・『孟嘗君』宮城谷昌光
・陸賈の諫言
・『楽毅』宮城谷昌光
陸賈〈りくか〉はおりをみて劉邦のまえにすすみ、儒学の本教が盛られている『詩経』や『書経』を引用し、その書物のすばらしさをほめたたえた。儒学ぎらいな劉邦は露骨にいやな顔をしたが、あるときとうとう怒りだして、
「わしは馬上で天下を取ったのだ。『詩経』や『書経』にかまっておれるか」
と、陸賈〈りくか〉を叱りとばした。が、陸賈はひるまなかった。すぐさま仰首し、
「馬上で天下をお取りになっても、馬上で天下をお治めになれましょうか」
と、敢然といった。
この一言が陸賈の名を永遠にしたといってよい。
【『長城のかげ』宮城谷昌光(文藝春秋、1996年/文春文庫、1999年)】
戦争は政治の一部分でしかない。国力は平時に蓄えられる。軍事には莫大な費用がかかる。略奪はいつか途絶える。まして遠征となれば国は疲弊する。
故に兵は拙速(せっそく)なるを聞くも、未だ功久(こうきゅう)なるを睹(み)ざるなり。夫れ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。故に尽々(ことごと)く用兵の害を知らざる者は、則ち尽々く用兵の利をも知ること能わざるなり。
【だから、戦争には拙速――まずくともすばやく切りあげる――というのはあるが、功久――うまくて長びく――という例はまだ無い。そもそも戦争が長びいて国家に利益があるというのは、あったためしがないのだ。だから、戦争の損害を十分知りつくしていない者には、戦争の利益も十分知りつくすことはできないのである】
【『新訂 孫子』金谷治〈かなや・おさむ〉訳注(岩波文庫、2000年)】
天下を治めるためには大地に立って民の声を聞かねばならない。前漢を興した劉邦(紀元前256-195年)の在位期間は7年である。わずか7年で高祖と仰がれ、始皇帝(紀元前259-210年)よりも尊敬を集め、歴史に名を残した。
本書は連作短篇集で項羽と劉邦よりも、むしろ周辺の人物を描くことに重きが置かれている。2015年には『劉邦』(全3冊)が刊行されている。