・長尾雅人と服部正明
・序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり
・秘教主義の否定/『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎
・『ウパニシャッド』辻直四郎
・『はじめてのインド哲学』立川武蔵
・『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
・『神の詩 バガヴァッド・ギーター』田中嫺玉訳
・『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵
・スピリチュアリズム(密教)理解のテキスト
ウパニシャッドは「奥義書」と訳されたり、「秘教」とよばれたりするが、その本来の意味は必ずしもはっきりしていない。語源的には「近く」(原語略)「坐る」(原語略)という意味があり、弟子が師匠に近座すること、こうして伝授される秘説、さらにその秘説を集録した文献を意味する、という解釈が一般に行なわれてきた。
近来の学者は、それに対して次のような考え方を提示している。そのほうがより多くわれわれを納得せしめるようである。すなわちこの語は古くから「対照」「対応」の意味をもち、それはのちに述べる大宇宙と小宇宙との等質的対応の関係――究極的には宇宙の最高の原理であるブラフマンと、個体の本質としてのアートマンの神秘的同一化を説くウパニシャッドの内容に、よく符号調和するというのである。
【『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集(中央公論社、1969年/中公バックス改訂版、1979年)】
序文「インド思想の潮流」(長尾雅人、服部正明)に日本仏教を解く鍵がある。バラモン教の聖典ヴェーダは、サンヒター(本集)・ブラーフマナ(祭儀書、梵書)・アーラニヤカ(森林書)・ウパニシャッド(奥義書)の4部から成り、更に各部が四つに派生し、重ねて細密化し、絢爛(けんらん)たる思想のタペストリーを紡(つむ)ぐ。
イエスがユダヤ教の論理に則ってキリスト教を説いたように、ブッダもまたバラモン教の論理を再構築・止揚するスタイルで教えを説いた。
六五〇 生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。
【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)】
言葉を自由に駆使しながら、バラモンを否定することなく、その階級制を撃破している。手垢まみれの表現を恐れずに使えば、ブッダはまさしく「言葉の天才」であった。そしてこの天才性に抗し切れず、額(ぬか)づくところに教義が形成される。
インド仏教には二つの大きな流れがあり、上座部(じょうざぶ/いわゆる小乗・部派仏教・テーラワーダ)と大衆部(だいしゅぶ/いわゆる大乗)に分かれ、前者は南伝仏教(スリランカやタイ、ミャンマー)となり後者は北伝仏教(中国やチベット、日本)として伝わった。
厳密にいえば大衆部=大乗ではなく、諸説があって定まっていない。学者ではない私が神経質になることもないのだが、やはり古本屋魂が許さないため、個人的には「初期仏教」「後期仏教」と表記する。
インドの宗教史は、おおよそ以下の6期に分けることができる。
第1期 紀元前2500年頃~前1500年頃 インダス文明の時代
第2期 紀元前1500年頃~前500年頃 ヴェーダの宗教の時代(バラモン教の時代)
第3期 紀元前500年~紀元600年頃 仏教などの非正統派の時代
第4期 紀元600年頃~紀元1200年頃 ヒンドゥー教の時代
第5期 紀元1200年頃~紀元1850年頃 イスラム教支配下のヒンドゥー教の時代
第6期 紀元1850年頃~現在 ヒンドゥー教復興の時代
【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社学術文庫、2003年)以下同】
根本分裂はブッダの死後100年頃と考えられているので、中村元説を取れば紀元前283年前後となる。
全くの私見であるが、後期仏教はバラモン教復興(「バラモン教からヒンドゥー教へ」の流れ)への対抗措置として生まれたと考える。一言で述べれば、双方が「信仰化」を図(はか)ったのだ。具体的には祭儀を求めた大衆心理に迎合する形で仏教が密教化していった。
インド仏教は紀元前5世紀あるいは紀元前4世紀に生まれて、13世紀頃にはインド亜大陸から消滅したのであるが、この千数百年の歴史は初期、中期、後期の3期に分けることができよう。
まず、初期とは仏教誕生から紀元1世紀頃まで、中期は紀元1世紀頃から600年頃までの時期を指す。後期とは紀元600年頃以降、インド大乗仏教滅亡までである。
そしてインドで仏教が消滅した13世紀に鎌倉仏教が花開くのである。
アルボムッレ・スマナサーラが日本仏教の特徴を「祖師信仰にある」(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司)と喝破している(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司〈ようろう・たけし〉、宝島社、2004年/宝島SUGOI文庫、2014年)。そして祖師信仰が座主(ざす)・法主(ほっす)・血脈志向を生んだ。ここにウパニシャッドの近座思想が垣間見えるではないか。
日本仏教は梵我一如に染まり、大日如来や久遠本仏を設定し、即身成仏を説くのである。その神格化と理論化がヒンドゥー教変遷の歴史と酷似している。
言葉はコミュニケーションの道具である。すなわち言葉を通してブッダの悟りに迫ることが大切なのであって、言葉を崇(あが)め奉(たてまつ)るるところにブッダの精神はない。ブッダの教えは仏教へと変わり果てた。
私は数年前にクリシュナムルティと出会い、ブッダの姿がくっきりと見えるようになった。また、アメリカインディアンに伝わる言葉の数々はアルハット(阿羅漢)を示すものと考えている。バイロン・ケイティやジル・ボルト・テイラーも現代のアルハットであろう。
・仏教学への期待:長尾雅人、上山大俊
・中央公論社「世界の名著」一覧リスト
・「私は在る」(I Am)その二/『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』ブレイン・バルド編