ゴリゴリの文体が嫌な臭いを放っていた。イデオロギーや教条(ドグマ)から見つめて人間を裁断するような印象を受けた。内村剛介もまたシベリア抑留者であった。そんな彼が同じ苦しみを生き抜いた石原吉郎を徹底的に批判している。
感性の磨耗ということに石原ほどに抵抗した者も少なかろう。
【『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介〈うちむら・ごうすけ〉(思潮社、1979年)以下同】
それは石原が詩人であったためではない。死んでしまった鹿野武一〈かの・ぶいち〉と共に生き、彼に恥じない生き様を貫こうとしたゆえであった。私にはそう思えてならない。
・究極のペシミスト・鹿野武一/『石原吉郎詩文集』~「ペシミストの勇気について」
希望が一切持てないにもかかわらず、なお他の精神をいたずらにそこなうようなことだけはさしひかえようとして沈黙する者がある。雄々しくみずから耐えることを強いるのである。彼は沈黙し耐えることによって絶望を拒否する。この沈黙は屈従ではない。迎合という名の屈従を拒むものが彼のうちにあって、それを支えとして沈黙し、絶望と格闘するのである。希望がないというだけではまだ絶望ではない。耐える力を、みずからのうちのこの支柱を失ったときはじめて絶望が訪れる。それまでは、その瞬間までは、私たちは耐えなければならない。むろん他に対してでなく自分自身に対して耐えるのである。
私は猛烈な違和感を覚えた。石原の沈黙は能動的なものではあるまい。かといって強いられたものでもない。彼はただ「沈黙せざるを得なかった」のだ。なぜなら語るべき言葉を失ってしまったからだ。
・ことばを回復して行く過程のなかに失語の体験がある
・詩は、「書くまい」とする衝動なのだ/『石原吉郎詩文集』石原吉郎
一方、鹿野武一〈かの・ぶいち〉は「絶望と格闘」したわけではない。鹿野は絶望を生きた。ロシア人の優しさに接した時、彼は自ら絶望に寄り添い、生きることを拒んだ。それ以降、誰に言うこともなく食を絶(た)ち、苛酷な強制労働に従事した。
・ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン
感覚という門がある。快楽に固執=記憶の強化=自我への執着という公式が成り立つ。本能が司っていた快不快が、現代では情報に支配されている。社会化=ネットワーク化に潜む罠。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 8, 2011
私の中を感覚の川が走っている。刺激を感受し、快不快を想い、意志を行使し、認識・識別する。これを五蘊(ごうん)という。五蘊が仮に和合した状態が「私」なのだ。川を運ぶことはできない。なぜなら川に実体はないからだ。ただ川という現象があるだけだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) July 20, 2011
快不快への執着が自我の正体。
— 小野不一 (@fuitsuono) August 3, 2011
我々が通常考える幸不幸とは快不快でしかない。乙女の温かな人間性が多くの抑留者に希望を与えたことは疑う余地がない。しかし快は不快の裏返しでしかなかった。たちどころにそれを悟った鹿野は【希望を拒んだ】のだ。彼は人間の実存が特定の情況に左右されることを許さなかった。この瞬間において「世界から拒まれた者」は「世界を拒む者」へと変貌を遂げたのだろう。
鹿野武一〈かの・ぶいち〉の沈黙は深海を想起させる。それに対して内村剛介は押し寄せる波のようにうるさい。
人間を深く見つめる眼差しがなければ、我々は繰り返される革命や改革の歯車となってゆく。
・香月泰男が見たもの/『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