2011-10-06

石を投げ、逮捕されるパレスチナの少年たち


 家族を殺され、住んでいる家を破壊され、パレスチナ人は石を持って戦った。イスラエル軍は容赦なく逮捕し、銃殺し、戦車で轢(ひ)き殺す。下から2枚目の写真をよく見ると、少年は恐怖のあまり失禁している。子供たちの憎悪と怒りを和(やわ)らげる手立ては何ひとつない。

Faris Odeh - Al-Aqsa Intifada.

palestin_stone

boy throw rock at tank

gaza-intifada

April_19_04_A_Palestinian_detained_child_at_an_Israeli_check_point_in_Hebron_Photo_by_Nayef_Hashlamoun

Israeli bullies

IDF coward arrest little Palestinian boys because they can't stand up to Palestinian men

IDF arrests Palestinian children and jails them

12 year old Bassam cuffed & blind folded & arrested by idf

Being a Palestinian on Israeli-occupied Palestinian land

pb11

[21\52] Over 1 million starving in Gaza and israel attacked the aid fleet, 20+ innocent dead and more than 30 injured

イスラエル:軍が投石の未成年者835人を拘束 6年間で

地球外文明(ETC)は存在しない/『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ


『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット
・『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』大栗博司

 ・地球外文明(ETC)は存在しない

『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド

 神と宇宙人と幽霊はたぶん同一人物だ。いずれも自我の延長線上に位置するもので、人類共通の願望が浮かび上がってくる。で、少なからず見たことのある人はいるのだが、連れてきた人は一人もいない。

霊界は「もちろんある」/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 すなわち神と宇宙人と幽霊は情報次元において存在するのだ。ま、ドラえもんと似たようなものと思えばいい。ドラえもんは存在するが、やはり連れてくることは不可能だ。

「地球外文明(エクストラテレストリアル・シヴィリゼーション/略してETC)〈※原文表記は Extra-Terrestrial Civilization か〉」は、厳密にいえば宇宙人というよりも、高度な文明をもつ知的生命体という意味合いだ。

 ロシアの天体物理学者ニコライ・カルダシェフは、そのような分類について、役に立つ考え方を提案した。ETCの技術水準は三つあるのではないかという。カルダシェフ・タイプ1、つまりK1文明は、われわれの文明と同等で、惑星のエネルギー資源を利用することができる文明である。K2文明になると、地球の文明を超え、恒星のエネルギー資源を利用できる。K3文明ともなると、銀河全体のエネルギー資源を利用できる。さて、(スティーヴン・)ジレットによれば、銀河にあるETCの大半はK2かK3ではないかという。地球上の生命についてわかっていることからすると、生命には利用可能な空間を見つけて、そこへ広がっていくという、生得の傾向があるらしい。地球外生命は別だと考える理由はない。きっとETCは、生まれた星系から銀河へ進出しようとしているだろう。ここで大事なのは、技術的に進んだETCなら、数百万年で銀河系を植民地にできるという点である。それならすでに地球にも来ていていいはずだ。銀河は生命であふれかえっているはずだ。ところがETCが存在する証拠は見つかっていない。ジレットはこれをフェルミ・パラドックスと呼んだ。ジレットにとって、このパラドックスはそっけない結論を示していた。この宇宙にいるのは、人類だけということである。

【『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 フェルミのパラドックス』スティーヴン・ウェッブ:松浦俊輔訳(青土社、2004年/新版『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』、2018年)以下同】

カルダシェフの定義
フェルミのパラドックス

 科学者の想像力は凄いもんだ。「あ!」と頭の中に電気が灯(とも)る。「ってなわけで、やっぱりいないのよ」以上、で終わってもよさそうなものだが、スティーヴン・ウェッブはここから50の理由を挙証してゆく。

Black Hole Pumps Iron (NASA, Chandra, 09/14/09)

 まずはエンリコ・フェルミの人となりを紹介しよう。

 その後まもなく、ベータ崩壊(大質量の原子核にある、電子を放出するタイプの放射能)に関するフェルミの理論で、その国際的な名声は定まった。その理論は、電子とともに、幽霊のような正体不明の粒子が放出されることを求めていた。この粒子をフェルミは中性微子(ニュートリノ)――「小さな中性のもの」と呼んだ。このような仮説的なフェルミ粒子の存在を誰もが信じた訳ではないが、結局、フェルミは正しかった。物理学者は1956年、とうとう、ニュートリノを検出したのである。

