・『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
・『体の知性を取り戻す』尹雄大
・『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎
・成人病が生活習慣病に変わった理由
・『日本人の身体』安田登
小池●かつて「成人病」という語がありましたが、あれが今は「生活習慣病」になっていますよね。名前が変わった理由は、成人だからかかるのではなく、「生活習慣が原因だから」というのが、表面的な理由ですが、実はもっと深い理由があります。
それは成人になったら誰もがしようがなくかかってしまうものならば、国や他人が面倒を見なきゃいけない。けれども生活習慣病という概念になった途端、「おまえの生活習慣が悪いから病気になったのだから、おまえの責任だ」といえてしまえる。つまり、自己責任の時代が来たんだという意味があるというものです。これは当然医療経済的な意味もあるわけで、ただ単に原因論的な名前に変わったという以上の意味があるわけです。そして一方で「生活習慣」といわれても急に変えられる人は少ないのが実情です。そうなると理想とはうらはらに「自己責任」にもどついてクスリで何とかしようと考える人も出てくるわけです。「急がば回れ」の反対の姿勢です。すると生活改善による予防を目的とした数値が、いつしか薬物治療の目標値になってしまうわけです。
そうなると反対に病気でもないのに無理やり病気みたいに扱われてしまうこともありえるわけです。
【『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、小池弘人〈こいけ・ひろと〉(集英社新書、2013年)】
厚生省(当時)が生活習慣病との改称を提唱したのは1996年12月18日のことである(生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申))。厚生大臣は菅直人(新党さきがけ)から小泉純一郎(自民)に変わった直後だ(11月7日就任)。大臣主導というよりは橋本内閣が掲げた「六つの改革」を踏襲したものだろう。
但し、疾病の発症には、「生活習慣要因」のみならず「遺伝要因」、「外部環境要因」など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、「病気になったのは個人の責任」といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある。
【生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)】
つまり厚生省(当時)は「疾病原因は生活習慣に限らない」が「生活習慣病」と呼ぶよう促しているのだ。支離滅裂である。現在、健康診断などの問診票を見ても自己責任を問う内容が増えており、運動をしていない人には自己嫌悪を覚えるような代物となっている。
玄米食に興味を抱いている時に読んだ本なので今見返すと随分印象が違う。玄米は解毒性が強いため長期間にわたって摂取するのは問題があると私は考える(玄米の解毒作用)。本当に玄米が体にいいのであれば糠(ぬか)を食べればいいだけのことだ。生野菜も勧めているが短期間の感覚を重視するのは極めて危うい。
身体(しんたい)や病気に関することで「これが正しい」との主張は眉に唾をした方がよい。体は人によって違うのだから。