎を退治する。彼はその偉業を黙して語ることがなかった。

 荒唐無稽と思えばそれまでなのだが、実は法華経の構成と似ている。法華経は霊山会(りょうぜんえ)と虚空会(こくうえ)という二つの場所で説かれる。前者を歴史的次元、後者を本源的次元と捉えることが可能だ。虚空会を文字通り空中と考えれば、単なるSFになってしまう。しかしブッダの悟性の内部世界を描いたものと弁えれば、さほど違和感は覚えない。

 つまり介推のエピソードは事実であるか否かではなく、成長の変化を物語化したものと受け止めるべきなのだ。

 そして介推は重耳の従者となる。19年に及ぶ放浪につき従い、幾度となく重耳の危難を防いだ。遂に刺客である閻楚〈えんそ〉と対決する。

 舎(いえ)にむかう介推のからだのなかに、異常な高鳴りがある。
 閻楚〈えんそ〉の剣を棒でうけたとき、
 ――重公子〈ちょうこうし〉とは、それほどの人か。
 と、実感した。それほどの人というのは、このようなすさまじい剣で狙われる人、ということで、重耳〈ちょうじ〉が存在する尊さというものを、かえってその剣がおしえてくれた。
 ――重公子を守りぬいてやる。
 介推のからだ全体がそう叫んでいた。

 これぞ物語の妙というもの。互いの命を奪い合う格闘の中から見事なコミュニケーション領域を描いている。人と人とが出会うとはこういうことなのだろう。

 介推は無名のままであった。ある時、太子昭〈たいししょう〉という人物を暗殺者の手から救った。この時も介推は尋ねられても決して名乗らなかった。介推の賢明さを見抜いた太子昭は心で呟いた。「これほどの男を賤臣にしたままの主人とは、よほど暗愚な者であろう」と。

 物語はクライマックスを迎える。咎犯〈きゅうはん〉の舌禍ともいうべき事件が起こる。

 このやりとりを、たまたま介推は近くでみていた。
 ――公子はまだ君主になっていないのに、咎犯〈きゅうはん〉はもう賞をねだっている。
 そうみえた。

 重耳は功を遂げようとしていた。咎犯〈きゅうはん〉は一計を案じて古くからの従者を重んじるよう画策した。介推の瞳にはこれが邪(よこしま)なものとして映った。介推に言わせれば、重耳の成功は天命であって配下が誇る性質のものではない。自らの功績を誇示し、報酬を無理強いする咎犯〈きゅうはん〉を介推は許せなかった。

 下(しも)はその罪を義とし、上(かみ)はその姦(かん)を賞し、上下(しょうか)あい蒙(あざむ)く。

 介推がそういったとき、母は、
 ――ああ、この子はまだ閻楚〈えんそ〉と戦っているのだ。
 と、察した。下は臣下のことである。臣下は自分の罪を義にすりかえた。しかも上、すなわち君主はその姦邪(かんじゃ)を賞した。それでは臣下と君主とがあざむきあっていることになる。
「そういう人々がいるところに、わたしはいたくないのです」
 口調は激しくないのだが、強いことばである。

 介推はあまりにも清らかだった。主従の関係に政治を差し挟むことを嫌悪した。

 組織というものは大きくなるにつれて官僚を必要とする。清流は海へと向かう中で必ず大河となって濁る。介子推はその濁りを鋭く察知し忌避したのだろう。どんな世界でも現場を支えているのはこういった人々だ。

 この件(くだり)を読んで、ボクサーの大橋秀行を思い出した。

リング上での崇高な出会い/『彼らの誇りと勇気について 感情的ボクシング論』佐瀬稔

 一つだけケチをつけると、閻楚〈えんそ〉が重耳に介推の功績を語るシーンが曖昧で、『重耳』を読んでいないとストレスを覚えてしまう。著者の気持ちが昂っていたためと善意に解釈することは可能だが、拍子抜けの感は拭えない。


重耳・介子推

弱肉強食


 競争原理の本質は弱肉強食である。ほら、あなたと私も写っているよ。隙(すき)あらば弱いものを押しのけるのが我々の流儀だ。

wolf

フランス領ルイジアナを買収


 ところが、事態はまったく思いがけない方向に進んでしまった。ナポレオンはタレーラン外相を通じて、もっと大きな買い物を提案した。つまりフランスがスペインから返還してもらったばかりの、フランス人がルイジアナとよんでいたミシシッピ川以西の広大な土地を、アメリカ人に買う意志がないかといってきたのである。これはモンローがパリに着く直前のことで、駐仏大使ロバート・リヴィングストンはこの申し出を聞いて仰天した。そしてナポレオンの気が変らないうちにこの驚くべき提案を受け入れるよう、ジェファソン大統領に手紙を書いた。
 こうして1803年4月、どこまで広がっているのか分からないほどの土地ルイジアナを、1500万ドルという金額、後年計算した結果では1エーカー(約4000平方メートル)あたりわずか3セントという値段で、買いとることになったのである。ヨーロッパ人が北米に植民を開始してからまもない1626年には、オランダ人が今のニューヨークのマンハッタン島を、せいぜい40ドル程度の値段で原住インディアンたちと物々交換し、後に「史上最大のバーゲン」とよばれたが、このルイジアナもまた、これに劣らない大バーゲンだったといえるのではないだろうか。というのは、このためアメリカの領土は一挙に2倍にまで拡大されることになったからである。

【『西部開拓史』猿谷要〈さるや・かなめ〉(岩波新書、1982年)】

西部開拓史 (岩波新書)

ルイジアナ買収