・『科学史と新ヒューマニズム』サートン:森島恒雄訳
・『思想の自由の歴史』J・B・ビュァリ:森島恒雄訳
・魔女は生木でゆっくりと焼かれた
・魔女狩りの環境要因
・魔女狩りの心情
・魔女狩りは1300年から激化
・『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世
フランスのジェルベールは、中世における科学ルネサンスの最初の曙光として科学史の上で記念される人物であるが、当時は呪術師として有名であった。しかしそれにもかかわらず、シルヴェステル2世(999-1003年)としてローマ法王の位にすらつくことができたのである。「呪術師」は、魔女裁判時代では「魔女」となる。もう500年後だったら、法王どころでなく、焼かれたかも知れなかった。
【『魔女狩り』森島恒雄(岩波新書、1970年)以下同】
呪術と科学の親和性は、錬金術から化学が生まれたことを思えば別に不思議ではない。「化学を英語でケミストリー(Chemistry)というのが、この語源となっているのが錬金術を英語で指す言葉のアルケミー(Alchemy)なのである。近代になるまで化学と錬金術は同一視されていたのだ」(『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編)。中世は宗教から科学へと向かう季節であった。ヨーロッパでは教会が学問を支配していた。グーテンベルク革命(1439年)の後も識字率はまだ低かったことだろう。当時、科学的な発見は神の絶対性を証明するものだった。
ともあれ、以上で明らかなことは、魔女は12~13世紀ごろまではまだ安泰であったと結論できることである。
ところが、1300年を境として事態は一変する。魔女に対する教会の態度が、にわかに硬化するのである。魔女の歴史は、ここで、平穏だった古い魔女時代を終えて、不安動揺の時代に入ることになるが、その転機は「新しい魔女」の大量出現であった。
環境史的に見ればちょうど小氷期に当たっている。戦争を始めとする人類の混乱は寒さに由来すると考えてよさそうだ。
しかし、教会のこの寛容さはしだいに失われていき、12世紀の終りごろ、にわかに態度は逆転し、13世紀に入れば異端者の処罰は火刑が通則となり、審問には拷問も法皇によって許可されることになるのである。
この教会の態度の急変は、12世紀に勃発した大規模でラディカルな異端運動が教会当局に与えた深刻な衝撃、危機感であった。
様々な研究によって現在では魔女狩りの規模を縮小する傾向が強く、「近世の魔女迫害の主たる原動力は教会や世俗権力ではなく民衆の側にあり、15世紀から18世紀までに全ヨーロッパで推定4万人から6万人が処刑された」(Wikipedia)と考えられている。歴史とは現在を正当化するものゆえ、常に書き換え・更新が繰り返される。ナチスによるホロコーストの歴史ですら定かではないのだ(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン)。
ヨーロッパの歴史は血塗られている。十字軍(1096-1272年)、百年戦争(1337-1453年)、三十年戦争(1618-1648年)、そしてレコンキスタ(718-1492年)。帝国主義・植民地主義を生んだのもキリスト教であった。アングロサクソンが第二次世界大戦で勝利を収め、キリスト教世界は今尚延命している。
一神教を深く問い直す学問が必要だ。そうでなければ人類はいつまでも戦争に向かうことだろう
・欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人