・縦横無尽の機知、辛辣な諧謔
・資本主義の害毒が明治を覆う
数日前から書こう書こうとしているのだが、どうも筆(※本当はキー)が重い。はっきり言ってしまえば、まったく書く気が起こらない。名文は人を沈黙させる。幾度となく音読し、ただ味わうのが正しい接し方なのかもしれぬ。警語とは警句と同義であるが、どことなく「警世の語」を思わせる
斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉は1868年(慶応3年)1月生まれというから、今回紹介する「万朝報」(よろずちょうほう)に健筆を振るったのはちょうど30歳の時だ。
Wikipediaによれば幸徳秋水〈こうとく・しゅうすい〉や樋口一葉〈ひぐち・いちよう〉らとも親交があったとのこと。
樋口一葉の真価を理解評価し、森鴎外・幸田露伴とともに「三人冗語」で紹介した一人である。1896年(明治29年)1月に手紙をやりとりし始め、緑雨は直截な批評を一葉に寄せるようになる。樋口家を訪問しては一葉と江戸文学や当時の文壇について語り明かし、一葉は「敵にまわしてもおもしろい。味方にするとなおおもしろそうだ」とその印象を日記に書き記している。以来、一葉没するまで2人の交流は続く。
【Wikipedia】
一葉が24歳の若さで死去(1896年)。緑雨はそれから8年後(1904年)に36歳で没した。
緑雨の名を知らない人でも次の川柳は聞いたことがあるだろう。「ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ」。文明開化に踊らされる風潮への軽妙な諷刺か。そのアフォリズムの数々には寸鉄人を刺す趣があり、ピリリと辛味が効いている。明治人の気風と教養が侮り難いのは、やはり漢籍などの暗誦によるものであろうか。社会を射抜く鋭い視線が、100年を経ても色褪せない言葉を生んだ。
今はいかなる時ぞ、いと寒(さぶ)き時なり、正札(しょうふだ)をも直切(ねぎ)るべき時なり、生殖器病云々(うんぬん)の売薬広告を最も多く新聞紙上に見るの時なり。附記す、予が朝報社に入れる時なり。
【日刊新聞「万朝報」明治31年1月9日~32年3月4日(※送り仮名は適宜割愛した)/『緑雨警語』斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉、中野三敏編(冨山房百科文庫、1991年)以下同】
一見すると関係のない事柄が羅列しているが、見事なまでに当時の風俗が窺える。
代議士とは何ぞ、男地獄的壮士役者(おじごくてきそうしやくしゃ)と雖(いへど)も、猶(なほ)能(よ)く選挙を争ひ得るものなり。試みに裏町に入りて、議会筆記の行末をたづねんか、截(き)りて四角なるは安帽子(やすぼうし)の裏なり、貼りて三角なるは南京豆の袋なり、官報の紙質殊(こと)に宜(よろ)し。
官報の紙質を持ち上げることで政治家をこき下ろしている。庶民が大笑いする光景まで目に浮かんでくる。
拍手喝采は人を愚(おろか)にするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、渠(かれ)おのづから倒れん。
拍手という文化も明治以降に輸入されたものだ。演説をする者は拍手に酔い痴れ、人々の声が聞こえなくなってしまう。彼が求めるのは礼賛であって意見ではない。
途(みち)に、未(いまだ)学ばざる一年生のりきみ返れるは、何物をか得んとするの望(のぞみ)あるによるなり、既に学べる三年生のしをれ返れるは、何物をも得るの望(のぞみ)なきによるなり。但し何物とは、多くは奉公口(ほうこうぐち)の事なり。
これまた現代の大学生を思わせる言葉だ。
選(えら)む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり、孰(いづ)れか愚の大なるものぞと問はゞ、答(こたへ)は相互の懐中に存すべし。されど愚の大なるをも、世は棄(す)つるにものにあらず、愚の大なるがありて、初めて道の妙を成すなり。
日本国民は長らく自民党を選び、新たに民主党を選び、そして今度は橋下新党(※別にみんなの党でも構わないが)を選ぼうとしている。「選(えら)む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり」か。
日本は富強なる国なり、商にもよらず、工にもよらず、将(はた)農にもよらず、人皆内職を以(もつ)て立つ。
富国強兵は明治政府の国策であった。読みながら思わず吹き出してしまった。
渠(かれ)はといわず、渠もといふ。今の豪傑と称せられ、才子と称せらるゝ者、いづれも亦(また)の字附(つ)きなり。要するに明治の時代は、「も亦」の時代なり。
これなんぞは新聞による社会の情報化が窺える内容だ。
涙ばかり貴(たふと)きは無しとかや。されど欠(あく)びしたる時にも出づるものなり。
色々な涙があるものだ。背中を向けて唾をつけることも。
問ふて曰く、今の世の秩序とはいかなる者ぞ。答へて曰く、銭勘定に精(くは)しき事なり。
