2015-11-25

小林よしのり


 1冊読了。

 160冊目『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集(産経新聞出版、2010年)/靖国神社で販売されている『英霊の言乃葉』の第1~9輯(しゅう)の選集。産経新聞出版社が小林に選者を依頼した。一気に読むこと能(あた)わず。私は北海道で生まれ育った。北海道民の多くは移住者や引揚者で住んでから4世代ほどしか経っていない。先祖や家という概念が稀薄で、離婚率が高い理由もそこにあるのだろう。その私が生まれて始めて「父祖の思い」を知った。靖国神社に祀られている英霊は国事に殉じた人々で、ペリー来航から大東亜戦争までの期間に及ぶ。これすなわち日本の近代化に殉じた人々と言い換えてもよかろう。私は敢えて本書を薦めない。特攻隊や死刑となった人々の生きざまが台風のごとく読み手の感情を翻弄する。その激しい風に耐え、両足を知性という大地に下ろすことのできる者のみが読むべきであろう。まして本書の言葉を声高に吹聴する輩など断じて信用すべきではない。飽くまでも自分が向き合う言葉なのだ。併せて読むべきは『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』日本戦没学生記念会編、『今日われ生きてあり』神坂次郎、『月光の夏』毛利恒之、『新編 知覧特別攻撃隊』高岡修編、『保守も知らない靖国神社』小林よしのり、『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編など。

上野正彦、周東寛、他


 2冊挫折、2冊読了。

金融世界大戦 第三次大戦はすでに始まっている』田中宇〈たなか・さかい〉(朝日新聞出版、2015年)/ウェブサイトの記事をまとめたもの。恐ろしく読みにくい。ページ下の余白も気になる。

ありふれた祈り』ウィリアム・ケント・クルーガー:宇佐川晶子〈うさがわ・あきこ〉訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2014年)/「もしもし」(13ページ)は致命的な翻訳ミス。翻訳というよりは日本語の問題である。「もしもし」は電話を掛けた人が使う言葉で、受けた人が言うのは誤り。「もしもし、道をお尋ねしますが」のもしもしと一緒だ。もともとは「申し申し」。早川書房の校正の甘さを嗤(わら)う。

 158冊目『糖尿病・高血圧・脂肪太り ぜんぶよくなるタマネギBOOK』周東寛〈しゅうとう・ひろし〉監修(GEIBUN MOOKS、2010年)/芸文社の月刊誌『はつらつ元気』から派生したムック本。画像とフォントのバランスがよい。記事も及第点。最近読んできたタマネギ本の中では一押し。周東寛は南越谷健身会クリニック院長。書籍タイトルや体験談が薬事法を踏み越えているが、ま、ご愛嬌ということで。

 159冊目『自殺の9割は他殺である 2万体の死体を検死した監察医の最後の提言』上野正彦(カンゼン、2012年)/良書。ラストメッセージの味わいあり。上野は1929年生まれ。もの言わぬ死体のメッセージを上野が翻訳する。いじめ自殺に寄り添う心が胸を打ってやまない。

2015-11-23

朝倉慶、落合莞爾、井上章一、他


 3冊挫折、2冊読了。

つくられた桂離宮神話』井上章一(弘文堂、1986年/講談社学術文庫、1997年)/批判のあり方としては王道を歩む本である。「桂離宮の発見者」と目されているブルーノ・タウトだが、その前後の美術界における言動を詳細に検証する。この手法は歴史や宗教にも応用されてしかるべきだ。中ほどまで読むも、同じような話の繰り返しが目立つ。併読する書籍が少なければ読み終えたことだろう。

フライパンでつくる 美腸 グラノーラ』小林暁子〈こばやし・あきこ〉(角川SSCムック、2014年)/本の構成が悪い。判型も妙に横幅が長い。テキストのバランスが悪く読むに堪えないクソ本である。やたらと店の紹介をするのもおかしい。立ち読みで十分だ。

堕ちた庶民の神 池田大作ドキュメント』溝口敦(三一書房、1981年)/『池田大作 「権力者」の構造』の増補版であった。池田の会長辞任を巡って再商品化したのだろう。

 156冊目『逆説の明治維新』落合莞爾監修(別冊宝島、2015年)/なかなか面白かった。明治維新の全体的な流れがよくわかった。落合は徳川慶喜を高く評価する。戊辰戦争(1868-69)については薩長土の低い身分の者どもを士族に引き上げる報奨を与える目的があったと指摘。いくばくかの疑問あり。

 157冊目『もうこれは世界大恐慌 超インフレの時代にこう備えよ!』朝倉慶〈あさくら・けい〉(徳間書店、2011年)/この人の情報は部分的に読むのが正しいと思われる。とにかく芸風が酷い。ひたすら投資家の不安を煽る手口で怪文書並みの文体となっている。「奥さん、大変ですよ!」ってな感じだ。その軽さが信用ならない。まして巻末で船井幸雄を持ち上げるに至っては何をか言わんやである。炎上商法の亜流か。

歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一


『逝きし世の面影』渡辺京二
『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織

 ・歴史という名の虚実

『武家の女性』山川菊栄
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『國破れてマッカーサー』西鋭夫

 私はこの世に歴史はないと思っている。
 電車は通過しても線路の上に存在するが、事象は通過したとたんに消えてなくなる。残るのは、怪しげな書簡と危うい遺跡と心許(こころもと)ない口伝(くでん)だけだ。それもごくわずか、米粒のごときである。国の支配者はそれをいいことに好き放題料理する。虚を実にし、実を虚にして都合よく造っていくのだ。小説家もまたしかりだ。その陽炎(かげろう)にも似た米粒を拾い集めて、自分の歴史などというものを描くのである。

