富は偏在し、贅肉と化す。
・IMF(国際通貨基金)を戯画化するとこうなる
・脳を若く保ちたいなら食事は少なめに、米研究
アーリヤ人のインド侵入以前にインダス河の流域に高度な文明が発達していたことが、インド考古学調査団の発掘調査によって判明した。ハラッパー、モヘンジョダロを二大中心地として、紀元前2300年ころから1800年ころまでの間栄えていたとされる。
その出土品によれば、シュメール文化との関係が深く、アーリヤ文化とはまったく性質が異なっている。この文明の担い手は現在南インドに居住するドラヴィダ人の祖先であったとする説が有力であるが、確実なことはいまだ不明である。
【『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編(大法輪閣、1999年)以下同】
インダス文明は、アーリア人が五河(パンジャブ)地方に侵入する以前に衰えてしまっていたといわれるが、現段階ではよくわかっていない。ともあれ、鉄器をもちいるアーリア人が、銅器をもちいていたムンダ人やドラヴィダ人などのインドの原住民たちを圧倒し、支配したことは事実である。
紀元前1500年ごろ――あるいは紀元前13世紀ごろ――インド・ヨーロッパ語族に属するアーリア人たちは、ヒンドゥークシュ山脈を越えて五河地方を占拠した。これ以後、今日にいたるまで、インド文化の中核となっているのは、このインド・アーリア人である。彼らはギリシア人やゲルマン人と同じ祖先をもつ人種であり、インド人の思弁の中には、ギリシア哲学やドイツ哲学の思索の道筋と似たものが見出される。
【『はじめてのインド哲学』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社現代新書、1992年)】
ヴェーダとは本来「知識」を意味する。特に「宗教的知識」を意味し、神々への賛歌・神話・哲学的思惟・祭式の規定などを収載する聖典の総称となった。
なお、四姓の原語はヴァルナといって「色」を意味し、もともとは白色のアーリヤ人とそうでない非アーリヤ人を区別するために用いられたことばである。
ウパニシャッドにおける重要な思想の一つに、輪廻(りんね)からの解脱(げだつ)がある。
ことに『スッタニパータ』にみられる無我説は極めて数が多い。
なにものかをわがものであると執着して動揺している人々を見よ。彼らのありさまはひからびた水の少ないところにいる魚のようなものである。(777)
ここでは、なにものかを「わがもの」「われの所有である」と考えることを否定している。執着、我執、とらわれの否定、超越として無我が説かれている。
また『律蔵』の中で、釈尊は五比丘(びく)に向かって次のように説いている。
比丘たちよ、この色は我ではない。もし色が自己であるなら、この色が病いにかかることはないであろう。また、色について、わたしの色はかくあれ(健康であれ)、かくなることなかれ(老いないように、死なないように)といえるであろう。しかし、色は我ではないから、病いにかかるし、あれこれと(自由に)することはできない。……この受が我であろうか。……この想が……この行が……この識が我であろうか。
このように、色(しき/肉体)及び四種の精神(受・想・行・識)の働きをあげ、そのどれもが我と呼べるものではないとしている。
無我という語は主に初期仏教や部派仏教で用いられるが、大乗仏教ではこれを「空」の語で表現することが多くなった。
釈尊の教説「四諦十二因縁八正道」をより深めていくと、その根底には空の論理、仮の論理、中の論理と言うものがある。これは龍樹の言う「縁起は即空、即仮、即中」であり、同じく天台大師智ギ(中国)はこれを「空仮中の三諦」と言った。
【三諦説「空・仮・中」:日本タントラヨーガ協会】
縁起とは「縁(よ)りて起こること」である。「縁りて」とは条件によってということであり、あらゆるものは種々さまざまな条件に縁って(縁)、かりにそのようなものとして成り立っている(起)ことである。
この縁起を特に法と名づけ、「縁起を見るものは法を見る。法を見るものは縁起を見る」とも「縁起を見るものは法を見る。法を見るものは仏を見る」とも説かれている。そしてこの縁起の法則は、たとえ仏が世に出ても出てなくても永遠に変わることのない真理であるといわれる。