・世界銀行の副総裁を務めた日本人女性/『国をつくるという仕事』西水美恵子
・経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
・資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
免許証更新の手続きを。警察署に隣接する交通安全協会で印紙を購入。その際、「皆さんに安全協会への入会をお願いしています」きっぱり断ると、「ではご自分で用紙に記入する手続きをされるんですね?」と畳み込んできたので、「入らない」と大声で答えた。警察の天下り先が行う不明なビジネス。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 20
免許証保持者は熟読のこと。/無駄な手続きの秘密(免許の更新) http://t.co/NIvA43IUfO
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 20
免許更新講習の独占受注/交通安全協会 - Wikipedia http://t.co/N1PQOIryn4
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 20
交通安全協会で写真撮影すると1100円も取られる。自販機を置いていないのも明らかにおかしい。国民に奉仕する気はまったくないようだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 20
法の番犬たる警察が薄汚い商売に手を染めているわけだから、この国にモラルを期待するだけ無駄だろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 20
内部告発の声すら出てこない有り様だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 6月 20
楽毅(がっき)の心底に憤然と沸いてくる感情がある。
王者とは弱者をいたわるものである。が、趙王はどうか。弱者である中山を攻め、あざむき、嬲(なぶ)り物にしようとしている。死んでも屈すべき相手ではない。心のどこかで武霊王を賛美していた楽毅は、大いなる失望を怨怒(えんど)で染めた。
――趙王とは戦いつづけてみせる。
この怨讎(えんしゅう)の気分はおそらく楚(そ)の平王に父と兄とを殺されて呉(ご)へ亡命した伍員(ごうん/子胥〈ししょ〉)のそれににているであろう。が、復讎は相手を滅ぼすと同時に自分をも滅ぼすという因果の力をもっている、ということを楽毅は知っている。武霊王を怨(うら)むのはよい。が、その怨みにこだわりつづけると、怨みそのものが魂を宿し、生き物となって、みさかいなく人を喰いはじめる。それをさけるためには、世の人の目に復讎とわからぬ復讎をとげなければならない。
「微なるかな微なるかな、無形に至る。神(しん)なるかな神なるかな、無声に至る。ゆえによく敵の司命(しめい)を為(な)す」
そう心のなかでつぶやいた楽毅には、にわかに孫子の教義があきらかになった。戦いは戦場にあるばかりではなく、平凡にみえる人の一生も戦いの連続であろう。自分が勝って相手をゆるすということはあっても、自分が負けてゆるされるということはない。それが現実なのである。相手にさとられないように戦い、それでこそ、敵の運命を司(つかさど)ることができる。真に兵法を知るとは、そういうことなのである。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】
「恨晴らし(ハンブリ)」
という言葉が韓国語にはあるが、それだ。「恨(ハン)」を持った者には、「恨晴らし(ハンブリ)をするまで「恨(ハン)」が宿る。そして多くの場合、「恨」は内に沈殿してその者の生活すべてに負に作用する。「恨」を昇華させなければならない。
【『無境界の人』森巣博〈もりす・ひろし〉(小学館、1998年/集英社文庫、2002年)】
これから出発する使者がぶじに往還すれば、(趙との)和平はいっそうたしかなものになるので、使者への期待は大きいのである。ところが、その使者である楽毅(がっき)が、
「この使いは失敗する」
と、なんの逡巡(しゅんじゅん)もみせずにいったので、郊昔(こうせき)ははっとうろたえた。
――そういうことか。
この男の頭脳の回転ははやい。漠然と感じていた不安が急に明確になった。国家の中枢(ちゅうすう)にいる者は、国民とおなじ感情に染まっていては、展望ということができないということをあらためてさとった。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】
そのとき肥義(ひぎ)は武霊王(ぶれいおう)の苦悩を察し、
「疑事(ぎじ)は功なく、疑行(ぎこう)は名なし」
と、決断を勧(すす)めた。疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。迷いのなかで法令がくだり、施行(せこう)されても、上から下まで成果も利益も得られない。責任の所在が明確でないものは、かならずそうなる。君主が世の非難を浴びる覚悟をすえていれば、かえって世の非難は顧慮する必要はない。そのことを肥疑は、
「大功を成(な)す者は、衆に謀(はか)らず」
と、表現した。さらにかれは幽玄の理念をこう説いた。
「愚者は成事に闇(くら)く、智者は未形に■(者+見/み)る」
愚かな者はすでに完成された事でも理解をおよぼすことができないのにくらべて、智のある者は、その事が形をもたないうちに洞察してしまう。胡服騎射(こふくきしゃ)に関していえば、まだその軍政が形となっていなくても、自分にはその成果をありありと■(者+見/み)ることができる、と肥疑は武霊王をはげましたのである。ちなみに■(者+見)には、自分の目でたしかに、という強い意志がふくまれているので、人から■(者+見/み)られる、というような使い方はけっしてされない字である。