2012-10-23

イーヴァル・エクランド、森巣博、宮城谷昌光


 1冊挫折、2冊読了。

偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド:南條郁子訳(創元社、2006年)/横書きであった。興味のあるテーマだけに残念。文章に独特の淡さがあり、これに馴染めず。

 58冊目『賭けるゆえに我あり』森巣博〈もりす・ひろし〉(徳間書店、2009年)/若干、言い回しの重複が見受けられるが、この人の箴言力(=コピーライティングの力)は侮れない。ギャンブラー特有の乾いた剽軽(ひょうきん)さを表に出しながらも、確かな見識がある。唯一の瑕疵(かし)は年甲斐もなく下ネタ自慢を披瀝しているところ。下劣の自覚よりも自慢に酔う性根が透けて見える。

 59冊目『奇貨居くべし 春風篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年)/秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋〈りょ・ふい〉の生涯を描いた作品。全5冊。春風篇は不韋の少年時代を劇的に描く。名文、美文のオンパレード。「黄金の気」のエピソードが『介子推』を思わせ、黄歇〈こうけつ〉への苦言に『晏子』(あんし)を見る。やはり著作は順番で読むのが正しい。胸が張り裂けるほどの感動を覚える。

2012-10-22


 青黒い闇の中に焔(ほのお)が走り、火の粉が舞う。柔らかな火の粉の軌跡に目を奪われる。肉眼で捉えれば一瞬の出来事である。宇宙的スケールの時間から見れば、人の一生は火の粉みたいなものだろう。そうであれば、やはり生を燃え上がらせることが自然の摂理にかなっている。いつか、ではない。今燃えているかどうかだ。夢に向かって生きるのもおかしい。直ちに目を覚まして今を生きるのだ。くすぶっている人生は煙に包まれている。

Day 263/365 "Fire!" (Explore 20th oct #282)

ティク・ナット・ハン 2003年 リトリート

ワクチンとフッ素による大衆管理

まちがいだらけの小沢判決報道