 何と「ニュートリノ」を命名した人物であった。しかも生まれるずっと前の名付け親ときたもんだ。偉大なるオジイサンとしか言いようがない。

 フェルミの同業者たちは、物理学の問題についてその核心をまっすぐ見通し、それを簡単な言葉で述べるフェルミの恐ろしいほどの能力を讃えていた。みんなフェルミのことを法王と呼んでいた。間違うことがないように見えたからだ。それと同様に印象的だったのが、答えの大きさを推定する方法だった(複雑な計算を暗算することも多かった)。フェルミはこの能力を学生に教え込もうとした。いきなり、一見すると答えようのない問題に答えろと命じることがよくあった。世界中の海岸にある砂粒の数はいくらかとか、カラスは止まらないでどのくらいの距離飛べるかとか、人が呼吸するたびに、ジュリアス・シーザーが最後に吐いた息の中にある原子のうち何個を呼吸していることになるかとかの問題である。このような「フェルミ推定」(今ではそう呼ばれている)を考えるには、学生は世界や日常の経験についての理解に基づいて、おおざっぱな近似をする必要がある。教科書やすでにある知識に基づいてはいられないのだ。

 科学は合理性をもって世界を捉える。ここに科学の魅力がある。例えば人体は60兆個の細胞から成る。そして毎日15兆個(20%)が死ぬ。1秒間で5000万の細胞が生まれ変わる。血管全部をつなぐと10万km(地球2周半に相当)になり、肺を広げるとテニスコート半分ほどとなる(「からだの不思議 素晴らしい人体」を参照した)。

 これは単なる数量の計測ではない。人体を小宇宙と開く偉大な発見なのだ。

 パラドックスという言葉は二つのギリシア語に由来する。「~に反する」という意味の「パラ」と、「見解・判断」を意味する「ドクサ」である。それはある見解や解釈とともに、別の、互いに排除し合う見解があることを述べている。この言葉はいろいろな細かい意味をまとうようになったが、どの使い方にも、中心には矛盾という観念がある。ただ、パラドックスはつじつまが合わないだけのことではない。「雨が降っている。雨は降っていない」と言えば、それは自己矛盾で、パラドックスはそれだけのことではない。パラドックスが生じるのは、一群の自明の前提から始めて、その前提を危うくする結論が導かれるときである。外ではきっと雨が降っているに違いないとする鉄壁の論拠があったとして、それでも窓の外を見ると雨は降っていない。この場合、解決すべきパラドックスがあるということになる。
 弱いパラドックスあるいは「誤謬(ファラシー)」は、少し考えれば解決がつくことが多い。矛盾が生じるのは、たいてい、ただ前提から結論に至る論理のつながりを間違えているだけだからだ。これに対して強いパラドックスでは、矛盾の元はすぐには明らかにならない。解決がつくまで何世紀もかかることもある。強いパラドックスには、われわれが後生大事に抱えている理論や信仰を問い直すという力がある。

 パラドックスというテーマにも強弱があるという指摘が面白い。小疑は小悟に、大疑は大悟に通じるということなのだろう。宗教って、こういうところが曖昧なんだよね。彼らはバイブルや経典に束縛されて合理性を見失うのだ。だから、どの宗教でも間違い探しみたいな研鑚ばかりしているのが現状だ。

Black Holes Have Simple Feeding Habits (NASA, Chandra, 6/18/08)

 では、フェルミ・パラドックスが誕生した瞬間を見てみよう。

 4人は腰をおろして昼食をとり、話はもっと現世的なことに転じた。すると、まだほかのこと話しているさなか、だしぬけにフェルミが聞いた。「みんなどこにいるんだろうね」。昼食をともにしていたテラー、ヨーク、コノピンスキーは、フェルミが地球外からの来訪者のことを言っているのだとすぐに理解した。それがフェルミだったので、みな、それが最初思われていたよりも厄介で根本にかかわる問題であることに気づいた。ヨークの記憶では、フェルミは次々と解散して、地球はとっくに誰かが、何度も来ているはずだという結論を出した。(1950年、ロスアラモスにて)

