・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
孟嘗君〈もうしょうくん〉が楽毅〈がっき〉の家を訪ねる。
もっとも広い部屋に孟嘗君と従者をみちびきいれた楽毅は、躍(おど)る胸をおさえながら、言辞において喜びをあらわした。
それにいちいちうなずいた孟嘗君は、ふと淡愁(たんしゅう)をみせ、
「わしが斉(せい)にいるあいだ、将軍は中山(ちゅうざん)で戦っていた。中山王は斃死(へいし)せず、中山の民は熄滅(そくめつ)しなかった。それが中山をあずかっていた将軍の愛の表現であると、わしは臨■(りんし)にいて考えていた。将軍は、まことによくなされた。みごとであったとたれも褒めぬのであれば、ここでわしが天にとどくほどの声で褒めよう」
と、いった。いつのまにか孟嘗君の目が濡(ぬ)れている。その目をみた楽毅は、自分を囲んでいたものが音をたてて崩れはじめたように感じられた。
――ああ、このかたは、人の深奥(しんおう)がわかるのだ。
と、おもいあたるや、どっと涙があふれた。楽毅はめずらしく泣いた。孟嘗君のまえにいるから泣けたともいえる。孟嘗君も泣いている。このふたりをみて室内にいるすべての者が、涙ぐみ、とくに楽毅の手足となって生死の境を走りぬけ、苦難をしのぎにしのいできた丹冬(たんとう)と趙写(ちょうしゃ)は、背をふるわせて欷歔(ききょ)した。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】
楽毅が孟嘗君とまみえるのは留学していた時以来で二度目のこと。中山は小国であったがゆえに楽毅は将軍となってからも順風満帆とはいえぬ苦境の連続を凌(しの)いできた。将は将を知る。孟嘗君は楽毅の孤独をすくい上げるように自らの思いを述べた。美しい名場面である。
人は年を重ねるにつれて妥協を余儀なくされ、いつしか腐臭の中に身を置くようになる。自分で自分に言いわけをしながら、やがて他人に言いわけを強いるような存在に変わってゆく。戦うことをやめた瞬間から人は老いる。老いとは成長を失った姿だ。
孟嘗君と楽毅は勇猛で知られた人物だが、彼らが戦ったのは戦場だけではなかった。将は王ではない。駒(こま)のように扱われることもあった。その中で配下や民を思いやり、大義を追求した。二人は常に風雪にさらされる山頂のごとき高みにいた。
孟嘗君は楽毅の饗応に対し、細やかな配慮を見過ごすことなく応じた。これが人間と人間の出会いというものなのだろう。心浅くして人を知ることはできない。