2014-06-20

視力回復のトレーニング方法


 今日、免許証更新に行ってきたが、このトレーニングのおかげで眼鏡使用を免れた。



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王者とは弱者をいたわるもの/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 楽毅(がっき)の心底に憤然と沸いてくる感情がある。
 王者とは弱者をいたわるものである。が、趙王はどうか。弱者である中山を攻め、あざむき、嬲(なぶ)り物にしようとしている。死んでも屈すべき相手ではない。心のどこかで武霊王を賛美していた楽毅は、大いなる失望を怨怒(えんど)で染めた。
 ――趙王とは戦いつづけてみせる。
 この怨讎(えんしゅう)の気分はおそらく楚(そ)の平王に父と兄とを殺されて呉(ご)へ亡命した伍員(ごうん/子胥〈ししょ〉)のそれににているであろう。が、復讎は相手を滅ぼすと同時に自分をも滅ぼすという因果の力をもっている、ということを楽毅は知っている。武霊王を怨(うら)むのはよい。が、その怨みにこだわりつづけると、怨みそのものが魂を宿し、生き物となって、みさかいなく人を喰いはじめる。それをさけるためには、世の人の目に復讎とわからぬ復讎をとげなければならない。
「微なるかな微なるかな、無形に至る。神(しん)なるかな神なるかな、無声に至る。ゆえによく敵の司命(しめい)を為(な)す」
 そう心のなかでつぶやいた楽毅には、にわかに孫子の教義があきらかになった。戦いは戦場にあるばかりではなく、平凡にみえる人の一生も戦いの連続であろう。自分が勝って相手をゆるすということはあっても、自分が負けてゆるされるということはない。それが現実なのである。相手にさとられないように戦い、それでこそ、敵の運命を司(つかさど)ることができる。真に兵法を知るとは、そういうことなのである。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

「王者とは弱者をいたわるものである」――若い楽毅の思いには甘さが潜(ひそ)んでいる。中国はおろか日本の権力者にも「弱者をいたわる」という志操は見えない。だからこそ胸を打つのだろう。強い者が弱い者をいじめる社会であるがゆえに光芒を放つのだ。

「恨晴らし(ハンブリ)」
 という言葉が韓国語にはあるが、それだ。「恨(ハン)」を持った者には、「恨晴らし(ハンブリ)をするまで「恨(ハン)」が宿る。そして多くの場合、「恨」は内に沈殿してその者の生活すべてに負に作用する。「恨」を昇華させなければならない。

【『無境界の人』森巣博〈もりす・ひろし〉(小学館、1998年/集英社文庫、2002年)】

 怨みはフロイト心理学の「抑圧」と考えてよい。怨念のあまり死にきれない幽霊の存在はPTSD(心的外傷後ストレス障害)を示唆する。

 私は直接報復でも構わないと思う。例えば大阪産業大学付属高校同級生殺害事件のように。何もせずに泣き寝入りするのが一番ダメだ。世の中がよくならない根本的な原因もここにある。

 プーラン・デヴィは直接的な復讐を果たした後に政治家となることで昇華したケースであろう(『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ)。

 賢者は日常において危機的状況に想像を巡らせ、愚者は窮地に追い込まれて取り乱す。いざ、という時に速やかな行動を起こせるかどうかが生死を分ける。

 復讐が「相手を凌(しの)ぐ」ことを意味するならば、より大きな自分をつくり上げることが真の復讐となる。ただしそこに自分を偽る姿勢があれば怨みは昇華されることがない。

 いずれにせよ、「怒り」は必ず「殺」を志向する。中途半端な怒りはさっさと手放すことが正しい。

   

2014-06-19

将軍学/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 これから出発する使者がぶじに往還すれば、(との)和平はいっそうたしかなものになるので、使者への期待は大きいのである。ところが、その使者である楽毅(がっき)が、
「この使いは失敗する」
 と、なんの逡巡(しゅんじゅん)もみせずにいったので、郊昔(こうせき)ははっとうろたえた。
 ――そういうことか。
 この男の頭脳の回転ははやい。漠然と感じていた不安が急に明確になった。国家の中枢(ちゅうすう)にいる者は、国民とおなじ感情に染まっていては、展望ということができないということをあらためてさとった。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】

 楽毅は中山(ちゅうざん)の使者として趙へ赴くこととなった。上手く運ばないことはわかっていた。それどころか自分が殺される可能性もあった。楽毅は祖国のために立ち上がった。

 これが将軍学というものであろう。馬鹿の一つ覚えで「国民」を語る昨今の政治家とは雲泥の差がある。私は民主制よりも貴族制を支持するものだが、より一層その思いを強くした。左翼が語る「市民」もまったく信用できない。民の苦しみを知ることと苦しみに同調することは別次元のことだ。民が欲するのは衣食住の安定であり、それ以上のものではない。結局自分さえよければいいのだ。

