2015-02-08

坪倉優介


 1冊読了。

 8冊目『記憶喪失になったぼくが見た世界』坪倉優介〈つぼくら・ゆうすけ〉(朝日文庫、2011年/幻冬舎文庫、2003年『ぼくらはみんな生きている』改題)/必読書入り。ラドラムの『暗殺者』と記憶喪失つながり。坪倉の場合は重度だと思われるが、いやはや凄まじい世界が現れる。記憶喪失になった彼は「見たもの」を理解することができない。私は俵万智の解説を読むまで冒頭で描かれている「3本の線」が電線を指していることに気づかなかった。物の仕組みや機能だけではない。坪倉は「ご飯」すら理解できなかった。彼は突然、見知らぬ世界に投げ出されたも同然だった。ここで「あ!」と閃くわけだが、彼が綴っているのは「生まれてきたばかりの子供に見える世界」でもある。その意味で育児をしているお母さんは必読のこと。自我とは記憶であり、個性とは記憶に基づく反応である。ブッダもクリシュナムルティも無我を説いたが、無我そのものは幸福や自由を意味しない。坪倉はむしろ不安だらけになっている。しかし彼の瞳は純粋にありのままの世界を捉える。我々は自我という固有の性質が存在すると思い込んでおり、ある人々は生まれ変わってもそれが継承されると信じている。だがそんなものは脳に蓄積された数十年分のデータに過ぎない。個性は社会の中で許容された個別的反応であり、社会性とは自分を許容してもらう範囲を広げることが巧みなコミュニケーション能力を意味するのだろう。坪倉は二度生まれた。過去の記憶は殆ど戻らない。それでも彼は生きてゆく。大学卒業後、染物工房に就職し、現在は自分の工房を営んでいる。

2015-02-07

Bloggerのフォントをメイリオにする方法


 管理画面→テンプレート→カスタマイズ→上級者向け→CSS を追加→「カスタム CSS を追加」の窓部分に以下のコードを貼りつけて、「ブログに適用」をクリックする。

body, textarea { font-family:"meiryo","メイリオ","ヒラギノ角ゴ Pro W3", "MS Pゴシック", sans-serif; }

2015-02-06

ロバート・ラドラム


 2冊読了。

 6、7冊目『暗殺者(上)』『暗殺者(下)』ロバート・ラドラム:山本光伸訳(新潮文庫、1983年)/「こんなものか」と思った。やはり歳月が目を肥やすのか。最初に読んだ時からもう30年以上が経つ。それから4回か5回読んでいる。映画の『ボーン・シリーズ』3部作も3回ほど見ている。ま、そうは言っても下巻は風呂で読み終え、気がついたら3時間半も入っていたことになる。国際謀略ものといえば、ラドラムとデイヴィッド・マレルの二大巨匠が直ぐ思い浮かぶが、その後に続く作家が見当たらない。クライブ・カッスラーはスケールが劣るし、スティーヴン・ハンターは肌が合わない。本作は舞台回しと細部は実にいいのだが、人物造形が平板で陰影に欠ける。せめてビリエール将軍ほどの個性を主人公にも施してもらいたかった。「その物腰はいかにも軍人然としていて、彼が動くにつれて周囲の空間にひび割れが生じ、見えない壁が次々にくずれ落ちていくかのようだった」(下巻、104頁)。CIAの古参であるアレクサンダー・コンクリンが米国の病理を体現している。彼はジェーソン・ボーンと直接会い、記憶喪失だと聞かされても耳を貸さなかった。それどころか更にボーンの命を奪おうと躍起になった。映画『ボーン・アイデンティティ』は翻案作品ともいうべき代物で、映画作品としては駄作である。しかし本書の雰囲気を実によく表現している。大体、カルロス(イリッチ・ラミレス・サンチェス)が出てこない上、ボーンの恋人であるマリーの背景も全く違う。そしてやたらとカーチェイスが続く品のない作風だ。

2015-02-04

目撃された人々 61

2015-02-03

松村高夫、矢野久


 1冊挫折。

大量虐殺の社会史 戦慄の20世紀』松村高夫、矢野久編著(ミネルヴァ書房、2007年)/最悪の学術書であると思う。松村の序章は力のこもった内容だが終盤で馬脚を露(あらわ)わしている。それにしてもこの無感情ぶりは何に由来するのか? 人間を置き去りにした学問は無残である。ひょっとすると彼らは殴られた経験すらないのかもしれない。机上で大量虐殺を扱う愚行を私は嗤(わら)う。唾棄すべき本だ。ミネルヴァ書房の見識を疑う。

2015-02-02

【佐藤優氏の分析】イスラム国邦人人質事件(東京大地塾 2015年1月例会)



ロバート・A・バートン、井上順孝、安冨歩、成瀬雅春、他


 5冊挫折、1冊読了。

ハタ・ヨーガ完全版』成瀬雅春〈なるせ・まさはる〉(BABジャパン出版局、2009年)/飛ばし読み。あまりピンと来なかった。実践してみないことには判断が難しい。いくつかのポーズを行ったのだが熱意が湧かず。

排除の現象学』赤坂憲雄〈あかさか・のりお〉(洋泉社、1986年/ちくま学芸文庫、1995年)/文章に独特の気取りがあって読者を選ぶ。私はついてゆけなかった。目の前にいたら、ぶん殴っているレベルだ。

境界の発生』赤坂憲雄〈あかさか・のりお〉(砂子屋書房、1989年/講談社学術文庫、2002年)/というわけで、こちらも読む気が失せた。

生きるための論語』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(ちくま新書、2012年)/わかりやすい上に閃きがある。ただし、これまでの説との対照が多いため初心者向きではない。もう少し勉強してから読み直すことに。

21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝〈いのうえ・のぶたか〉編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道〈あしな・さだみち〉(平凡社、2014年)/悪い本ではないが特によくもない。巻頭にある井上の「宗教研究の新しいフォーメーション」はわかりやすい文章で説明能力が高いのだが明らかに勉強不足だ。たぶん検索能力が低い。宗教学の世界は科学のように積極的な情報交換も行われていないのだろう。この程度の内容で肩をそびやかすべきではない。他の論文も目を惹くものはなく、季刊誌にするような代物である。

 5冊目『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン:岩坂彰訳(河出書房新社、2010年)/既に書評で紹介した通り、脳神経科学の傑作本。終盤はややまだるっこしく感じるが、中庸やフェアの精神とはそういうものだ。ロバート・A・バートンの強靭な意志は常に抑制となって働いている。唯一の瑕疵(かし)は本人の立場を名言していないところ。スティーヴン・ジェイ・グールドの言葉を引用しているところから察すると信仰者の可能性が高い。私の眼を侮ってもらっては困る(笑)。