・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・戦争を問う
・学びて問い、生きて答える
・和氏の璧
・荀子との出会い
・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
・孟嘗君の境地
・「蔽(おお)われた者」
・楚国の長城
・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
・徳には盛衰がない
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
――もっとも深いところまで行った者だけが、もっとも高いところまで行ける。
【『奇貨居くべし 飛翔篇』宮城谷昌光(中央公論新社、2000年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】
これが本書の主題である。荀子曰く「深谿(しんけい)に臨まざれば地の厚きことを知らず」と。高峰(こうほう)を極めなければ天の高さはわからないし、深い谷に下りた者でなければ大地の厚さを知ることはない。
君子曰はく、
「学は以て已むべからず。」と、
青は、之を藍より取りて、藍より青く、
氷は、水之を為して、水より寒し。
木直くして縄に中るも、輮めて以て輪と為さば、
其の曲なること規に中り、槁暴有りと雖も復た挺びざるは、
輮むること之をして然らしむるなり。
故に、木、縄を受かば則ち直く、金、礪に就かば則ち利く、
君子博く学びて日に己を参省せば、
則ち智明らかにして行ひに過ち無し。
故に高山に登らざれば、天の高きを知らず、
深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、
先王の遺言を聞かざれば、学問の大なるを知らざるなり。
干越夷貉の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、
長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして然らしむるなり。
【青はこれを藍より取りて藍より青し 勧学篇第一より】
先ほど探り当てたページである。本書はこの部分を小説化したといっても過言ではない。そう思い至ってページを繰ってみると、荀子との出会いに始まり、様々な場面にこの教えが散りばめられている。
「知る」という行為の深さには行動が伴う。「人は天空を飛べない。そのことがほんとうにわかっているのは、この世で、わしくらいなものだ」(火雲篇)と荀子は語っている。つまり限界を知った上で自らの意志を働かせながら行動した者だけが「知る」ことができる。過去の経験から学ばぬ者は多い。「経た」ことは「知った」ことにならない。
「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と孔子は説いた。牽強付会(けんきょうふかい)ではあるが、「好む」は感情であり「楽しむ」は意志であると読みたい。すなわち真に「知る」者とは「楽しむ」者である。
一流の登山家が生きとし生けるものを拒む高みを目指す。実際には苦しいだけの営みだ。だがそこに「楽しみ」がある。つまり苦しみを通らずして楽しみを味わうことはできない。
人知れず苦労をし、暗闇の中を一人歩むことが人生には必ずある。その時、自分の魂を青々と染め上げている自覚を失ってはならない。