自分の理想を表現できる役者などほとんどいない。われわれには長所もあるし才能もある。夢も野心もある。しかし、長い間見ていても、そうした理想が具体的に表現されている例は少ない。数日が数カ月になり、数年になり、ようやく(残念ながら決定的になった時点で)人生を振り返り、今まで何をやってきたのかと頭をひねるのが普通である。
皆さんもそうだろう。「どうして闘う人間になれなかったんだろう。もしかしたら違う人生を生きていたかもしれないし、自分の理想を表現する役者になって、その実現を謳歌していたかもしれないのに」と、中高年者は過去を振り返る。
【『悩めるトレーダーのためのメンタルコーチ術 自分で不安や迷いを解決するための101のレッスン』ブレット・N・スティーンバーガー:塩野未佳〈しおの・みか〉訳(パンローリング、2010年)以下同】
巧妙な詐欺師を思わせる文章だ。アメリカ人はプレゼンテーション能力が優れている。しかもブレット・スティーンバーガーは医科大学で精神医学と行動科学を教える准教授で臨床心理学博士という人物。ま、他人を操るのが仕事といってよい。タイトルに「メンタルコーチ術」とあるが正確にはセルフコーチング術である。動機の分析・修正・方向付けによって行動を変えるところに目的がある。
良書だが乗せられてはいけない。著者は実社会で実現し得なかった自己実現が、あたかもマーケットでは可能であると読者に思わせたいのだろう。甘い、まったく甘いよ。マーケットの勝者は15%とされる。殆どの人々が苦渋を味わい、辛酸を嘗(な)め、敗れ去るといった点で実社会と何ら変わらない。ただしマーケットでは自由と平等が保証されている。買うのも売るのも自由だし、するしないも自由だ。
自由競争が資本主義の原理である。だが実態は異なる。倒れかかったメガバンクや大企業には税金が投入され、会社内では同族が優遇され、学歴・資格・試験によって走るコースが変わる。スポーツの世界ですら自由競争が行われているかどうか怪しい。才能や技術よりも、カネやチームの都合が優先する。芸術の世界は多分スポーツよりも劣る。パトロンやコネ、賞などに支配されていることだろう。
それでも義務教育を振り返ればわかるが、やはりスポーツ・芸術・学問は自由な競争が行われていると考えてよい。もちろん生まれ持った才能や素質はあるものの、周囲の評価は共通している。そして努力が報われる世界でもある。
社会全般における競争はカネに換算される。資本主義はカネ(≒資本)の奪い合いをする世界の異名だ。学校法人や宗教法人までもが広告を打つのはそのためだ。あらゆる言葉がマーケティングを志向し、結果的にプロパガンダと化す。大衆消費社会は広告という嘘によって扇動される。
そして自己を実現するのもまたカネである――と思い込まされるのが資本主義の罠だ。っていうか、「実現されるべき自己がある」と思っている時点で既にやられている。そんなものはない。今の自分が全てだ。他人と比較して自分に欠けたものを見出すことに意味はない。できないことは、できる人にやってもらえばいいのだ。
日本人の大半は投資をしていない。でも、実は本人に代わって銀行や保険会社が運用している。自分で運転できないから、タクシーやバスを利用しているようなものだ。
投資やマーケティングに関する書籍は生々しい言葉で競争の本質を描くところに魅力がある。
頭脳には手とまったく同じパワーがある。世界を支配するだけでなく、それを変革するパワーが。
――コリン・ウィルソン
こんな言葉が出てくるのだから、やはり侮れない。
パンローリング
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