2014-06-02

バフェット氏はなぜタンガロイを選んだ?


 東京電力福島第1原子力発電所の南40キロメートル余りに本社・工場を構える超硬工具大手のタンガロイ(福島県いわき市)。米国の著名投資家、ウォーレン・バフェット氏が3月下旬の初来日の場所として選んだ会社だ。震災と原発事故で来日はキャンセルになったが、世界の経済人が「オマハの賢人」と敬愛するバフェット氏は、なぜわざわざタンガロイに足を運ぼうとしたのだろうか。

 IHI相馬工場と同じく、タンガロイも東日本大震災の被害に遭ったが早期の復旧を遂げた。そこには親会社であるイスラエルの切削工具メーカー、イスカルを中核とするIMCグループの強力な支援があった。「小さな家族経営」。IMCのエイタン・ベルトマイヤー会長は、何よりも社員の気持ちを大切にする経営理念を掲げる。バフェット氏はこの考え方を高く評価し、IMCに巨額の投資をしている。ベルトマイヤー会長の経営がいかにタンガロイの現場の人々を励まし危機を乗り切るための支えとなったのか。そこには、窮地にある日本企業が学ぶべき教訓がある。

 今回、バフェット氏は3月21日から2日間、タンガロイを訪れる予定だった。まずは、バフェット氏とタンガロイ、そしてIMCのベルトマイヤー会長、この3者の関係について詳しく紹介しよう。

 タンガロイは2008年11月、超硬工具で世界2位のIMCに買収された。その2年前の2006年、IMCにはバフェット氏が当時の邦貨換算で4800億円を投じて、8割の株式を取得している。

バフェットが驚いた「小さな家族」経営

 これは当時、バフェット氏にとって初めての米国以外での大型投資だった。決断の裏にはIMCのベルトマイヤー氏が実践している優れた経営があった。その極意は「社員の1人ひとりを大切にする、思いやりのある『小さな家族主義』経営」だ。目先のことよりも、社員の気持ちを大切にし、100年先を見据えて会社を動かす。バフェット氏は当時、「こんなすばらしい経営はみたことがない」と驚き、巨額投資を決断した。

 もともと、投資話はベルトマイヤー会長から持ちかけたものだ。イスカルは非上場のため企業買収が難しいという悩みを抱えていた。世界最大手であるスウェーデンのサンドビックを追撃するためにはアジアなどでのM&A(買収・合併)は急務。バフェット氏のグループに入ることができれば、世界戦略は大きく前進する。バフェット氏は巨額投資をしても、経営そのものはベルトマイヤー会長に任せてくれた。そして同社にとって空白地帯に近かった日本で手に入れたのが、かつて「東芝タンガロイ」として知られたタンガロイだった。

 ベルトマイヤー会長がバフェット氏の初来日に際してぜひとも見せたかったものがあった。タンガロイの新工場のオープニングセレモニーだ。単なる工場の竣工(しゅんこう)式ではなく、「タンガロイ復活の象徴」のイベントだったからだ。

 IMCがタンガロイを買収したのはリーマン・ショック直後の2008年11月。主力顧客の自動車業界が設備投資を一斉に凍結し、注文した部品はキャンセルの嵐に見舞われた。タンガロイは大赤字に転落し、競合他社のような大規模なリストラは避けられそうにない状況に陥っていた。

 東芝の子会社時代には業績悪化のたびに本社からの要請を受けて何度も人員削減した。しかし、リーマン・ショック後の危機を受けた打開策はこれまでとは全く異なるものだった。ベルトマイヤー会長はタンガロイの上原好人社長が温めていた新工場の建設計画をすぐに実行するように指示する。09年春のことだ。投資額は100億円強。売上高の2割以上に相当する額だ。

イスラエルから放射能の専門家派遣

 危機こそ好機――。この決断がタンガロイの復活を後押しする。上原社長は「他社に先行して設備を発注できたため、古い工場建屋に導入して、2010年からの需要回復に対応できた。本当に良い会社に買収してもらったと思う」と語る。最新鋭の建屋は今年1月に完成し、大震災にもびくともしなかった。古い工場建屋から設備を移し、生産の早期回復にもつながっている。ベルトマイヤー会長が同社を家族のように扱ってくれるため、現場の士気が高まっていることも大きい。