 ロスアラモスの昼食から生まれたというのが示唆的だ。ロスアラモスは核爆弾の総本山である。

 言い換えれば、われわれと通信しようとする文明が、今現在、100万あってもおかしくないということだ。すると、なぜ、向こうからの声が聞こえてこないのだろう。それに、どうしてこちらへ来ていないのだろう。(中略)みんなどこにいるのか。【彼らはどこにいるのだろう】。これがフェルミ・パラドックスである。
 パラドックスは知的生命が存在しないということではないことに気をつけておこう。パラドックスは、知的生命が存在すると予想されるのに、その兆しが見あたらないということである。

 つまり文明が発達していれば当然放射されるはずの電磁波が観測されていないのだ。もちろん宇宙は広大であるがゆえに、たまたま地球の上を通過していないと考えることはできる。

 このパラドックスが別個に四度発見されたことを知れば、このパラドックスの力がわかるだろう。このパラドックスは、正確にはツィオルコフスキー=フェルミ=ヴューイング=ハート・パラドックスと呼ぶべきかもしれない。

 知のシンクロニシティといってよい。一握りの人が先鞭(せんべん)をつける格好で脳内のネットワークシステムは進化し続ける。

Kepler's Supernova Has Fast-Moving Shell (NASA, Chandra, Hubble, Spitzer,10/06/04)

 しかし今のところ何も見つかっていない。探査機は熱を放出しているだろうが、異常な赤外線も観測されていない。

 高度な技術をもつ知的生命体が存在する可能性は極めて低い。

 しかしわれわれは自信をもって、エイリアンの存在を示す証拠はまだ見つかっていないと言うことはできる。それを観測していないのに、なぜいるかもしれないと想定するのだろう(さらに、探査機が太陽系にいるのなら、どうして地球だけ放っておくのかという問題も残る)

 宇宙人を信じる人々は願望を投影しているのだ。著者は物理学者であるが元々はETC肯定派だったという。科学者の間でさえ意見が分かれている。

 もしかしたら、われわれみながエイリアンなのかもしれないのだ。

 人体だって元を尋ねれば星屑に行き着くわけだから、別にエイリアンであっても構わんがね。特に地球という土地に束縛される必要はないだろう。

 地球外文明(ETC)は存在しない。今のところは。



偽りの記憶/『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』スーザン・A・クランシー
宇宙人に誘拐されたアメリカ人は400万人もいる/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

2011-10-05

米市民デモ:南部にも飛び火する兆し 異例の事態に


 世界金融の中心地・ニューヨークのウォール街付近で始まった米国の市民デモは4日、テキサス州など米南部にも飛び火する兆しを見せ始めた。保守色の強い南部地域で大規模な抗議行動に発展すれば、異例の事態だ。全米各地に広がるデモは3週目に突入し、深まる寒さの中、参加者らは寝袋を持ち込んで「長期戦」に備えている。
 4日付の米紙ニューヨーク・タイムズなどによると、米南部のテキサス州マッカレンやテネシー州メンフィスでも、若者らが抗議行動を開始。今後はさらに、アラバマ州モービルやアーカンソー州リトルロック、米西部のニューメキシコ州サンタフェなどでもデモが計画されているという。
 抗議団体の拠点であるニューヨークのズコッティ公園では4日、寝袋にくるまって寒さをしのぎながら夜を明かす参加者の姿があった。テントを設営して泊まり込む人もおり、「徹底抗戦」の構えだ。

毎日jp 2011-10-05

 テロから暴動への変化か。

スティーブ・ジョブズ

Fortune: The trouble with Steve Jobs

 スティーブ・ジョブズとのトラブルを説明するために作られたモザイク画像のようだ。表示を拡大するとわかるが小さな画像を集めたもので錯視画像の一種だ。せっかくなんで、伝説のスピーチもどうぞ。



スティーブ・ジョブズ I スティーブ・ジョブズ II スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン―人々を惹きつける18の法則 スティーブ・ジョブズ名語録 (PHP文庫)

