2014-10-07
菅沼光弘、山嶋哲盛
1冊挫折、1冊読了。
『そのサラダ油が脳と体を壊してる』山嶋哲盛〈やましま・てつもり〉(ダイナミックセラーズ出版、2014年)/安っぽいフォントを見て、「こりゃダメだな」と思った。著者名の読みも書かれていない。そして肩書が「医学博士・脳科学専門医」と。あとは推して知るべし。念のためパラパラめくってみたが、読むに堪えず。
73冊目『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎(扶桑社、2010年)/菅沼の著書は全部読む予定。須田もなかなか侮れない。菅沼と佐藤優の違いを思う。小野田寛郎と菅沼の対談を読んでみたかった。
2014-10-05
2014-10-04
石原の言葉/『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎
・『望郷と海』石原吉郎
・石原の言葉
・『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治
・『失語と断念 石原吉郎論』内村剛介
・『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』立花隆
「ただいま」
清美さんは内心、ぼう然としていた。写真で見た父は、がっしりしてかっぷくがよかった。目の前の父は、やせ衰えてほおがこけ、歯が一本もなかった。
【『シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり』畑谷史代〈はたや・ふみよ〉(岩波ジュニア新書、2009年)以下同】
浦野清美さんは当時8歳だった。もう少し引用する。
酔って機嫌のいいとき、勝さんはごくまれに、抑留中の話をした。
「(強制収容所では)自分の物を盗まれても、盗(と)られるやつが悪い」
「食べる物がなかったから、大きいの(大便)をした後、そこに食べられるものがあればかち割って食べた」
「金歯を抜いて、黒パンと交換した」――
引揚げてきたとき、父の歯が一本もなかった理由がわかった。
ソ連という国家の本質が窺える。唯物論は人間を物のように扱うのだろう。「では、イスラエルやアメリカはどうなんだ?」と反論されたら一言も抗弁できないが。
好著である。石原の人となりをコンパクトにすっきりとまとめている。初めて知ることも多かった。
24歳で招集された石原は、すでに38歳になっていた。
復員後の混乱の日々のなかで、石原は一冊の本に出会う。第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所を生き抜いた心理学者ヴィクトール・E・フランクル(1905-97年)が、自らの体験をまとめた『夜と霧』(霜山徳爾訳・みすず書房)。石原はこの本を支えに、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)での体験を、自分自身に問い直していく。
〈私に、本当の意味でのシベリヤ体験がはじまるのは、帰国したのちのことである〉
(「『望郷と海』について」初出掲載年不明)
戦後の日本で、石原が問い返し続けた「内なるシベリア」。黙して隠し抜こうとする意志と、書き残そうとする意志のせめぎ合いのなかから、石原の言葉は生み出された。それがエッセーとして世に出るまでには、復員から16年の時間が必要だった。
単なる表現の問題ではない。一度死んだ人間が再び生き直すために失った言葉を手繰り寄せるのに要した時間だ。しかも帰国直後に鹿野武一〈かの・ぶいち〉は逝去しているのだ。石原は胸の内に鹿野の姿を浮かべ、何度も何度も対話したことだろう。
シベリアでの絶望は日本に戻ったことでより一層深くなったに違いない。抑留者の帰国はいっときのニュースでしかなかった。「よかったよかった」以上、である。石原や鹿野よりも早く日本に帰った菅季治〈かん・すえはる〉も既に自殺していた。
60万人もの同胞を見捨てたことなど多くの人々は気にしていなかった。責任を取る者など一人もいなかった。それどころか大半の引揚者が「赤のスパイ」と疑惑の眼差しで見られた。
言葉はあまりにも無力であった。そして軽すぎた。風が吹けば消え去るようなものであった。石原は石を穿(うが)つように言葉を紡いだ。再び獲得された言葉は澄明で技工とは無縁であった。そして失ったからこそわかった重みが増した。
氾濫(はんらん)する言葉の多くは最初から死んでいる。我々はもっと躊躇(ためら)い、戸惑い、沈黙を見据えながら言葉を吐くべきなのだろう。
岩波書店
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・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
山野井泰史、菅沼光弘
2冊読了。