 ノブレス・オブリージュを欠いた政治家ばかりだ。官僚化した政治家しか見当たらない。天下国家が語られることもなく瑣末な議論に終始している。そして彼らが操る言葉はとっくに死んでしまった。政治は我欲のレベルにまで堕した。

 そのとき肥義(ひぎ)は武霊王(ぶれいおう)の苦悩を察し、
「疑事(ぎじ)は功なく、疑行(ぎこう)は名なし」
 と、決断を勧(すす)めた。疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。迷いのなかで法令がくだり、施行(せこう)されても、上から下まで成果も利益も得られない。責任の所在が明確でないものは、かならずそうなる。君主が世の非難を浴びる覚悟をすえていれば、かえって世の非難は顧慮する必要はない。そのことを肥疑は、
「大功を成(な)す者は、衆に謀(はか)らず」
 と、表現した。さらにかれは幽玄の理念をこう説いた。
「愚者は成事に闇(くら)く、智者は未形に■(者+見/み)る」
 愚かな者はすでに完成された事でも理解をおよぼすことができないのにくらべて、智のある者は、その事が形をもたないうちに洞察してしまう。胡服騎射(こふくきしゃ)に関していえば、まだその軍政が形となっていなくても、自分にはその成果をありありと■(者+見/み)ることができる、と肥疑は武霊王をはげましたのである。ちなみに■(者+見)には、自分の目でたしかに、という強い意志がふくまれているので、人から■(者+見/み)られる、というような使い方はけっしてされない字である。

 臣とはかくあるべし。君主を時に諌め、時に励ますのが臣の役目である。それにしても見事な言葉だ。脳内のシナプスがタテ一直線に並ぶほどの説得力がある。しかも君主の自覚や責任に強く訴えている。言葉が盤石の根拠となり得るのだ。

 武霊王は趙の君主である。案の定、楽毅は謀(はか)られたが智慧を巡らせて危地を脱する。本書の名場面のひとつである。

   

2014-06-17

第一巻のメモ/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 英雄不在、というのが戦国の裏面である。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】



「商の湯王は伊尹(いいん)を、周の武王は太公望(たいこうぼう)をしたがえただけで、天下をとったのです。すなわち天下は、野(や)のどこかにころがっている、とおもわれます」



 龍元の目のかがやきもよい。
 志望が穢(けが)れていない目である。山も川も人も国も、そういう目でみなければ、真のかたちをとらえることはできぬ。



 目にみえぬ力に意味をみいだせない民族に文化はない。



 成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえをはじめるものである。



 人のうえに立つ者がおのれに熱中すれば、したにいる者は冷(ひ)えるものなのである。



「驕る者は人が小さくみえるようになる」



 自分の近いところにおよぼす愛が仁であれば、遠いところにおよぼす愛が義である。



 軽蔑のなかには発見はない



 ――わしがこの者たちを護(まも)り、この者たちによってわしは衛(まも)られる。



「目くばりをするということは、実際にそこに目を■(とど)めなければならぬ。目には呪力(じゅりょく)がある。防禦(ぼうぎょ)の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている」



 ――君命に受けざるところあり。
 受けてはならない君命のあることを孫子の兵法はおしえている。とくに戦場における将は、たとえ王の命令でも、したがえないときがある。



 楽毅は儒教についてくわしくないが、教祖である孔子は、
 ――道おこなわれず。桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。
 と、いったそうである。国家に正しい道がないとき、流亡の旅もやむをえない。



 よくよく考えてみれば、この世で、自分が自分でわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希(ねが)っているのかもしれない。



 将の気が塞をささえているといっても過言ではない。将の表情に射したわずかな翳(かげ)でも、兵の戦意を殺(そ)ぐのである。



 戦場の露(つゆ)をおのれの涙にかえる王にこそ、人は喜んで命をささげるものである。



 かつて周(しゅう)の武王(ぶおう)が商(殷)王朝を倒したあと、難攻不落の険峻(けんしゅん)の地に首都をおこうとした。そのとき武王の弟の周公旦(しゅうこうたん)が諫止(かんし)した。
「このようなけわしいところに王都を定めれば、諸侯が入朝(にゅうちょう)するにも、諸方が入貢するにも、難儀をいたします。まして周王朝が悪政をおこなって万民を苦しめたとき、諸侯によって匡(ただ)されにくくなります」
 王朝が天下の民にとって元凶にかわったとき、滅亡しやすいところに王都を定めるべきである、と周公旦はいったらしい。
 ――周公旦とは、何という男か。
 と、楽毅は腹の底から感動したおぼえがある。また、周公旦の諫言を容(い)れて、あっさり山をおりた武王の寛容力の大きさにも驚嘆した。