2015-03-09

神話には時間がなかった/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽

 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操

 神話は、このようにしてつねに現実と重なり合うがゆえに、そこには時間がなかった。語部(かたりべ)たちのもつ伝承は、過去を語ることを目的とするものではなく、いま、かくあることの根拠として、それを示すためのものであった。しかし古代王朝が成立して、王の権威が現実の秩序の根拠となり、王が現実の秩序者としての地位を占めるようになると、事情は異なってくる。王の権威は、もとより神の媒介者としてのそれであったとしても、権威を築きあげるには、その根拠となるべき事実の証明が必要であった。神意を、あるいは神意にもとづく王の行為を、ことばとしてただ伝承するのだけでなく、何らかの形で時間に定着し、また事物に定着して、事実化して示すことが要求された。それによって、王が現実の秩序者であることの根拠が、成就されるのである。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 つまり民俗宗教から王朝型(≒都市型)宗教へと変遷する過程で「文字」が必要となったということなのだろう。すなわち「文字」とは歴史そのものである。権力の正当化を後世に示す目的で生まれたと理解することができる。

 それにしても神話には「時間がなかった」という指摘が鋭い。神話は現在進行形のメディアであった。そこに「再現可能な時間」を付与したのが文字なのだ。こうして神話は歴史となった。ヒトの脳は伝統に支配され、人類は歴史的存在と化したわけだ。

 ヒトの群れは文字によって巨大化した。文字の秘めた力が国家形成を目指すのは必然であった。インターネット空間も文字に覆(おお)われている。世界宗教も文字から生まれたと見てよい。

 文明を象(かたど)っているのも文字である。であれば英語化による文化的侵食を食い止める必要があろう。言葉の衰退が国家の衰亡につながる。英語教育よりも日本語教育に力を注ぐべきだ。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)

2015-03-08

言葉と神話/『漢字 生い立ちとその背景』白川静


『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽

 ・言葉と神話
 ・神話には時間がなかった
 ・言霊の呪能
 ・風は神の訪れ

『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
『野口体操 マッサージから始める』羽鳥操
『「野口体操」ふたたび。』羽鳥操

「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。たしかに、はじめにことばがあり、ことばは神であった。しかしことばが神であったのは、人がことばによって神を発見し、神を作り出したからである。ことばが、その数十万年に及ぶ生活を通じて生み出した最も大きな遺産は、神話であった。神話の時代には、神話が現実の根拠であり、現実の秩序を支える原理であった。人々は、神話の中に語られている原理に従って生活した。そこでは、すべての重要ないとなみは、神話的な事実を儀礼としてくりかえし、それを再現するという、実修の形式をもって行なわれた。

【『漢字 生い立ちとその背景』白川静〈しらかわ・しずか〉(岩波新書、1970年)】

 碩学(せきがく)が60歳で著した第一作である。その独自性ゆえ学界の重鎮たちから非難の声が上がった。白川学は異端として扱われた。

 しかしたとえば立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的閉鎖の際も、それまでと全く同様、午後一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。
 団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明かりが気になって仕方がない。
 その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。たった一人の偉丈夫の存在が、その大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。

【『わが解体』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(河出書房新社、1971年/河出文庫、1980年)】

 高橋和巳を立命館大学の講師として採用したのは白川であった。尚、白川本人は「殴られたのではない。殴られかけて逃げたというのが真相だ」と語っている。「象牙の塔」は悪い意味で用いられるが、一道に徹する姿勢が凄まじい。

 西洋キリスト教世界においては「言葉が全て」である。彼らは「言葉にならない世界」を断じて認めない。それゆえ言葉は形而上を目指して人間から遠ざかっていったのだ。フロイトが着目した深層心理が目新しいものとして脚光を浴びたのも、こうした背景があるためだ。あんなものは唯識の序の口のレベルである。

 書くことは、欠く、掻く、画く、描くに通じるかくこと。土地をかくことが「耕」。「晴耕雨読」は、耕すことが書くことを含意し、東アジア漢字(書)言語圏に格別の言葉である。

【『一日一書』石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉(二玄社、2002年)】

 尚、神話と意識のメカニズムについては、ジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』が詳しい。

漢字―生い立ちとその背景 (岩波新書)一日一書