2015-10-06
アメリカは世界経済に寄生
「あの国(米国)は借金暮らしをしている。だが、収入に見合った生活をせずに、責任の重さを他国に移している。いわば『パラサイト(寄生生物)』のような生き方だ」(ウラジミール・プーチン)ロシア中部のセリゲル湖畔で行われた与党支持・青年運動組織「ナーシ」のサマーキャンプにおける講演(AFP 2011年08月02日)
2015-10-05
渡邊博史、他
10冊挫折、1冊読了。
『決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』ガルリ・カスパロフ:近藤隆文訳(NHK出版、2007年)/やはりルールがわからないのが難点。
『宇宙論と神』池内了〈いけうち・さとる〉(集英社新書、2014年)/文章が冴えない。
『もう日は暮れた』西村望〈にしむら・ぼう〉(立風書房、1984年/徳間文庫、1989年)/霧社事件を描いた小説。ぱっとせず。
『ギリシア人ローマ人のことば 愛・希望・運命』中務哲郎〈なかつかさ・てつお〉、大西英文(岩波ジュニア新書、1986年)/これほど酷い箴言集は初めてのこと。見開き冒頭に掲げた言葉にさほど価値を見出だせない。岩波ジュニア新書は当たり外れが大きい。
『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ:岡田朝雄〈おかだ・あさお〉訳(草思社、2006年)/手塚富雄訳を超えるものではない。
『白川静さんに学ぶ漢字は怖い』小山鉄郎〈こやま・てつろう〉(共同通信社、2007年/新潮文庫、2012年)/半分ほど読む。前著より勢いに欠ける。
『働かないアリに意義がある』長谷川英祐〈はせがわ・えいすけ〉(メディアファクトリー新書、2010年)/冗長。
『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』重松清、渡辺考〈わたなべ・こう〉(講談社、2004年/講談社文庫、2007年)/NHKのテレビ番組を書籍化したもの。一粒で二度おいしいってわけだ。実は重松清が苦手である。ま、茂木健一郎との対談しか読んだことがないのだが。テレビ局としてはいい仕事をやり遂げたとの手応えがあったのだろう。書籍に価値は感じられない。
『インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。』桜の花出版編集部(桜の花出版、2006年)/イデオロギーに基づく出版社と判断した。今後「桜の花出版」の本は読まない。デヴィ夫人の文章だけ読む。
『子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎〈すぎやま・としろう〉(学研のヒューマンケアブックス、2007年)/杉山は発達障害の権威らしい。海外の研究や事例も豊富だ。しかし人間性が伝わってこない。そもそも書籍タイトルが致命的な失敗で本来なら「被虐という第四の発達障害」にすべきである。私は当初「児童虐待をする親が発達障害なのか」と思い込んだ。高橋和巳と一緒に読んだのが運の尽きであった。
122冊目『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史〈わたなべ・ひろふみ〉(創出版、2014年)/昨日の夕方手に取ってそのまま読了。まさに「巻を措く能(あた)わず」状態。お笑い芸人が芥川賞を受賞する時代である。犯罪者に直木賞を与えてもよかろう。それほどの衝撃があった。私はネットで渡邊の最終意見陳述書を知り、あまりの面白さに目を剥(む)いた。そして本書を開きシンクロニシティに驚愕した。渡邊は私が今紹介している高橋和巳著『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』を拘留中に読み、自分の過去の物語を上書き更新したのだ。彼は親から虐待され、学校ではいじめられ続けた。いじめは塾でも行われたという。『創』編集長の篠田博之から本の差し入れの相談を受けた香山リカが薦めたのが上記杉山本と高橋本であった。渡邊は高橋本を読むことで秋葉原無差別殺傷事件の加藤被告の動機まで理解できたと語る。高橋が「異邦人」というキーワードで被虐者の心象を示したのに対し、渡邊は「生ける屍」「埒外の民」「浮遊霊」「無敵の人」という造語に置き換える。彼が犯罪に手を染めるきっかけになったのは「上智大学」という言葉であった。言ってみれば言葉に翻弄された男が言葉によって過去から解放されるドラマが描かれている。説明能力の高さ、語彙の豊富さからも渡邊の頭のよさが伝わってくる。時折見せる剽軽(ひょうきん)さに終始笑いを抑えることができなかった。私が渡邊だったら、いじめた相手か小学校の教師を殺しに行ったことだろう。