 上原社長は「震災でもイスラエルからの支援は素早かった。社員も喜んでいる」と話す。タンガロイのいわき工場は東電福島第1原発から40キロメートル程度しか離れていない。そのため、タンガロイ製品についての「風評被害」が出ていた。IMCはイスラエルの政府系機関から放射能測定の専門家を4月11日に派遣してきた。世界から認められた公的機関が製品の放射能を測定し、問題ないことを示す認証を与える。さらに、設備内に入る放射能を遮断するためにどんな方策が必要なのかを細かく教えてくれた。例えば、「工場内の芝生には入らないように」ということ。靴に放射能物質が付着しやすいからだという。IMCは主力輸出先である欧州でも、ベルギーの公的機関に依頼して、物流倉庫で製品の放射線量を調べ、顧客の心配の芽をすばやく取り除いた。

 こんなこともあった。超硬工具の生産工程で重要なのがタングステンなどの原料を焼き固める焼結炉だ。新工場ではドイツの機械メーカーから購入し、4月にも据え付ける予定だった。だが、原発事故でドイツ人技術者が来日を拒否した。上原社長らが困っていると、イスラエルの本社から「タンガロイの技術者をすぐに送ってこい」との指示があった。焼結炉の据え付けや試運転に詳しいIMCの社員が2週間かけてすべてのノウハウを教えてくれる、というのだ。上原社長は5月中旬から2人の技術者を送り込んだ。「困ったことがあれば、なんでも面倒を見てくれる。子会社とはいえ、ここまで親身な親会社があるのか」と、上原社長も舌を巻いた。

 ベルトマイヤー会長がタンガロイを全面支援するのは単なる「優しさ」だけからではない。そこには長期を見据えた深い戦略がある。

 タンガロイが成長すれば欧米や韓国などにあるグループ企業との競争が激しくなる。そして各社による切磋琢磨(せっさたくま)によって企業グループはより強くなれる、という計算があるのだ。中核のイスカルは、複雑な形状の超硬工具を生産できる世界有数のプレス技術を持つ会社。360度すべての角度から圧力をかけて、切削する先端部を増やすような技術だ。こうした秘伝のノウハウもすべて、グループ会社には伝授される。タンガロイの新工場にはすでに、イスカルが使う独自のプレス機械が入れられている。

お金持ちでも「ランチは1日1度」

 ベルトマイヤー会長とはいったいどんな人物なのだろうか。会長は創業者であるステフ・ベルトマイヤー名誉会長の息子。ステフ名誉会長はイスラエルの英雄として、尊敬を集める経済人であり、政治家でもあった。その創業者の経営哲学を息子が受け継いでいるのだ。

 ステフ氏は1930年代後半、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害から逃れ、現在のイスラエルに渡ってきた。48年にイスラエルが独立を宣言した後の第1次中東戦争で義勇兵となる。ただ、名誉会長は手先が器用だったため、工作機械で使う超硬工具の開発を志した。武器を製造する基盤技術として重要だったからだ。現在のレバノンから近い北部の町テフェンの自宅で、52年にイスカルを創業した。

 この会社の存在を一挙に世界に知らしめたのが67年の第3次中東戦争だった。アラブ諸国に配慮したフランスが、戦闘機「ミラージュ」のイスラエルに対する禁輸を決定した。イスラエル空軍は頭を抱えた。戦闘機エンジンを開発していくにはタービンブレードの加工が必要だが、その技術は極めて難易度が高いからだ。だがエンジン部品を削るために世界でも最高レベルの超硬工具を名誉会長らの技術チームは見事に開発した。

 エイタン会長は「イスカルが長年成功できたのは父の存在が大きい。父は常に従業員を家族のように大切にしてきた」と語っている。何度も経営危機に直面したが、雇用にはほとんど手をつけていない。例えば、2008年秋のリーマン・ショックでも業績は一時的に悪化したが、従来と比べて単位時間当たりの切削量を3倍に増やした旋盤の超硬工具など強力な新製品を相次いで投入し、危機を乗り越えた。