【付記】この記事をアップした日にスティーブ・ジョブズは逝去した。哀悼。

《速報》米アップル社のジョブズ氏死去

 米アップル社の創業者で、取締役会長スティーブ・ジョブズ氏が5日、亡くなった。56歳だった。CNNなど米主要メディアが報じている。同社のホームページでもジョブズ氏の逝去を報告。ジョブズ氏のモノクロ写真とともに、「アップル社は独創的な天才を亡くしました。世界にとっても輝かしい功績を残した人を亡くしました」と追悼のメッセージを掲載している。ジョブズ氏は米カリフォルニア州出身。iPhoneやiPadなどの人気製品を次々と生み出したカリスマ経営者として知られる。04年にすい臓がんを患い、09年には肝臓移植のため休職。今年1月、病気を理由に再び休職することが発表され、8月には最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。

tv asahi 2011-10-06

 哀悼の意を表して画像を追加。(10月7日)

WBK steve jobs

Remembering Steve Jobs Wallpaper by Matt Fairbrass

Steve Jobs

Steve Jobs iPad - Time Magazine

Steve Jobs 1955-2011

金で人生を台無しにされたりなんかしないぞ
スティーブ・ジョブズは仏教徒だった

私を変えた本


 個人的な覚え書き。人間は人間と出会うことで変わる。触発という言葉は手垢まみれで好きではない。ここはやはり脳内のネットワークが変わるとすべきだろう。本を読むこともまた人との出会いを意味する。

 感動には2種類ある。今までの自分の反応を強化する感動と、それまでにない全く新しい感動である。例えば私は人がバタバタと死ぬ映画を好むが、そのような映画を何本見たところで私が変わることはない。

 面白い本は多い。ためになる本も山ほどある。だが自分の価値観を揺さぶり、思考を木っ端微塵にし、概念を破壊する本は少ない。

 私を変えた本たちを紹介しよう。

『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

文庫 女盗賊プーラン 上 (草思社文庫)文庫 女盗賊プーラン 下 (草思社文庫)

 34歳の時に読んだ。私はどちらかというと積極的――あるいは攻撃的――な平和論者であった。しかし暴力が支配する世界では暴力でしか立ち向かうことができない事実を知った。しかも本書に書かれていることは大昔のことではなかった。プーラン・デヴィは私と同い年だった。世界平和など戯言(たわごと)であることを思い知らされた。

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

ルワンダ大虐殺 〜世界で一番悲しい光景を見た青年の手記〜

 私はキリスト教の運命論を否定して仏教の宿命論を信奉していた。それなりに勉強もしてきたつもりだった。ところがルワンダ大虐殺には全く通用しなかった。わずか100日間で100万人近い人々が殺戮された。もしも殺された原因が過去世にあるとするならば、全ての犯罪は容認されてしまう。レヴェリアン・ルラングァは本書の後半で神との対話を試みて、完膚なきまでに神の欺瞞を暴いている。だがそれで彼が救われるわけではない。私には彼に掛ける言葉がなかった。「生きていてよかったね」ということすらはばかられた。45歳にして迷いは深まり、懊悩(おうのう)する日々が続いた。

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)

 読書にはタイミングがある。『女盗賊プーラン』以外はいずれも45歳で読んだ作品である。石原はシベリア抑留者であった。それは国家から見捨てられた経験であった。クリスチャンとしての信仰スタイルも変わらざるを得なかった。石原は平凡な人物であった。しかし彼の目は鹿野武一〈かの・ぶいち〉をしかと捉えた。本書を読んで国家、組織、集団に対する考え方が一変した。

究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』~「ペシミストの勇気について」

『一九八四年』ジョージ・オーウェル

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 20代で新庄哲夫訳を読んでいたが、これほど面白いとは思わなかった。管理社会と自由をテーマにした作品であるが、より本質的には集団と権力(≒暴力)の実相を描いている。つまり集団そのものが暴力であると考えることも可能だ。メディア社会(≒高度情報化社会)は人間のつながりをコントロールする関係に変えてしまった。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

 クリシュナムルティを知り、私が抱いてきた数々の疑問は完全に氷解した。初期仏典の意味もわかるようになった。クリシュナムルティとの出会いは人生最大の衝撃といってよい。自由とは離れることであった。

自由の問題 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

 不惑(40歳)と知命(50歳)のちょうど真ん中になる45歳で私は変貌した。自分でも驚いているほどだ。なお適当なカテゴリーがないため「併読」にしておく。

どう生きたらいいかを考えさせる本