2016-04-16

序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり/『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集、『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵


 ・長尾雅人と服部正明
 ・序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり
  ・秘教主義の否定/『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎

『ウパニシャッド』辻直四郎
『はじめてのインド哲学』立川武蔵
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
・『神の詩 バガヴァッド・ギーター』田中嫺玉訳
『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵

スピリチュアリズム(密教)理解のテキスト

 ウパニシャッドは「奥義書」と訳されたり、「秘教」とよばれたりするが、その本来の意味は必ずしもはっきりしていない。語源的には「近く」(原語略)「坐る」(原語略)という意味があり、弟子が師匠に近座すること、こうして伝授される秘説、さらにその秘説を集録した文献を意味する、という解釈が一般に行なわれてきた。
 近来の学者は、それに対して次のような考え方を提示している。そのほうがより多くわれわれを納得せしめるようである。すなわちこの語は古くから「対照」「対応」の意味をもち、それはのちに述べる大宇宙と小宇宙との等質的対応の関係――究極的には宇宙の最高の原理であるブラフマンと、個体の本質としてのアートマンの神秘的同一化を説くウパニシャッドの内容に、よく符号調和するというのである。

【『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集(中央公論社、1969年/中公バックス改訂版、1979年)】

 序文「インド思想の潮流」(長尾雅人、服部正明)に日本仏教を解く鍵がある。バラモン教の聖典ヴェーダは、サンヒター(本集)・ブラーフマナ(祭儀書、梵書)・アーラニヤカ(森林書)・ウパニシャッド(奥義書)の4部から成り、更に各部が四つに派生し、重ねて細密化し、絢爛(けんらん)たる思想のタペストリーを紡(つむ)ぐ。

 イエスがユダヤ教の論理に則ってキリスト教を説いたように、ブッダもまたバラモン教の論理を再構築・止揚するスタイルで教えを説いた。

六五〇 生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。

【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)】

 言葉を自由に駆使しながら、バラモンを否定することなく、その階級制を撃破している。手垢まみれの表現を恐れずに使えば、ブッダはまさしく「言葉の天才」であった。そしてこの天才性に抗し切れず、額(ぬか)づくところに教義が形成される。

 インド仏教には二つの大きな流れがあり、上座部(じょうざぶ/いわゆる小乗・部派仏教・テーラワーダ)と大衆部(だいしゅぶ/いわゆる大乗)に分かれ、前者は南伝仏教(スリランカやタイ、ミャンマー)となり後者は北伝仏教(中国やチベット、日本)として伝わった。

 厳密にいえば大衆部=大乗ではなく、諸説があって定まっていない。学者ではない私が神経質になることもないのだが、やはり古本屋魂が許さないため、個人的には「初期仏教」「後期仏教」と表記する。

 インドの宗教史は、おおよそ以下の6期に分けることができる。

 第1期 紀元前2500年頃~前1500年頃 インダス文明の時代
 第2期 紀元前1500年頃~前500年頃 ヴェーダの宗教の時代(バラモン教の時代)
 第3期 紀元前500年~紀元600年頃 仏教などの非正統派の時代
 第4期 紀元600年頃~紀元1200年頃 ヒンドゥー教の時代
 第5期 紀元1200年頃~紀元1850年頃 イスラム教支配下のヒンドゥー教の時代
 第6期 紀元1850年頃~現在 ヒンドゥー教復興の時代

【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社学術文庫、2003年)以下同】

 根本分裂はブッダの死後100年頃と考えられているので、中村元説を取れば紀元前283年前後となる。

 全くの私見であるが、後期仏教はバラモン教復興(「バラモン教からヒンドゥー教へ」の流れ)への対抗措置として生まれたと考える。一言で述べれば、双方が「信仰化」を図(はか)ったのだ。具体的には祭儀を求めた大衆心理に迎合する形で仏教が密教化していった。

 インド仏教は紀元前5世紀あるいは紀元前4世紀に生まれて、13世紀頃にはインド亜大陸から消滅したのであるが、この千数百年の歴史は初期、中期、後期の3期に分けることができよう。
 まず、初期とは仏教誕生から紀元1世紀頃まで、中期は紀元1世紀頃から600年頃までの時期を指す。後期とは紀元600年頃以降、インド大乗仏教滅亡までである。

 そしてインドで仏教が消滅した13世紀に鎌倉仏教が花開くのである。

 アルボムッレ・スマナサーラが日本仏教の特徴を「祖師信仰にある」(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司)と喝破している(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司〈ようろう・たけし〉、宝島社、2004年/宝島SUGOI文庫、2014年)。そして祖師信仰が座主(ざす)・法主(ほっす)・血脈志向を生んだ。ここにウパニシャッドの近座思想が垣間見えるではないか。

 日本仏教は梵我一如に染まり、大日如来久遠本仏を設定し、即身成仏を説くのである。その神格化と理論化がヒンドゥー教変遷の歴史と酷似している。

 言葉はコミュニケーションの道具である。すなわち言葉を通してブッダの悟りに迫ることが大切なのであって、言葉を崇(あが)め奉(たてまつ)るるところにブッダの精神はない。ブッダの教えは仏教へと変わり果てた。