【『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一〈かじ・まさかず〉(祥伝社文庫、2009年/祥伝社、2006年『あやつられた龍馬 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』改題)以下同】

 E・H・カーが「すべての歴史は『現代史』である」とのクローチェの言葉を挙げ、「歴史とは解釈である」と言い切る(『歴史とは何か』1962年)。また「歴史は武器である」(『歴史とはなにか』2001年)という岡田英弘の指摘も見逃せない。つまり「歴史は勝者によって書かれる」(『中国五千年』陳舜臣、1989年)のだ。

 偽勅と偽旗(錦の御旗の偽造)によって成し遂げられた明治維新は薩長なかんずく長州の歴史といってよい。その後「陸の長州、海の薩摩」といわれ日本は戦争へ向かう。

 明治維新を決定づけたのが薩長同盟であり、その立役者が坂本龍馬であった。本書では龍馬暗殺についても驚くべき想像を巡らせている。龍馬を英雄に持ち上げたのは司馬遼太郎であるが、最近の明治維新ものでは極めて評価が低い。「グラバー商会の営業マン」「武器商人」といった見方をされている。余談になるが勝海舟もさほど評価されていない。

「薩摩藩など新政府側はイギリスとの好意的な関係を望み、トーマス・グラバー(グラバー商会)等の武器商人と取引をしていた。また旧幕府はフランスから、奥羽越列藩同盟・会庄同盟はプロイセンから軍事教練や武器供与などの援助を受けていた」(Wikipedia)。苫米地英人は「もっとはっきりいえば、当時の財政破綻状態のイギリスやフランスの事実上のオーナーともいえたイギリスのロスチャイルド家とフランスのロスチャイルド家が、日本に隠然たる影響力を行使するため、薩長勢力と徳川幕府の双方へ資金を供給したと見るべきなのです」(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』2008年)と指摘する。

「ヨーロッパに銀行大帝国を築いたロスチャイルド家の兄弟の母は、戦争の勃発を恐れた知り合いの夫人に対して『心配にはおよびませんよ。息子たちがお金を出さないかぎり戦争は起こりませんからね』と答えたという」(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉、1996年)。戦争の陰にロスチャイルド家あり。

 本書はロスチャイルド家については触れていないが、イギリス諜報部が青写真を描き、フリーメイソンが志士たちをバックアップした様子が描かれる。

 この時代、すなわちボストン茶会事件からフランス革命までの間に、ゲーテが『若きヴェルテルの悩み』でドイツ人のハートをつかみ、ハイドンが「交響曲ハ長調」を発表。イギリスの歴史家ギボンが、かの勇名な『ローマ帝国衰亡史』を著(あらわ)し、モーツァルトが「交響曲39、40、41番」で、ヨーロッパの貴族たちを酔わせている。
 一見、なんの関係もない歴史的事実の羅列のようだが、そこにはある共通した結社が一直線に駆け抜けている。
 フリーメーソンである。
 ボストン茶会事件は、大勢のフリーメーソンが「ロッジ」と呼ばれる彼らの集会場から飛び出して引き起こしたものだし、意外かもしれないが、ゲーテ、ハイドン、ギボン、モーツァルト、彼らはみなまぎれもない、フリーメーソンである。
 アメリカの独立戦争、およびフランス革命。
 世界の二代革命の指導者層には、圧倒的多数のメンバーが座っており、ジョージ・ワシントンはフリーメーソン・メンバーの栄(は)えあるアメリカ初代大統領である。こう述べれば眉に唾を付ける人がいるが、私がフリーメーソンだという裏付は公式文書である。それ以外の人物は断言しない。

 ブログ内検索の都合上「フリーメイソン」と表記する。フランス革命のスローガンである「自由・平等・博愛」は元々フリーメイソンのスローガンであった(『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳〈かわむら・あつのり〉、グループ現代、2000年)。

 本書によれば本来の石工組合を実務的メイソン、その後加入してきた知識人たちを思索的メイソンと位置づける。西洋社会を理解するためにはキリスト教と結社の歴史を理解する必要がある。フリーメイソンはキリスト教宗派を超えた結社であったという。となれば当然のようにユダヤ人的国際派志向が窺えよう(『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫、2014年)。キーワードは金融か。

 読み物としては十分堪能できたが、如何せん誤謬がある。本書ではグラバーをフリーメイソンと断定してはいないが、グラバー邸にあるフリーメイソンのマークが刻まれた石柱を傍証として挙げる。ところがこれは後に移設されたものである(Wikipedia)。瑕疵(かし)とするには大きすぎると思う。

野生動物の自己鏡像認知


 鏡に映った自分を認識できる能力を自己鏡像認知という。これができる動物としてはヒト(2歳児未満を除く)、ボノボ、チンパンジー、オランウータン、バンドウイルカ、アジアゾウ、カササギなど。ブタやイカにもある。マークテストやルージュテストで判断する。眠っている間に顔などへマーキングをし、マークに対する反応を見るもの。「但し、鏡像認知が自己意識の指標であるのか、低次な自己身体の認識の指標であるのかについては議論がある」(森口佑介、板倉昭二、2013年)。私は社会性の上から捉えることが正しいと思う。「鏡に映った自分を認識できる」ことは他人の目を意識できることを示す。ここに学習の可能性があるのではないか? 我々が日常生活の中で鏡を前にして身だしなみを整えるのも社会性の現れである。西洋においては他人の目どころか神の目まで設定した。群れ+学習を社会性といってよいだろう。






人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見
高砂族にはフィクションという概念がなかった/『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