2014-05-09

シオニズムと民族主義/『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫


 パレスチナという土地はあるが、パレスチナという国はない。そこにあるのは、イスラエルという国と【ガザ地区】と、【ヨルダン川西岸地区】である。

【『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』高橋和夫(幻冬舎、2010年)】

 苦難が人生を変える。よくも悪くも。大変は「大きく変わる」と書く。現実に押し潰される人と現実を切り拓いてゆく人との違いは何か? それは他者への共感性であろう。他人の苦しみに共感できる人はその時点で既に学んでいる。

 だが共感だけだと共倒れになることがあり得る。特に女性の場合、愚痴っぽくなりやすい。共感の深度を掘り下げるのは価値観である。そう考えると他人の苦しみは他人の歴史と置き換えることが可能だ。つまり人間は歴史から学ぶのだ。

 その意味で私の精神風景を一変させたのはルワンダとパレスチナ、そしてインディアンであった。

 以前、ある教育者が「小野さんにとってのルワンダは、僕の場合、ポル・ポトなんですよ」と語った。こういう相手だと話が早い。歴史をひもとけば人類の悲惨は至るところにある。それを知らずして人間理解は不可能だろう。

 本書はパレスチナ入門の教科書本ともいうべき内容でよくまとまっている。

 ユダヤ人たちの、自分たちの国を創ろうという運動を【シオニズム】と呼ぶ。これはシオン山の“シオン”と“イズム”を合わせた言葉である。イズムとは、主義という意味の言葉である。主義というのは、この場合にはある政治的考えのための努力である。シオン山とは、【パレスチナの中心都市】のエルサレムの別名である。エルサレムは、標高835メートルほどの丘の上に建てられている。新東京タワー、つまりスカイツリーが635メートルの高さであるから、それより高い所に位置する都市である。
 ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに入ってくると、その土地に生活していたパレスチナ人との間に紛争が始まった。これが現在まで続く、パレスチナ問題の発端である。これは、つまり約120年間の紛争である。

 パレスチナを巡る問題には第二次世界大戦の欺瞞がシンボリックに現れている。シオニズムという言葉も1896年に考案されたものだ(『リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス)。すなわちユダヤ教徒は戦争というどさくさに紛れて、自分たちが創作した新しい物語を実現させたのだ。

 それでは、なぜヨーロッパのユダヤ人たちは、この時期にパレスチナへの移住を考えるようになったのだろうか。それは、ヨーロッパで19世紀末になってユダヤ人に対する迫害が激しくなったからである。では、どうしてであろうか。
 答えは、この時期にヨーロッパに【民族主義】が広まったからである。この民族主義がユダヤ人の迫害を引き起こした。

 民族主義は近代から生まれた。大雑把にいえばナポレオンフランス革命国民国家)、パックス・ブリタニカ産業革命資本主義)、アメリカ独立の三点セットだ。

近代を照らしてやまない巨星/『ナポレオン言行録』オクターブ・オブリ編
フランス革命は新聞なくしては成らなかった
歴史の本質と国民国家/『歴史とはなにか』岡田英弘
自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編
何が魔女狩りを終わらせたのか?
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

 つまり人類に国家意識が芽生えたのだ。産業革命で一人勝ちしたイギリスは帝国主義の刀を抜いて世界中を植民地化した。それまでは魔女狩りや戦争でヨーロッパの内側で殺し合いをやっていた連中の目が世界に向けられた時代であった。

 ヨーロッパにおけるユダヤ社会は、いびつである。なぜならば、地に足のついた生活をしている人々、つまり農民が少なかったからだ。

 土地を奪われたユダヤ人は流浪の民であることを運命づけられた(『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から』小岸昭)。彼らが土地(国家)を熱望した心情は理解できる。

 ユダヤ人の伝統的な仕事は、【金貸し】であり、商売人であり、仲買人であり、医者であり、弁護士であり、研究者であり、芸術家であり、音楽家であった。つまり組織に頼らず、【自分の才覚】のみで生きていた。これはユダヤ人が差別された結果であった。