 ベルトマイヤー会長が社員を大切にするエピソードは数多い。同会長はバフェット氏にイスカルの8割の株式を売却したが、その売却益は1952年の創業以降、イスカルに所属していた従業員すべてに還元された。草創期からの従業員には亡くなっている人も多いが、それでも会長の指示で子供や孫を捜し出して、多額の「感謝金」を支払った。ベルトマイヤー会長は言う。「お金をたくさん持っても、ランチは1日に1度しか食べられない。1度しか寝られない。大切なのはポケット(お金)よりもハート(心)だよ」と。

【日経産業新聞 2014年5月31日】

最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由 世界恐慌への序章

2014-05-30

何も残らない/『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ



『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『心は病気 役立つ初期仏教法話 2』アルボムッレ・スマナサーラ

 ・何も残らない
 ・生きるとは単純なこと

『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也

1月22日 何も残らない

 人類の文明そのものが、「私は死なない」というウソを前提にしてできています。
「死なない」という思いから、名誉や財産を自分のものにしようとします。他国を征服した指導者は、自分の銅像を建てたりして、永遠に自分が存在し続ける気持ちになるのです。しかし、栄華を極めたローマ帝国と同じで、何ひとつ残りません。
 名誉や財産をたくさんもっていても、みじめに死んでしまう。最期は墓場です。
 事実を認めて、「みんな死ぬ」という前提で生きれば、日々美しく平和に暮らそうということになります。

【『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧』アルボムッレ・スマナサーラ(PHPハンドブック、2008年/PHP文庫、2017年)】

 仏教には南伝と北伝がある。日本に伝わったのは北伝ルートで大乗を標榜する(大衆部〈だいしゅぶ〉)。これに対して南伝ルートでスリランカ・タイ・ミャンマーなどの出家教団に受け継がれたパーリ語経典の教えをテーラワーダ仏教(上座部〈じょうざぶ〉)と呼ぶ。

 日本などいわゆる大乗仏教の諸国では、お釈迦様の初期経典に説かれたヴィパッサナーなどの実践方法が伝わってきませんでした。そのために思弁哲学の学問仏教、あるいは現世利益信仰や儀式儀礼の呪術的宗教になってしまった面もあります。テーラワーダ仏教はいわゆる「小乗」とも「大乗」とも無縁です。ただお釈迦様の説かれた教えとその実践方法の一つ一つを、当時のまま、今日まで伝えてきた純粋な体系なのです。

テーラワーダ仏教とは?:日本テーラワーダ仏教協会

 スマナサーラ長老の言葉は平易である。理屈をこね回すような姿勢がどこにもない。大衆部の教義が絢爛(けんらん)を目指して複雑化したのに対して、上座部は初期経典に忠実であることに努め、極めてシンプルな教えだ。日本の仏教界に必要なのは初期経典に照らして大衆部の政治的欺瞞を取り除くことであろう。

 キリスト教には永遠という概念がある。スケールは異なるが日本では「名を残す」という考え方が根強い。「最期は墓場です」とあるが、墓そのものが死後にも名を残そうと企てる人間の哀しい所業だ。我々は誰かに思い出される存在であることを望み、より多くの人々に死を悲しんでもらいたがる。自分はいないのに。

 文明の発達は個々人の欲望を掻き立て、人間の細断化を促した。そして私は死んでも私の所有物は残る。文字の発明によって生前の経験や思考をも記録として残せるようになった。今では音声や映像まで残せる。アメリカの非営利団体アルコー延命財団では遺体の冷凍保存を行っている。子孫を残すのも自分の分身と考えればわかりやすい。文明は不老不死を目指す。死んだ人々を置き去りにしながら。

 多くの人々が望む地位・名誉・財産も一緒であろう。極めるとピラミッドや古墳に落ち着きそうだ。

 スマナサーラは我が身を飾る一切のものを「かぶり物」だと本書で指摘している。何ということか。我々の人生そのものがコスプレと化していたのだ。大事なのは何をやったかよりも、勲章であり賞状でありメダルなのだ。功成り名を遂げて周囲の連中を睥睨(へいげい)しながら黒い満足感に浸っている中で死を見失ってゆく。彼の幸福とおもちゃやお菓子を与えられた子供の幸福に違いはあるだろうか?

 100年後を思え。今生きている人の99%は死んでいることだろう。そう考えると道で擦れ違う見知らぬ人にも親切な気持ちが湧いてくる。争っている時間などないはずだ。