2015-06-19

三行半は女が男からもぎ取っていくもの/『お江戸でござる』杉浦日向子監修


『国家の品格』藤原正彦

 ・三行半は女が男からもぎ取っていくもの
 ・日本の月見

『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
日本の近代史を学ぶ

 NHKの人気番組『コメディーお江戸でござる』(1996-2004年)で杉浦が担当していた「おもしろ江戸ばなし」9年分をテーマ別にまとめた本。「日本の近代史を学ぶ」の筆頭に掲げた。尚、文庫版からは深笛義也の名前が削除されているが、性愛モノを書いているためか。

漢字雑談』で本書を知った。あの口喧しい高島俊男が引用するくらいだからと目星をつけたのが正解であった。

 江戸の識字率は、世界でもまれに見るくらいの高さでした。江戸市内だったら、ひらがなに限っていえば、ほぼ100パーセントで、当時のロンドンやパリと比べても群を抜いています。絵草紙(えぞうし)でもなんでも、漢字の脇に仮名が振ってあれば読めました。ただし、黙読ができないので、声に出して読まないと頭の中に入っていきません。高札場(こうさつば)などに御触(おふ)れが立つと、集まった人々が各々声に出して読むので、輪唱のようになってしまいます。貸本(かしほん)などでも、座敷の中でひとりが読んで、女性が出るところになると「じゃあ、女将(おかみ)。ここから読んでくれ」と、バトンタッチして、それをみんなが聞くというように4~5人で楽しみました。

【『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修(新潮文庫、2006年/杉浦日向子監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成、ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)以下同】

 幕末の日本を訪れたヨーロッパ人は日本の庶民が本を読んでいる事実に驚嘆した。もともと理性や知性は「神を理解する能力」を意味した。日本人は彼らの神とは無縁な衆生だから驚くのも無理はない。権力は知性を恐れる。中世に至るまで聖書はラテン語で書かれ(ヴルガータ)、聖職者しか読むことがかなわなかった。1455年、グーテンベルク聖書が登場したものの、本格的に普及したのはルターによる宗教改革(1517年)以降のことである。

 江戸の識字率が高かったのは寺子屋があったためだ。寺子屋とは上方(かみがた)の言葉で、学問を教えるものに「屋」がつくのは商売じみていてよろしくないということで江戸では「指南所」と呼んだ。江戸後期には江戸市内だけで1500もの指南所があったという。一つの町内に2~3ヶ所あった計算になる。

 看板娘は13~18歳までがピークで、20歳で引退します。あまりに看板娘が江戸中の市民の心を惑わせたので、幕府から禁令が出ました。「茶屋に出す娘は13歳以下の子どもか、40歳以上の年増(としま)に限る」となり、年頃の娘は出してはいけないことになりました。


「年増」という言葉も既に死語だ(笑)。30年前は普通に使っていたものだが。たぶん落語が聴かれなくなっているのだろう。看板娘の年頃が当時の結婚適齢期か。俗に「人生五十年」というが昔は幼児の死亡率が高かったので平均寿命と考えるのは早計だ。

 実は江戸では、武士が皆の上に立つ者という意識もありませんでした。「士農工商」という四文字熟語が普及したのは、明治の教科書でさかんにPRされたからです。それ以前もそういう言葉はありましたが、庶民は知りません。「士農工商」といったら「え? 塩胡椒?」と聞き返すくらいです(笑)。身分が順位付けられているなんて、全然考えていません。

 前の書評のリンクを再掲する。

教科書から消えたもの 士農工商
江戸時代の身分制度に関する誤解

 で、私が一番面白いと思ったのがこれ――。

「三行半(みくだりはん)を叩きつける」というセリフをよく聞きますが、本来、三行半は男が女に叩きつけるものではなく、女が男からもぎ取っていくものです。(中略)
「誰と再婚しようと一切関知しない」という意味で、つまりは再婚許可証なのです。夫の権利ではなく義務で、妻はこれを夫からもぎ取っておかないと、次の男性と縁づけません。
 結婚する時、「この人は浮気するかもしれない」などの不安がある時は、「先渡し離縁状」を書いてもらいます。三行半をあらかじめ預かることを条件に結婚するのです。夫は受取状を、妻からもらいます。
 江戸の町は女性の数が少ないこともあって、再婚は難しいことではありません。バツイチは少しも恥ずかしくないのです。お上が、「なるべく女性は二度以上結婚しなさい」と奨励しているくらいで、絶対数の多い男性が一度でも結婚を経験できるようにという配慮でしょう。再婚どころか、三度婚、四度婚、六度婚、七度婚も珍しくありません。そんな女性は逆に経験を積んでいて貴重であると見られます。

 意外や意外、江戸時代は既に男女平等であった。

 バツイチが平気なくらいだから、出戻りもOKで「辛いことがあったら、いつでも帰っておいで」と、娘を嫁に出します。実際に、何回帰ってきても、恥ずかしいことではないのです。江戸では出戻りとは呼ばず、「元帰(もとがえ)り」「呼び戻し」と称します。

 現代よりも進んでいる。「恥の文化」などという言葉を鵜呑みにするのは危険だ。

 江戸ではたいてい、女性から持参金を持って結婚します。夫婦別れをするときは、それを一銭も欠けずに返さなくてはいけません。仲人に払った謝礼も、夫が耳を揃えて返します。嫁入りの時に持ってきた家財道具も、一つも欠かさず持って行かさなくてはなりません。「去る時は九十両では済まぬなり」という言葉が残っていますが、離婚する時、男性がいかに大変かということです。
 そんな事情もあり、たいがいの夫は、妻を大事にします。

 経済的にも平等であったことが窺える。

 家事育児は、手の空いた方がするのが当たり前で、江戸では、男性に付加価値がないと妻をもらえません。料理が上手、マッサージが上手など、何か一芸に秀でていないといけないのです。

 こりゃ男の方が大変ですな。実は「家」という制度に押し込められたのは上流階級の女性であった。

 それでも三行半を書いてもらえない時は、関所、代官所、武家屋敷に駆け込んで離婚を願い出ます。
 最後の最後の手段が、「駆け込み寺」とも呼ばれる縁切り寺に行くことで、鎌倉松ヶ丘の東慶寺、上州世良田村の満徳寺の二つがあります。

 ちゃあんと救済措置があったことが江戸社会の成熟度を物語っている。セーフティーネットが機能していたのだ。日本人は幸せだった。訪日した多くのヨーロッパ人がそう記している。本書を開くと「ご先祖様に会えた」ような気分になる。

お江戸でござる (新潮文庫)

新潮社
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