 過酷な歴史がユダヤ人を鍛え上げた。資本主義が追い風となった。現在ではメディア支配にまで至っている。

 ナチス・ドイツによって600万人のユダヤ人が虐殺されたという記述があり(29ページ)、冒頭の論旨が台無しになっている。ナチスによるホロコーストをユダヤ人虐殺という文脈に書き換えたのはユダヤ資本である(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。

 パレスチナに興味を覚えた人は本書から入り、『「パレスチナが見たい」』森沢典子→『パレスチナ 新版』広河隆一→『新版 リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス→『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン→『アラブ、祈りとしての文学』岡真理と進むのがよい。パレスチナ人は今日も殺されている(異形とされるパレスチナ人)。

なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル
高橋 和夫
幻冬舎
売り上げランキング: 383,333

2014-05-08

君子は豹変し、小人は面を革む/『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋


 ・君子は豹変し、小人は面を革む

『中国古典名言事典』諸橋轍次

桃や李(すもも)は何も言わないけれども、美しい花やおいしい実をつけるので、その下に人が集まってきて、自然に道ができる。それと同じように、徳のある人物のもとには、その徳を慕っておのずと人が集まってくる

桃李言(ものい)わずして
下(した)自(おのず)から蹊(みち)を成(な)す

     『史記』李将軍列伝

【『中国古典 リーダーの心得帖 名著から選んだ一〇〇の至言』守屋洋〈もりや・ひろし〉(角川SSC新書、2010年)以下同】

 久し振りに守屋の著作を開いた。構成の悪いスカスカ本であった。粗製乱造の極みか。中高生向けの代物。何を血迷ったのか翻訳文が最初に大きく書かれている。順序が逆であろう。原文への敬意を欠いているようにすら見えて仕方がなかった。

 いくつか原文を調べたくて読んだのだが目ぼしいものを紹介しよう。最初に紹介したものは知っている人も多いだろう。成蹊大学の由来でもある。「蹊」は「けい」と読む文献もある。小道の意である。私は李広将軍にまつわる文章であることを知らなかった。「一念岩をも通す」で知られる人物だ。母を殺した人喰い虎を見つけた李広はすかさず弓を引いた。深々と刺さった獲物を見たところ虎の姿に見えたのは岩であった。矢羽まで突き刺さったと伝えられる。「虎と見て石に立つ矢のためしあり」とも。

君子は、つねに自己革新をはかって成長を遂げていく。小人は、表面だけは改めるが、本質にはなんの変化もない

君子(くんし)は豹変(ひょうへん)し、小人(しょうじん)は面(おもて)を革(あらた)む

     『易経』革卦(かくか)

 これこれ。これを探していたのだ。私のモットーだ。気づけば変わる。見えれば変わると言い換えてもよい。君子豹変という言葉だけで朝令暮改と似た意味だと勘違いしている人が多い。田原総一朗もその一人だ。君子は果断に富むゆえ、さっと身を翻(ひるがえ)すことがあるのだ。愚かで無責任な連中はそれを「信念がない」とか「転向」などと受け止める。かような風評を君子は恐れることがない。

毎日、「今日もやるぞ」と、覚悟を新たにしてチャレンジする

苟(まこと)に日(ひ)に新(あら)たに、
日日(ひび)に新(あら)たに、
又(ま)た日(ひ)に新(あら)たなり

     『大学』伝二章

 筍(たけのこ)と似た字だが日ではなく口。訓読みだと「苟(いやしく)も」。名文の香りを台無しにする翻訳だ。本物の価値創造とは日々新しい自分と出会うことだ。生に感激を失った途端、人は老いる。

人生における最大の病(やまい)は、「傲」(ごう)の一字である

人生(じんせい)の大病(たいびょう)は
ただこれ一(いち)の傲(ごう)の字(じ)なり

     『伝習録』下巻

 傲(おご)りが瞳を曇らせる。自戒を込めて。この言葉は知らなかった。

自分が正しいと確信が持てるなら、阻む者がどれほど多かろうと、信じた道を私は進む

自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、
千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん

     『孟子』公孫丑(こうそんちゅう)篇

「縮」には正しい、真っ直ぐとの意があるようだ(ニコニコ大百科)。これも君子豹変に通ずる。要は深く自らに問うことが正しい答えにつながるのである。周りは関係ない。行列の後に続くような生き方は感動と無縁であろう。