 私は数年前にクリシュナムルティと出会い、ブッダの姿がくっきりと見えるようになった。また、アメリカインディアンに伝わる言葉の数々はアルハット(阿羅漢)を示すものと考えている。バイロン・ケイティジル・ボルト・テイラーも現代のアルハットであろう。



仏教学への期待:長尾雅人、上山大俊
中央公論社「世界の名著」一覧リスト
「私は在る」(I Am)その二/『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』ブレイン・バルド編

東京よりも広い沖縄の18%が米軍基地/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治


・『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』須田慎太郎・写真、矢部宏治・文、前泊博盛・監修

 ・米軍機は米軍住宅の上空を飛ばない
 ・東京よりも広い沖縄の18%が米軍基地
 ・砂川裁判が日本の法体系を変えた

・『戦後史の正体』孫崎享
・『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛編著

 だからいま【「面積の18パーセントが米軍基地だ」と言いましたが、上空は100パーセントなのです】。二次元では18パーセントの支配に見えるけれど、三次元では100パーセント支配されている。米軍機はアメリカ人の住宅上空以外、どこでも自由に飛べるし、どれだけ低空を飛んでもいい。なにをしてもいいのです。日本の法律も、アメリカの法律も、まったく適用されない状況にあります。(中略)

 さらに言えば、これはほとんどの人が知らないことですが、【実は地上も《潜在的には》100パーセント支配されているのです】。
 どういうことかというと、たとえば米軍機の墜落事故が起きたとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利をもっている。(中略)

「日本国の当局は、(略)【所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行なう権利を行使しない】」(日米行政協定第17条を改正する議定書に関する合意された公式議事録」1953年9月29日/東京)

 一見、それほどたいした内容には思えないかもしれません。【しかし実は、これはとんでもない取り決めなのです】。文中の「所在地のいかんを問わず(=場所がどこでも)」という部分が、ありえないほどおかしい。それはつまり、米軍基地のなかだけでなく、【「アメリカ政府の財産がある場所」は、どこでも一瞬にして治外法権エリアになるということを意味しているからです】。

【『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)】


「面積の18%が米軍基地」と聞いてもピンと来ない人が多いことだろう。私も今調べて初めて知ったのだが、面積で見ると沖縄は東京よりも広い。都道府県面積の下位は以下の通りである。

44 沖縄県 2,281.00
45 東京都 2,190.90
46 大阪府 1,904.99
47 香川県 1,876.73(単位は平方km)

都道府県の面積一覧

 しかも東京都の場合は島嶼(とうしょ)部の405平方kmを含んでいる。


 大雑把だが八王子・町田・青梅を足しても16.5%にしかならない。東京23区から大田区・世田谷区・足立区を除いた面積が全体の約20%である。米軍基地の大きさが理解できよう。(東京都の市区町村の一覧と、人口、面積などのデータ

 そして「地上も100%支配されている」事実が沖縄国際大学米軍ヘリコプター墜落事件(2004年)で明らかになる。



 事故直後、沖縄国際大学には米兵数十人がフェンスを乗り越えてなだれ込み、「アウト! アウト!」と叫びながら地元県民や記者を締め出した。米兵は現場を完全に封鎖し、消火活動に駆けつけた消防署員まで追い出した。


 運良く怪我人は出なかった。しかし仮に怪我人や死亡者が出たところで米軍の対応が変わるとは考えにくい。しかも日本政府のお墨付きである。これはもう「GHQの占領状態が続行している」としか判断のしようがない。つまり米軍基地周辺は現在も戦時中なのだ。

 もともと日本人はアメリカに対して親しみを感じていた。アメリカ側も万延元年遣米使節(1860年)がニューヨークのブロードウェイをパレードした際は50万人もの人々が集まり歓迎した。アメリカを代表する詩人ウォルト・ホイットマンが「ブロードウェーの華麗な行列」という詩を詠(よ)んだ(※尚、勝海舟や福澤諭吉が乗っていた咸臨丸はニューヨークへは行ってない模様)。

 日本が反米感情を抱くようになったのは二つの事件を通してである。一つは戦前の排日移民法(1924年)である。そして戦時中は「鬼畜米英」を叫びながら、原爆を2発落とされてもアメリカを恨むことがなかった日本人を怒り狂わせた事件が起きた。ジラード事件である。1957年(昭和32年)1月30日、群馬県の米軍演習基地で21歳の米兵が面白半分で日本人主婦を射殺したのだ。この事件は60年安保闘争という火に油を注ぐ事態となったことも見逃してはなるまい。

 二つの事件が風化し忘れ去られた頃、またしても事件が起きる。沖縄米兵少女暴行事件(1995年)だ。12歳の少女を拉致し、3人の黒人米兵が集団で強姦をした。アメリカ海軍は市民権目当てで入隊する者が多く、モラルの程度は極めて低い。この時、沖縄で武力闘争が起きても不思議ではなかった。

 日本政府が国民の生命と財産を守っていないのは明らかである。米軍にはお引き取り願って、強くてまともな軍隊を自前で用意するのが独立国の作法である。

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

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