71冊目『垂直の記憶』山野井泰史〈やまのい・やすし〉(山と溪谷社、2004年/ヤマケイ文庫、2010年)/沢木耕太郎の『凍』を読めば本書に進まざるを得ない。自由に生きる人は少なからずいる。山野井はそれに加えてきれいな生き方をしている。夫妻ともにコマーシャリズムやプロパガンダとは無縁だ。決して我慢しているわけではなく本人は「物欲がない」と言う。凍傷で大半の指を失っても山への情熱は衰えることがない。妻の妙子は元々指先を殆ど失っていたが、あのギャチュン・カンで第一関節から切断する羽目となる。それでも畑仕事をし、リハビリを重ねて料理全般を行う。幸せのあり方を深く考えさせられる。山野井が登攀するのは素人からすれば崖である。一歩誤れば死に直結する。多くの仲間が山で死んでいった。だからこそ、そこで生は輝きを放つ。クライマーは現代の僧侶であると私は考える。もちろん丸山直樹の『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』も読む予定だ。
72冊目『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)/ぶったまげた。ここまで書いて大丈夫なのか? びっくりするようなことが次々と出てくる。孫崎享の『戦後史の正体』を読んだ人は必読のこと。TPPについてこれほどわかりやすい解説もない。「スパイの見識」に驚嘆した。
2014-10-03
Anna-Wili Highfield のペーパースカルプチャー(紙の彫刻)
Anna-Wili Highfield(オーストラリア)のペーパースカルプチャー(紙の彫刻)作品。荒々しく大胆かつ大雑把な作りにもかかわらず恐るべきリアリティに満ちている。視覚の構造を深く理解することでしか生まれ得ない芸術作品だ。 pic.twitter.com/OPFJPnxzYy
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 1
Anna-Wili Highfield その二。視覚は「見えている」のではなく、意志的に見て情報を読み解いている。しかも見たいものしか見ていない。しかも後天的に培われた要素が非常に大きい。我々はなぜこの作品を狼と認識できるのか? pic.twitter.com/fGg33zZHtU
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 1
Anna-Wili Highfield その三。視覚は物語でもある。生まれつき目の見えない人が数十年後に視力を獲得すると、見たものを理解することができない。これらの人々には錯視も生まれないことがわかっている。 pic.twitter.com/Kaqca7hWsQ
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 2
Anna-Wili Highfield その四。信じ難い躍動感で迫ってくる。離れて見ればとても紙とは思えないことだろう。我々は色と形、そして動きによって生物を認識するのだろう。日本文化が立ち居振る舞いや型を重んじるのもこのためか。 pic.twitter.com/Nv2JPzJq3A
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 2
Anna-Wili Highfield その五。眼玉がないということは文字通り画竜点睛を欠いているわけだが、欠落によって我々の眼が能動的に機能する。よく見ると眼の下部分は後頭部の裏側に描き込んだ模様だろう。視覚は不足を補う。 pic.twitter.com/X0rU8Ghiog
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 2
Anna-Wili Highfield その六。人は光と影の具合によって枯れすすきが幽霊に見える。この作品が馬に見えるのも同じ原理だ。右側の馬もそれほど細密に作られているわけではない。脳が視覚を補正しているのを実感できる。 pic.twitter.com/HzqTtGmydT
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 2
Anna-Wili Highfield は視覚の魔術師だ。脳のヒダで眠っていた想像力が掻き立てられる。刺激は知のスパークとなって発火する。 pic.twitter.com/ud4C1bdX4t
— 言動力bot (@gendoryoku) 2014, 10月 2
・視覚の謎を解く一書/『46年目の光 視力を取り戻した男の奇跡の人生』ロバート・カーソン
・視覚と脳
・騙される快感/『錯視芸術の巨匠たち 世界のだまし絵作家20人の傑作集』アル・セッケル
・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない