2012-02-05

貴志祐介、トレヴェニアン、鈴木一之、中村圭志

4冊挫折。

新世界より(上)』貴志祐介〈きし・ゆうすけ〉(講談社、2008年/講談社文庫、2011年)/文庫化されたので読んでみた。一行目で挫ける。「深夜、あたりが静かになってから、椅子に深く腰掛けて、目を閉じてみることがある」。「閉じて」と「みる」「ある」が混乱を招く。また、「深夜」は大抵静かなものだ。文体に贅肉がつきすぎている。

シブミ(上)』トレヴェニアン:菊池光〈きくち・みつ〉訳(ハヤカワ文庫、1987年)/ドン・ウィンズロウ著『サトリ』の前段階として読んだのだが面白くなかった。

景気サイクル投資法 裏バフェット型手法とは』鈴木一之(Pan Rolling Library、2008年)/現物だった。文章はよいのだが中身は薄い。

人はなぜ「神」を拝むのか?』中村圭志〈なかむら・けいし〉(角川oneテーマ21、2011年)/まず表紙の肩書きが気になる。「宗教批評家」。屋上屋を架すではないが、ダニの上に寄生するダニみたいなものか? そんな疑念を払拭できない。著者本人は「少しずっこけたトーン」(「おわりに」)のつもりらしいが、単なる軽薄の間違いではないのか? 二度目の「やれやれ」(15ページ)で完全に読む気が失せた。お前の投げやりな態度に付き合うつもりはないよ。ここのところ量産が目立つ中村だが、金輪際読むことはないだろう。

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