2015-10-04
「知る」ことは「離れる」こと/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・被虐少女の自殺未遂
・「死にたい」と「消えたい」の違い
・虐待による睡眠障害
・愛着障害と愛情への反発
・「虐待の要因」に疑問あり
・「知る」ことは「離れる」こと
・自分が変わると世界も変わる
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
・『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
・必読書リスト その二
今まで気づかなかった自分を知ることこそが真の「自己受容」になり、それによって古い認知や生き方の中で悩んでいた自分が解放され、治療されるのだ。
では、心にとって「知る」とはどういうことかといえば、それは、「離れる」ことである。
子どもが生まれ育った自分の家(住宅)を知るのは、歩けるようになって外から家を見た時である。家から離れて初めて自分の家が友だちの家と違うと分かり、自分の家を知る。何かを「知る」ことは、それから「離れる」ことである。
【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】
離れなければ見えない、との指摘に眼から鱗が落ちる。37歳の男性の体験談が紹介されている。彼は高橋の指摘で初めて自分が虐待されてきたことを理解した。そして母親に知的障害があることを知った。その日の夜は眠れなかった。妻には「とてもショックなことがあった。でも、それは悪いことじゃないから心配はいらない、もう少し一人にさせておいてくれ」と告げた。男性はベッドで横になったまま次の日も眠れなかった。妻が救急車を呼ぼうとすると「大丈夫だ。心は死んだけど、体は生きているから」と応じた。そのまま4日間もの間、一睡もしなかった。
ある種の悟り体験といってよい。虐待と知的障害とのキーワードが彼の人生の不可解だった部分を理由のある物語に変えたのだろう。それまでの人生の構成が劇的に転換された。物語には一本の筋が通ったものの、それは悲劇であった。
幼い日に身につけた自己防衛の術(すべ)が大人になっても尚、認知を歪める。避けることなどでき得なかった矛盾であろう。
「母とのつながり」、愛着関係を信じようとしてきたファンタジーが崩壊した。ないものを「ある」と思って生きてきた。でも、「ない」と分かったら、同時に義務感が消え、自分を責めなくなった。彼を縛ってきた規範がその力を失ったのだ。
しかし、その代わりに頼るべきもの、人生の指針となるものもなくなった。人生を理解できなくなり、「ただ見ている」という視点だけが残った。宙に浮いた心はただ現実を見ていた。愛着や自己愛や信頼の中から自分と人とのつながりをみ(ママ)るのではなく、そこに戻れない彼は、いつの間にか心理カプセルからも辺縁の世界からも離れて人生を見ていた。
心は宙に浮いたままであったが、もう一人の自分が実況中継をするようになっていた。つまり彼は誰から教わることなくヴィパッサナー瞑想(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司、宝島社、2004年)を実践していた。クリシュナムルティが説く「見る」とも合致している。
瞑想とは
あるがままに ものを見ることであり
それを超えていくことです
【『瞑想』J・クリシュナムルティ:中川吉晴訳(UNIO、1995年)】
ところが、どんなにわずかでも、自分を知りはじめたとたんに、創造性のとてつもない過程がすでに始まっているのです。それは、実際のありのままの自分がふいに見えるという発見です――欲張りで、喧嘩好きで、怒って、妬んで、愚かなものなのです。事実を改めようとせずに見る、ありのままの自分をただ見るだけでも、驚くような啓示です。そこから深く深く、無限に行けるのです。なぜなら、自覚に終わりはないからです。
【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】
知識や概念、はたまた哲学・宗教を通せば、ありのままの自分は見えない。【あるべき】自分は本当の自分ではない。社会は様々な役割を押し付けるが十分な演技力がないと抑圧される。役が身分を決めるのだ(安冨歩/『日本文化の歴史』尾藤正英、岩波新書、2000年)。
彼は突然手に入れた自由に戸惑い、そして怯えた。だがその後、全く新たな存在となる。彼は過去から離れ、欲望から離れることで変容したのだ。
2015-10-01
