・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・占いは未来への展望
・アウトサイダー
・シナの文化は滅んだ
・老子の思想には民主政の萌芽が
・君命をも受けざる所有り
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
秦によって天下が統一されるまえは、地方の郷里には自治権があった。それが支配される者のゆとりであり、精神の自律というものであった。ところが、始皇帝の時代になると、全土の民が始皇帝に直属するようになったといってよく、皇帝と庶民のあいだにいる官吏は、人ではなく法律の化身である。この窒息しそうな現状を嫌う者は、自立したくなるのであるが、移住することや職業を変えることはたやすくゆるされず、けっきょくそういう制度と対立する者たちは、法外の徒となり、盗賊になってしまうということである。それゆえ、この時代に盗賊になっている者は、卑陋(ひろう)とはいえない、いわば革命思想をもった者もいたのである。
【『香乱記』宮城谷昌光(毎日新聞社、2004年/新潮文庫、2006年】
アウトロー(無法者)とアウトサイダーの違いか。日本だと悪党・傾奇者(かぶきもの)・浮浪人・旗本奴(はたもとやっこ)・町奴(まちやっこ)というやくざ者の流れがあるが、徳川太平の世にあって権力の統制下に置かれていたような気がする。侠客と呼んだのも今は昔、任侠は東映のやくざ映画で完全に滅んだといってよい。既に亡(な)いから映画を見て懐かしむのである。
法治国家には官僚をはびこらせるメカニズムが埋め込まれているのだろう。士業がそれに準じる。国家試験も法律から生まれる。そして法の仕組みを知る者がインナー・サークルを構成するのだ。貧富の差が激化する現状は派遣社員やパート労働者をアウトサイドすれすれにまで追い込んでいる。
現代においては移住することも転職することも自由だ。もしもあなたが「窒息しそうな現状を嫌う者」であるならば、速やかにこの二つに着手することが正しい。「逃げる」のではなくして「離れる」のだ。簡単ではないかもしれぬが、自分の力で足が抜けるうちに行動を起こすべきだ。
いじめを回避するために転校する小学生は珍しくない。大人だって一緒だ。何らかの重圧を回避せずして人生を輝かすことは難しいだろう。
グローバリゼーションによって多国籍企業が平均的な国家を凌駕する力と富を手に入れた結果、革命はテロに格下げされた。実力行使の覚悟を欠いたデモはお祭り騒ぎに過ぎない。個別テーマへの反対はあっても「世直し」というムードが高まることはない。国内の治安が維持されればフラストレーションは外国に向かって吐き出される。反中・反韓感情の高まりはやがて国家的衝突という事態を招くことだろう。