 中国の偉大な歴史は文化大革命を経て漂白されてしまったのだろうか? 中国人民の間にこれらの言葉はまだ生きているのだろうか? 気になるところである。


先ず隗より始めよ/『楽毅』宮城谷昌光
大望をもつ者/『楽毅』宮城谷昌光

amazonで買える1kg以上の飴


 煙草を減らすべく飴を物色中。比較的安くて評価の高いものを選んだ。

クリート どっさりフルーツキャンデー 120g×20袋松屋製菓 生沖縄黒飴 1kg扇雀飴本舗 ジュースキャンデー 1kg春日井炭焼珈琲 100g×12袋

石牟礼道子、藤井厳喜、渡邉哲也、ニーチェ


 2冊挫折、2冊読了。

ニーチェ全集 8 悦ばしき知識』ニーチェ:信太正三〈しだ・しょうぞう〉訳(理想社普及版、1980年/ちくま学芸文庫、1993年)、『喜ばしき知恵』ニーチェ:村井則夫訳(河出文庫、2012年)/三十七、八歳でよくもまあこんな代物が書けたものだ。「神は死んだ」の一言で知られるニーチェの代表作。やはり哲学は肌に合わない。いくら言葉をこねくり回しても真理を見出すことは不可能だろう。ニーチェよ、さらばだ。

 29冊目『日本はニッポン! 金融グローバリズム以後の世界』藤井厳喜〈ふじい・げんき〉、渡邉哲也〈わたなべ・てつや〉(総和社、2010年)/勉強になった。渡邉哲也を初めて読んだが説明能力が極めて高い。新聞がきちんと報じない世界経済の構造がよくわかる。致命的なのは総和社の校閲だ。欠字・重複が目立つ。『超マクロ展望 世界経済の真実』(水野和夫、萱野稔人)の次に読むとよい。

 30冊目『苦海浄土  池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集 III-04』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2011年)/第1部『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年/講談社文庫、1972年/新装版、2004年)、第3部『天の魚 続・苦海浄土』(講談社、1974年/講談社文庫、1980年)、第2部『苦海浄土 第二部 神々の村』を収録。大部のため3冊分に分けて書く。石牟礼道子は熊本県に住む主婦であった。本書も元々は水俣病患者や家族から話を聞き、チラシの裏などに書き溜めてあったものらしい。ルポルタージュでもなければ私小説でもない。厳密にいえば「語り物」ということになろう。すなわち『苦海浄土』は形を変えた『遠野物語』なのだ。そしてまた水俣の地はルワンダでもあった。美しい水俣の海と耳に心地良い熊本弁と水銀に冒された病(やまい)の悲惨が強烈な陰影となって読者をたじろがせる。石牟礼は水俣病患者に寄り添うことで「新しい言葉」を紡ぎだした。それが創作であったにせよ事実と乖離(かいり)することを意味しない。むしろ隠された真実を明るみに引きずり出す作業であったことだろう。犯罪企業のチッソ日窒コンツェルンの中核企業であった。旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業、センコー、日本ガスは同じ穴の狢(むじな)だ。

2014-05-07

「年次改革要望書」という名の内政干渉/『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之


 ・「年次改革要望書」という名の内政干渉

日下公人×関岡英之
郵政民営化は小泉さんが考えたんじゃない

年次改革要望書』は単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中行事でもない。アメリカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、それぞれ内部で検討され、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。受け取ったままほったらかしにされているわけではないのだ。
 そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開くことによって、要求がきちんと実行されているかどうか進捗状況をチェックする仕掛けも盛り込まれている。アメリカは、日本がサボらないように監視することができるようになっているのだ。
 これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年3月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。アメリカ通商代表部は秋に『年次改革要望書』を日本に送りつけ、春に議会から勤務評定を受ける、という日々を過ごしているわけである。