小室直樹、高橋和巳、中川雅之、加藤祐三、小山鉄郎、小林よしのり、田原総一朗、他
2冊挫折、7冊読了。
『科学の考え方・学び方』池内了〈いけうち・さとる〉(岩波ジュニア新書、1996年)/講談社科学出版賞受賞。文章に切れがない。
『日本の独立』植草一秀(飛鳥新社、2010年)/「悪徳ペンタゴン」という言葉がよくない。視点が明らかに偏っている。行間にルサンチマンが漂う。
115冊目『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗(ぶんか社、1999年/幻冬舎文庫、2001年)/今読むとやはり小林に軍配が上がる。田原総一朗はジャーナリストというよりも、ただのテレビマンであり、本質は言論プロレスラーにすぎないことがよく理解できる。この世代でこれほど礼儀を欠く人間も珍しいし、極めて罪悪感に乏しいタイプの人物である。単なる戦争嫌いが近代史の俯瞰を困難にしている。主要番組がテレビ朝日であるのも腑に落ちる。
116冊目『日本を貶めた10人の売国政治家』小林よしのり編(幻冬舎新書、2009年)/保守系論客による座談会。アンケートは一見の価値あり。国益を損なう首相の多さに目を覆いたくなる。
117冊目『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい』白川静監修、小山鉄郎〈こやま・てつろう〉編(共同通信社、2006年/新潮文庫、2009年)/意外にも硬派な内容で、ページ上部の古代文字と図が参考になる。連載記事らしいが毎回白川に取材したとのこと。部首ごとにまとめられていて漢字の関係性がよくわかる。
118冊目『幕末外交と開国』加藤祐三(講談社学術文庫、2012年)/某テレビ番組は本書を題材にしていることがわかる。ペリーと林大学頭〈はやしだいがくのかみ〉とのやり取りは実にスリリングで当時のインテリジェンス能力の高さを示す。幕末の首脳は現代の政治家よりもはるかに外交能力に長(た)けていた。文章もよく、内容も濃く類書を圧倒している。「日本の近代史を学ぶ」に加えた。
119冊目『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之(日経BP社、2015年)/新刊。これは良書。中川は日経新聞社からの出向組のようだが、かような良心をもつ人物がいることに驚く。文章に切れがあり、インタビューする人物も選り抜きといってよい。日経BP社では企画の段階から反対されたという。読者層を考慮すればそれも当然だろう。しかし中川はたった一人で優れた新聞連載を上回る仕事を成し遂げた。ジャーナリストの魂をもつ若い記者がいる事実に快哉を上げたい。
120冊目『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)/摂食障害は母子関係に原因があるという。初めて知った。確かイーサン・ウォッターズ著『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』では、ほぼ世界同時進行で広まったと書いてあったように記憶する。最終章の悟り体験が忘れられず。必読書入り。
121冊目『日本人のための憲法原論』小室直樹(集英社インターナショナル、2006年/同社、2001年『痛快!憲法学 Amazing study of constitutions & democracy』改題)/編集の勝利。小室特有の文体的臭みをほぼ完璧に脱臭(笑)。講義形式にすることで驚くほど読みやすくなっている。しかも憲法論にとどまらず宗教学・歴史・社会学・経済学をも網羅。結果的には8割方のページに付箋をつける羽目となった。本年度暫定2位。これまた必読書入り。
2015-09-30
「虐待の要因」に疑問あり/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
・『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
・『生きる技法』安冨歩
・『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳
・被虐少女の自殺未遂
・「死にたい」と「消えたい」の違い
・虐待による睡眠障害
・愛着障害と愛情への反発
・「虐待の要因」に疑問あり
・「知る」ことは「離れる」こと
・自分が変わると世界も変わる
・『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
・『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
・必読書リスト その二
