2012-02-28

井沢元彦、アニー・ディラード、ジョン・ダービーシャー

3冊挫折。

〈決定版〉 世界の〔宗教と戦争〕講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦(徳間書店、2001年/徳間文庫、2011年)/ハードカバーの活字が実に読みにくい。一昔前の講談社文庫より酷い。内容も軽薄だ。

石に話すことを教える』アニー・ディラード:内田美恵〈うちだ・みえ〉訳(めるくまーる、1993年)/類稀なエッセイ。稀有といってもよい。が、挫けた。翻訳の文体が微妙なのと、最大の理由はソローの超越主義的臭みがあるため。ま、ソローを読んでいない私が言うのも何だが。アメリカ自然主義はオルコットの親父の系譜に連なるため注意が必要だ。真摯なスピリチュアリズムはインディアンの焼き直しにしか見えない。

素数に憑かれた人たち リーマン予想への挑戦』ジョン・ダービーシャー:松浦俊輔訳(日経BP社、2004年)/流麗な文章なんだが、数学の説明が私には難しすぎた。もうちょっと知識をつけてから再チャレンジする予定だ。

2012-02-27

武田邦彦「教育は戦前の暗黒時代へ」2012年2月26日




エネルギーと原発のウソをすべて話そう 原発事故 残留汚染の危険性 放射能と生きる (幻冬舎新書) 放射能列島 日本でこれから起きること 誰も気づかない環境被害の真実 (朝日新書)

「でんこちゃん」リストラ

でんこちゃんって、引越し先の電力会社への連絡とかでは細かいこと行ってたけど、いなくなる時にはあいさつなしなんだね。
Feb 27 via TweetDeck Favorite Retweet Reply


◎「でんこちゃん」リストラ 作者・内田春菊氏は知らなかった

島田裕巳の「洗脳は可能なのか?」に対する異論



 とツイートしたところ、島田裕巳〈しまだ・ひろみ〉氏にリツイートされてしまった。多分、エゴサーチに引っ掛かってしまったのだろう。島田氏のフォロワーは3000人以上いるため、きちんと説明しておきたい。

 記事を紹介していたのは宗教学者の熊田一雄氏であった。

「洗脳は可能なのか?」島田裕巳
Yahoo!ニュース
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 では早速私が覚えた違和感をズラズラと開陳しよう。

 オセロの中島知子さんが、霊能者と称する女性に食い物にされており

 そして更に輪をかけて島田氏が食い物にしているのではあるまいか?

 統一教会は世界的な組織だが、霊能者はひとりの個人にすぎない。統一教会には開祖もいれば教義もあり、日本では宗教法人として認証されている。そうした組織による行為と、霊能者個人の行動とを同列に考えることには無理がある。

 この定義が妥当であれば、統一教会のスタート時点から巨大化するまではマインドコントロールではなかったことになる。集団規模が大きくなれば同調圧力は高まるが、それによってコントロール性の有無が決まるわけではない。

 また、「占い」を軽視すべきではない。人間がもつ時間概念や意思決定と深いつながりがあるのだ。

占いこそ物語の原型/『重耳』宮城谷昌光

 果たして洗脳やマインドコントロールという概念をそこまで拡張して用いていいのか。

 自分たち宗教学者で広めておいて、そりゃないでしょうよ。

 洗脳と言うと、暴力的な手段を用いて、強制的に特定の思想やイデオロギーを注入するというイメージがある。たしかに、中国共産党は自由を奪われた人間をその対象としたのだが、必ずしも暴力的に人格を改造しようとしたわけではない。

 洗脳は暴力性を伴う。まず軟禁状態で睡眠時間を削るのが前提だ。「自発的に共産主義の思想を受け入れるかどうか」は結果に過ぎない。

 たとえば、マインドコントロールと教育はどこで違うのか、それを説明することが難しい。

 教育はマインドコントロールそのものである。ここで明らかになるわけだが島田氏はマインドコントロールに世俗的な意味合いしか持たせていない。つまり反社会というカルト性の刷り込みをマインドコントロールの言葉に託している。

 私は操作性のある言葉が実効力を伴った場合は、すべてがマインドコントロールに当てはまると考える。

 例えば宗教に限らず企業には社内文化があり、家庭にもそれぞれの文化がある。営業マンの朝礼を見て違和感を覚えない人はあるまい。軍隊そのものである。また、他人の家を見て「変わっているなあ」と思うのは、我が家が基準になっているゆえであり、そこにマインドコントロール性が窺える。

 すなわち集団(=集団原理)の数だけマインドコントロールが存在すると考えるべきであろう。

 島田氏はオウム真理教事件の余波で一度は社会的に抹殺された。しかし再起を図り、最近では創価学会を取り上げた書籍などが話題になっている。読んでいない私が言うのはおこがましいが、多分島田氏は創価学会のフィールドワークをしていないのではないか? そこに「オウムで懲(こ)りた」という心情を感じる。

 なぜ私が後悔したか? それは該当記事が社会に迎合しているようにしか見えなかったためである。

 教育は国家によるマインドコントロールである。それゆえ教育的成果は就職先で判断され、成績優秀な者は官僚や東電社員となるのだ。幼い頃から散々コントロールされてきた彼らが、省内や社内の同調圧力と戦えるわけがない。

 いつの時代も新しい宗教には反社会性があった。澱(よど)んだ社会の空気を一掃するためには、悪しき伝統を否定する必要があるからだ。

 私が島田氏に申し上げたいことは、社会の奴隷になってしまえば権力者に与(くみ)する論調になってしまうという一点である。その意味でオウム事件に懲りることなく、フィールドワークを基調とした研究を望みたい。


小田嶋隆の底の浅さとオウム真理教
人類の三大疾病

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 無頼というよりはハードボイルド。「しょうがない」という達観と断念の凄み。


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