当然だ。被害者よりも多くの情報が与えられるのだから→「報道の視聴は、そこに居合わせたことよりも、急性ストレス反応のより強固な予測因子となった」/事件報道の視聴、実際の経験より強い心理的影響か 米研究:AFPBB News http://t.co/LDk7qiHI4b
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 11
2013-12-11
事件報道の視聴、実際の経験より強い心理的影響か 米研究
オバマ米大統領、キューバのカストロ議長と握手
死して尚人と人とを結ぶマンデラの人格。/▶ オバマ米大統領、キューバのカストロ議長と握手 - YouTube http://t.co/3EWkiluchY
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 11
2013-12-10
開高健、谷沢永一、向井敏の鼎談『書斎のポ・ト・フ』がちくま文庫で復刊
ネット時代の読書法
昨日(「私のダメな読書法」)の続きを。
読書という大地は広大で、書籍の山はエベレストのように高い。やはり優れたガイドが必要だ。私にとっては向井敏〈むかい・さとし〉が頼りであった。そこに彗星の如く内藤陳が登場する。『読まずに死ねるか!』(集英社、1983年)シリーズはバイブルとなった。
あの頃(30年前)は音楽であれば月刊誌『ミュージック・マガジン』(中村とうよう編集)とNHK-FMの「クロスオーバーイレブン」で探すしかなかった。何という情報の乏しさだろう。レコード購入の選択ミスなどざらだった。
今はインターネットがある。その気になれば情報はいくらでも見つけることが可能となった。
私の経験から申せば、やはり若い時期は努めて濫読(らんどく)すべきだ。10年間で1000冊程度読めば、たどたどしいながらも自分なりの地図ができてくる。ここでガイドとすべきは自分と感性が近い人物だ。私は開高健や谷沢永一よりも向井敏に共感を覚えた。
自分が感動した本のタイトルで検索をする。徹底的に。書評ブログは数が多いようで実は少ない。私はamazonレビュワーまで追っ掛けているよ(笑)。情報はある程度の量がないと精度が上がらない。そして獲物を見つけたら、直ちにそこから別の本を辿るのである。自分の目に止まる本の数は極めて限られている。だから視野を広げる努力をするよりも他人の目を使った方が手っ取り早い。
で、googleも意外と当てにならない。書籍タイトルで検索するのはまだ初心者だ。私はテキストでも検索をかける。それでもダメなら複数キーワードを挿入する。ここに検索センスが求められる。
1000冊という最初の山を踏破した後は、カテゴリーやテーマを決めてまとめ読みするのが効果的だ。アインシュタインの相対性理論だって、10冊読めば何となく理解できるようになるし、20冊も読めばそこそこ語れるようになるものだ。概念を脳に定着させるためには反復が必要となる。関連書に共通する類似部分が理解を深めるのだ。
最初は興味本位でいいと思う。しかしある程度力を蓄えたならば、登るべき峰を自分できちんと設定することが望ましい。自分で高さを実感するからこそ眺望が開けるのだ。そこにはあなたにしか見えない景色が広がっている。
2013-12-09
私のダメな読書法
一枚の写真がある。母がソファで本を読んでいる。その隣に本を覗きこむ私が写っている。まだ4~5歳の頃だ。親が読書をすれば子供は自然と本好きに育つ。幼い知覚は敏感に「知らない世界」を嗅ぎ取り、貪欲に知識を求める。
私は小学1年生から本を読み続けてきた。当時は月に1冊しか買ってもらえなかったので何度も繰り返し読んだ。小学校高学年になると学校の図書室の本を片っ端から読んだ。10冊の貸し出し制限があったのだが、ゲロという渾名(あだな)の図書係を脅して禁を破らせた。あとで図書担当のヨシオカ先生にバレてしまい、「もう二度としません」と100回書かされたこともあった。ヨシオカ先生はハイミスだった。私は「先生(※本当は「ヨシオカのババア」と呼んでいた。命名者はイガラシ)が一生結婚できませんよーに」と心で祈った。
小学校の図書室の半分くらいのカードには私の名前が記されているはずだ。『怪盗ルパン』シリーズに息を飲み、『八十日間世界一周』で度肝を抜かれ、『失われた世界』で眠れぬ夜を過ごし、『黄色い部屋の謎』で知的スリルを味わった。
中学1年の時、国語の授業で『坊っちゃん』を知った。私はフランチャイズ球場ともいうべきイワタ書店へ走った。生まれて初めて買った文庫本は90円だった。それから20年後には3000冊、30年後には5000冊の本を所有するとも知らず。
で、読書法だ。10代後半から20代にかけてはひたすらノートに抜き書きをした。13冊ほどになった。文章を写す作業は著者の思考をトレースする営みでもある。仏道修行で書写行が勧められたのも同じ理由だろう。
パソコンと出会ったのは35歳の時だった(1998年)。以後、気に入ったテキストを入力しまくった。日に1万字ということも珍しくなかった。400字詰めの原稿用紙に換算すると25枚分だ。クリシュナムルティの『子供たちとの対話』に至っては9万字も入力している。そんな無謀なやり方が長続きするはずもない。10年後、腱鞘炎となった。指という指の関節が凝り固まり、肘まで痛くなってしまった。
しかも私は書き写すことで安心して思索を深めることを怠った。保存が目的となってしまい、血肉とすることを後回しにしていた。
キー操作の量は限定された。そこでデジタルカメラで撮影することを思いついた。付箋を張りっ放しにしておくと本が変形してしまう。平均すると1週間で百数十枚の写真を撮ってきた。だが見返すことは殆どない。Skydriveにアップしたままだ。
結局、インプットを疎かにしたままでアウトプットも途絶えた。書評は2年遅れで更新するという有り様だ。
「ムダではない」と思い込んでいた。だがムダが多すぎた。人生の時間は限られているのだから。やはり人も本も出会った時が勝負なのである。そこで相手を知る努力が浅ければ、後々まで中途半端な印象を引き摺るだけで終わってしまう。
しかも読んでいるだけでは相手の話を一方的に聴いているようなものだ。やはり自分の言葉を紡ぎ出さなければ「対話」は成り立たない。
一時期、ウェブ上で読書サークルを立ち上げたこともあったのだが、どうしてもよいメンバーが揃わないと長く続けることが難しい。直接集えるような範囲で人を集めることができれば、いつでも行う準備はあるのだが。
まあ、そんなわけで私のダメな読書法が若い人たちの一助になれば幸いである。共に本を読む仲間を探し続けることが重要だ。
・ネット時代の読書法
・「なぜ入力するのか?」「そこに活字の山があるからだ」
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