・『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
・『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
・眼の前で起こった虐殺
・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
・今日、ルワンダの悲劇から20年
・『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
・『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
・『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
・『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
・『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
・『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
・『命がけの証言』清水ともみ
・必読書リスト その二
そのとき私は、悪魔がこの世に存在することを知った。たった今、その瞳と視線を交わしたところだった。
シボマナはまず、私に寄りかかっていたヴァランスに切りかかった。従弟の血が降りかかる。シボマナが再び鉈(なた)を振り上げる。私は反射的に左手で、頭の前、額の辺りを守った。まるで父親に平手打ちを食らわされる時のように。敵が襲いかかってくる。刃が振り下ろされ、私の手首をぱっさり切り落とす。左手が後ろに落ちた。温かい濃厚な液体がほとばしる。私はその場にくずおれた。
【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】
20年前の今日、それは起こった。大虐殺に手を染めたのは警察でも軍人でもなかった。同じ町に住む隣人であった。ここにルワンダ大虐殺の恐ろしさがある。教会による断罪でもなければ、異人種による侵略でもなかった。迫害ですらなかった。かつて宗主国であったベルギーが分割統治するべく、身長や鼻の高さなどで二つの民族を創作した。それがツチ族とフツ族だった。ベルギーに続いてイギリスとフランスが手を突っ込む。80万人の大虐殺にはミッテラン大統領の子息も関与したとされる(『山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ)。
本書を読んだ時、私は45歳だった。「私を変えた本」は数あれど、この一書の衝撃に比するものはない。しばらくの間、精神的に立ち上がれなくなったほどだ。そして1年後にクリシュナムルティと邂逅(かいこう)する(クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ)。
被害直後のレヴェリアン・ルラングァと思われる。当時15歳。 pic.twitter.com/LWc7dvD8f4
— 小野不一 (@fuitsuono) August 30, 2019
レヴェリアン・ルラングァは既に鼻を削がれ、左目を抉(えぐ)り取られていた。眼の前で家族を含む43人が殺された。シボマナは顔見知りの男だった。
本書後半で地獄を見た男の内省は神への疑問と否定に向かう。同じように私は大衆部(大乗仏教)の因果応報思想と向き合わざるを得なくなった。ルラングァは養父と暮らすことになる。この養父の言葉がいぶし銀さながらの光を放っている。
「それは勇敢だな」
ある晩、雪の小道で養父リュックにばったり出くわした。私が、この冷え切った暗闇を歩きながら幽霊を追い払おうとしていたのだと打ち明けると、リュックはこう言った。
「そうさ、怖がらないことが勇気なんかじゃない。恐怖に耐え、苦しみを受け入れることが勇気なんだよ」
私にとってはパウル・ティリッヒ著『生きる勇気』1冊分以上の価値がある言葉だ。セネカ(『怒りについて 他一篇』)と同じ響きが感じ取れる。理解と寛容こそが本物の優しさなのだ。だがルラングァの懊悩(おうのう)は続いた。
Photographer Kristian Skeie: Révérien Rurangwa: Life After Genocide. https://t.co/NguCS8IbuO pic.twitter.com/cAHUmafxEj
— 小野不一 (@fuitsuono) August 30, 2019
二人の間には敬意のこもった愛情が織り成された。私たちの間には、随分押し付けがましい物言いもあれば、歯に衣着せぬ言い争いもあったが、言葉と沈黙を通して私たちは一緒に歩んでいった。
例えば今日の午後も、二人の対話は随分白熱した。彼には既に話したことがあるが、私は母が腹を切り裂かれるのを見た時から信仰を失っていた。だから、模範的な説教なんかして、あまり私をうんざりさせない方がいい。私たちに生を与えておきながら私たちを死に置き去りにした、わが少年時代の司祭たち。彼らの説教を思い出すと吐き気がする。
白人の司祭(カトリックの指導者。プロテスタントは牧師)は真っ先に国外へ逃亡した。フツ族の司祭は教会の中でツチ族の少女たちを次から次へ強姦していた。神よ……。あんたはいつまで黙っているつもりなんだ?
レヴェリアン・ルラングァ pic.twitter.com/fzEulewLuy
— 小野不一 (@fuitsuono) August 30, 2019
「ある文化の中で、服従することが神聖なことだと考えられるようになれば、人は良心の呵責なく罪なき人を殺すことができる」
精神科医ボリス・シリュルニックはこう答える。大戦当時子供だった彼は、両親が捕まった時見事に逃げ出すことに成功した(両親はアウシュヴィッツに送られて殺された)という経験の持ち主だ。
「服従によって、殺戮者は責任を免れる。彼らはある社会システムの一員であるに過ぎないからだ。そのシステムに服従して行う行為は全て許される」
スタンレー・ミルグラムはアイヒマン実験を通してそれを証明してみせた(『服従の心理』スタンレー・ミルグラム/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス)。権威者に判断を委ねた無責任が罪の意識を軽くする。集団は人間を手段として扱い、矮小化する。アイヒマンは裁判で「命令に従っただけ」と答えた(Wikipedia)。
いじめも組織犯罪も大量虐殺も根っこは皆同じだ。「命令されたから」「皆がやってたから」という安易な姿勢が80万人を殺すに至ったのだ。たぶん人間には「社会の標準に位置すれば生存率が高まる」という本能があるのだろう。だが、そのまま何も考えずに進めば、やがて欲望に翻弄されて人類は滅びてしまう。現実に資本主義や新自由主義が発展途上国の貧困や餓死を支えているではないか。
ルワンダも同様である。ジェノサイドの犯人はベルギーであり、イギリスであり、フランスだ。かの国の人々はルワンダを始めとするアフリカ諸国から奪うことで豊かな生活を享受した。このように考えると先進国の犯罪性を自覚せざるを得ない。日本の経済発展はそのすべてがアメリカの戦争に加担することで成し遂げられた。ま、戦争のおこぼれ経済といってよかろう。ツチ族を切り刻んだマチェーテ(大鉈〈おおなた〉)の大半は中国製であった。私の生活が実は何らかの形でルワンダにつながっているかもしれないのだ。
レヴェリアン・ルラングァ。義眼に涙が浮かんでいる。 pic.twitter.com/7gDBQy0WWo
— 小野不一 (@fuitsuono) August 30, 2019
35歳になったレヴェリアン・ルラングァの心には今どんな風が吹いているのだろうか。
先ほどツイッターでルワンダの画層を紹介した。Bloggerには暴力表現の規制があるため貼りつけることができない。リンク先を参照せよ。
・小野不一(@fuitsuono)/2014年04月06日 - Twilog
・強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
・ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送
・虐殺の光景
・ルワンダ大虐殺の爪痕 - ジェームズ・ナクトウェイ
・ルワンダの子供たち 1994年
・ロメオ・ダレール、ルワンダ虐殺を振り返る
「罪の意識は感じなかった。政府の期待に沿ったのだから誇りに思った。だからもう一度やった」/隣人は家族のかたき、大虐殺から20年 ルワンダ 和解への道 写真14枚 国際ニュース:AFPBB News http://t.co/kgbKxyoPRz
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 4月 6