母子の愛着関係が成立していれば、虐待は起きない。
なぜかというと、母親は子どもの痛み、苦しみ、辛さを我がことのように感じてしまうからだ。
子どもが怪我をして泣いていれば、母親は子ども以上にその痛みを感じてしまうので、わが子に暴力を振るい続けることはできないし(身体的虐待は起こりえない)、子どもが寒がっていれば母親はその寒さを感じてしまうから、自分の服を脱いででも子どもを守る(ネグレクトが起こりえない)。子どもがひどく落ち込んでいれば母親は自分の責任のようにそれを感じるから、「どうしたの」と声をかける(心理的虐待が起こりえない)。まして、女の子の尊厳を潰してしまう性的虐待が起こりそうであれば、母親は命をかけてでも娘を守る(性的虐待が起こりえない)。
だから、愛着関係が成立しているごく「普通の」家庭では、児童虐待は起こりえないのだ。そして、愛着関係はごくあたりまえの母子関係なので、誰もそれが「ない」ことを想像できない。
これが、多くの人が虐待を理解できない最大の理由である。
しかし、愛着関係が成立していない家庭があるのだ。
愛着関係が成立しない要因はいくつかあるが、その中でもっとも多いのは、虐待をする母親・父親に何らかの精神的な障害がある場合である。具体的には、
1.知的障害
2.知的障害以外の発達障害のあるタイプ
3.重度の精神障害
などである。
【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】
実に危うい記述である。愛着理論というモデルの前提が判断基準になっており、データが一つも示されていない(愛着障害については「ハーローによるアカゲザルの愛着実験」などの異論もある)。たとえ臨床から導かれた結論であったとしても一人の医師が扱う臨床例は数が制限される。高橋は多少それを自覚しているのだろう。「虐待の要因」とせずに「愛着関係が成立しない要因」と書いている。また精神障害と知的障害は異なる。文章の揺れが目立つ。
この言い分を真に受ければ、虐待を根絶するためには「三者の出産制限」となりかねない。共感能力の欠如と知的障害・精神障害に相関性があるという事実を示さなければ正当とは言い難い。善悪の規範が曖昧という観点から私はむしろサイコパシー(精神病質)度をチェックする方が有効であるように思う。
例えばアメリカでは「家庭内で一人の子供が虐待される場合、それは父親と似てない子供である確率が高い」というデータがある(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ、2000年)。中世に至るまでの戦争や紛争で負けた方は男と子供は全員殺され、女は獲得物とされた。要は「敵の遺伝子は滅ぼす」ということなのだろう。「父親と似てない」ことは「他人の子」であるサインと受け止められることは確かにあり得る。
高橋は被虐者独特の言葉遣い(「死にたい」ではなく「消えたい」など)から彼らの感覚世界が常人とは懸け離れていることに思い至る。そんな彼らを「異邦人」と呼ぶ。この呼称についても私は終始違和感を覚えてならなかった。異なる世界を生きてきたから外国人や宇宙人のように見つめることは差別につながりかねない。異なる世界を生きてきたのは彼らが望んだことではないのだ。彼らはサバイバーであり、鞭打たれた者である。だからといって特に別称で呼ぶ必要はないだろう。
M・スコット・ペック著『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』が1996年に刊行され、マリー=フランス・イルゴイエンヌ著『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』が1999年、そしてマーサ・スタウト著『良心をもたない人たち 25人に1人という恐怖』が出たのが2006年であった。アメリカでは25人に1人がソシオパスと推測された。
日本社会でもパワハラ、セクハラ、モンスターペアレントなどの言葉が台頭した。サイコパス、境界性人格障害、ソシオパス、アスペルガー障害、発達障害などが広く認知された。個人的にはテレビの影響が大きいと考える。テレビが先鞭(せんべん)をつけ、病める心理を拡大再生産しているように思えてならない。テレビが社会の規範となることでモラルを崩壊する。公器で許されることは家庭でも学校でも社会でも許されてしまう。その意味では、現代のいじめもテレビが発明したものかもしれない。
・精神科医がたじろぐ「心の闇」/『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック
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