【『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之(文春新書、2004年)以下同】

 10年前の本だがまったく古くなっていない。というよりはTPP締結を控えた今こそ本書が広く読まれるべきだ。関岡は基本的に取材を行わない。オフィシャルな情報だけを手掛かりにして、アメリカの内政干渉と日本政府の欺瞞を暴く。個人的には「保守の質を変えた」一書であると考える。日本人であれば心痛を覚えない人はいるまい。「敗戦」の意味を思い知らされる。半世紀という時を経ても尚、日本はアメリカ各地の州以下の扱いを受けており、文字通りの属国である。この国は独立することを阻まれているのだ。

 年次改革要望書は宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談(1993年)で決まったものだが、日米包括経済協議(1993年)、日米構造協議(1989年)に淵源がある。ということはバブル景気の絶頂期にアメリカが動き出したわけだ。プラザ合意(1985年)に次ぐ攻撃と考えてよかろう。

牛肉・オレンジ自由化交渉の舞台裏

 アメリカによる外圧のわかりやすい例が紹介されている。

 日本の国内では、建築基準法の改正や住宅性能表示制度の導入は、阪神・淡路大震災での被害の大きさからの反省や手抜き工事による欠陥住宅の社会問題化などがきっかけとなって日本政府内で検討が始められ、導入が決定されたものだと理解されている。それは日本の国民の安全と利益のためになされたはずだ。
 しかし実はこれらの法改正や制度改革が、日本の住宅業界のためでも消費者のためでもなく、アメリカの木材輸出業者の利益のために、アメリカ政府が日本政府に加えた外圧によって実現されたものであると、アメリカ政府の公式文書に記録され、それが一般に公開されている。

 日本国民はおろか政治家だって知らなかったことだろう。政府が二つ返事で引き受けて、官僚が具体的な法案を作成しているに違いない。マスコミがこうした事実を報道することもない。日本の新聞は官報なのだろう。日本で民主主義が機能しないのは情報公開がなされていないためだ。むしろ情報は統制されているというべきか。

 1987年にアメリカの対日貿易戦略基礎理論編集委員会によってまとめられた『菊と刀~貿易戦争篇』というレポートがある。執筆者名や詳しい内容は公表されていないが、アメリカ・サイドから一部がリークされ、その日本語訳が出版されている(『公式日本人論』弘文堂)。
 この調査研究の目的は、日本に外圧を加えることを理論的に正当化することだった。そして結論として、外圧によって日本の思考・行動様式そのものを変形あるいは破壊することが日米双方のためであり、日本がアメリカと同じルールを覚えるまでそれを続けるほかはない、と断定している。つまり、自由貿易を維持するという大義名分のためには、内政干渉をしてでもアメリカのルールを日本に受入(ママ)れさせる必要がある、と主張しているのである。
 このレポートの執筆者のひとりではないかと推測されるジェームズ・ファローズは『日本封じ込め』(TBSブリタニカ)というエッセイのなかで「叫ぶのをやめて、ルールを変えよう」という有名なせりふを吐いた。こうした声が、アメリカのルールを強制的に日本に受け入れさせること、もっと露骨に言えばアメリカの内政干渉によって日本を改造するという、禁じ手の戦略を正当化することになったのである。そしてそこから導き出されたアメリカの政策こそ、「日米構造協議」と呼ばれる日本改造プログラムに他ならない。

 ジェームズ・ファローズはジミー・カーター大統領のスピーチライターを務めた人物だ。アメリカの傲慢は戦勝国意識とプロテスタント原理主義に支えられている。ま、原爆投下を一度も謝罪しないような国だ。我々黄色人種を同じ人間としては見ていないのだろう。

 鳩山由紀夫首相が年次改革要望書を斥(しりぞ)けた。そして直ぐに小沢一郎と共に葬られた。その後TPPと名前を変えて再びアメリカは日本に要求を突きつけているのだ。当初は「聖域なき関税撤廃が前提なら参加しない」としていた安部首相も態度を180度変えた(田中良紹)。

 今ニュースとなっている憲法解釈の閣議決定もアメリカからの要求であり命令だ。彼らは日本を再軍備するつもりだ。


自由競争は帝国主義の論理/『アメリカの日本改造計画 マスコミが書けない「日米論」』関岡英之+イーストプレス特別取材班編