資本主義の本質を一言で抉(えぐ)り出す。算盤勘定が求められるのは現代においても同様だ。
恩は掛くるものにあらず、掛けらるゝものなり。漫(みだ)りに人の恩を知らざるを責むる者は、己も畢竟(ひっきょう)恩を知らざる者なり。
「恩を知らざるを責むる」というのは大乗仏教教団にありがちな態度である。「恩知らず」と他人を罵る者は、恩を売り物にしているのだろう。
若(も)し国家の患(うれひ)をいはゞ、偽善に在らず偽悪に在り。彼(か)の小才(せうさい)を弄し、小智(せうち)を弄す、孰(いづ)れか偽悪ならざるべき。悪党ぶるもの、悪党がるもの、悪党を気取る者、悪党を真似る者、日に倍■(ますます/伏字は「々」ではなく二の字点)多きを加ふ。悪党の腹なくして、悪党の事をなす、危険これより大なるは莫(な)し。
石原某からネトウヨに至るまでが該当しそうだ。
賢愚は智に由(よつ)て分(わか)たれ、善悪は徳に由て別たる。徳あり、愚人(ぐじん)なれども善人なり。智あり、賢人なれども悪人なり。徳は縦に積むべく、智は横に伸ぶべし。一(いつ)は丈(たけ)なり、一は巾(はば)なり、智徳は遂(つひ)に兼ぬ可(べか)らざるか。われ密(ひそか)におもふ、智は凶器なり、悪に長(た)くるものなり、悪に趨(はし)るものなり、悪をなすがために授けられしものなり、荀(いやし)くも智ある者の悪をなさゞる事なしと。
政官財に加えて報(メディア)の面々をしかと凝視せよ。彼ら「智ある者の悪をなさゞる事なし」。
勤勉は限(かぎり)有り、惰弱は限無し。他(た)よりは励すなり、己よりは奮ふなり、何ものか附加するにあらざるよりは、人は勤勉なる能(あた)はず、惰弱は人の本性(ほんせい)なり。
確かに(笑)。
打明けてといふに、已(すで)に飾(かざり)あり、偽(いつはり)あり。人は遂に、打明くる者にあらず、打明け得る者にあらず。打明けざるによりて、わづかに談話(はなし)を続くるなり、世に立つなり。
まるでインサイダー情報のやり取りだ。あるいは未公開株か。
知己(ちき)を後の世に待つといふこと、太(はなはだ)しき誤りなり。誤りならざるまでも、極めて心弱き事なり。人一代に知らるゝを得ず、いづくんぞ百代の後に知らるゝを得ん。
正論や常識を疑うところから諧謔(かいぎゃく)は生まれる。
己を知るは己のみ、他(た)の知らんことを希(ねが)ふにおよばず、他の知らんことを希ふ者は、畢(つひ)に己をだにも知らざる者なり。自ら信ずる所あり、待たざるも顕るべく、自ら信ずる所なし、待つも顕れざるべし。今の人の、ともすれば知己を千載(せんざい)の下(もと)に待つといふは、まことに待つにもあらず、待たるゝにもあらず、有合(ありあ)はす此句(このく)を口に藉(か)りて、わづかにお茶を濁すなり、人前をつくろふなり、到らぬ心の申訳(まをしわけ)をなすなり。
斎藤緑雨は不遇の中で生きたが、決して不幸ではなかったに違いない。そんな一面が垣間見える。
知らるとは、もとより多数をいふにあらず、昔なにがしの名優曰く、われの舞台に出(い)でゝ怠らざるは、徒(いたづ)らに幾百千の人の喝采を得んがためにあらず、日に一人の具眼者の必ず何(いづ)れかの隅(すみ)に有りて、細(こまか)にわが技(ぎ)を察しくるゝならんと信ずるによると。無しとは見えてあるも識者なり、有りとは見えてなきも識者なり。若(も)し俟(ま)つ可(べ)くば、此(かく)の如くにして俟つ可し。
メッセージは一人に向けて発すればよい。人気よりもコミュニケーションの成立が重要だ。
恐る可(べ)きもの二つあり、理髪師と写真師なり。人の頭を左右し得(う)るなり。
クスリ(笑)。
さる家の広告に曰く、指環(ゆびわ)は人の正札(しゃうふだ)なりと。げに正札なり、男の正札なり。指環も、時計も、香水も、将又(はたまた)コスメチツクも。
銀座のホステスは腕時計と靴で男を判断するらしいよ。見てくれの時代が内実を失わせる。
理ありて保たるゝ世なり。物に事に、公平ならんを望むは誤(あやまり)なり、惑(まどひ)なり、慾(よく)深き註文(ちゅうもん)なり、無いものねだりなり。公平ならねばこそ稍(やゝ)めでたけれ、公平を期すといふが如き烏滸(おこ)のしれ者(※大馬鹿者)を、世は一日(じつ)も生存せしめず。
公平・公正は概念に過ぎない。これ社会主義の一大欺瞞なり。
それが何(ど)うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。政治といわず文学といわず。
黒船が幕府を始めとする日本の権威を崩壊させた。でもって明治期になると天皇の権威を築くわけだ。「それが何(ど)うした」の一言に価値観の激変を見る。
斎藤緑雨は時代と社会に向かって唾を吐き続けた。その気概と気骨に痺れる。
尚、「数多いアフォリズムを一冊に集めたのはさぞかし労の多かったことと思うが、編者が緑雨の向うを張って、全編に自作のアフォリズムを添えたのは邪魔ものであった」(「斎藤緑雨からはじまる」書迷博客)との意見に同感だ。
・斎藤緑雨
・居酒屋「鍵屋」と斎藤緑雨
・斎藤緑雨『油地獄』
・語もし人を驚かさずんば死すとも休せず/『日本警語史』伊藤銀月