2015-03-26

「サンリン」という聖なる場所/『神無き月十番目の夜』飯嶋和一


『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
『雷電本紀』飯嶋和一

 ・「サンリン」という聖なる場所
 ・「何が戦だ」

『始祖鳥記』飯嶋和一
『黄金旅風』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

 それにしても一村亡所とはいったい何事がこの小生瀬で起こったものか。地方役人を殺生したとか竹右衛門が言っていたが、そんなことは想像もつかないことだった。
 嘉衛門は岡田竹右衛門から依頼をうけた、小生瀬の人々が隠れ潜んだはずの場所に心当たりがないわけではなかった。嘉衛門の住む比藤村がそうであるように、地侍を中心とした一揆衆の自治の名残りをとどめている地には、「サンリン」あるいは「カノハタ」などと呼ぶ奇妙な空間がある。「サンリン」は文字どおり山林であったり、池や淵を含む周辺の一帯だったりするのだが、そこは古来から聖なる場所とされ、そこで不浄をはたらくことは何人にも許されない。反面、たとえ罪を犯した者がその「サンリン」に逃げ込んだ場合でも、その地に捕り方が踏み込んでその者をひっ捕らえたり、成敗したりは一切許されない。領主であってもその地には簡単には手出しできない。そういう奇妙な不文律に支配された場所がある。嘉衛門の心当たりは、このすぐ近くに、「サンリン」があるはずだというところからきていた。一日探索してみても、あるはずの残り300を超える屍が見当たらないということは、それらの者たちが隠れ潜んで討たれた場所があるはずだった。

【『神無き月十番目の夜』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1997年/小学館文庫、2005年)】

 刊行直後に買ったのだが「読むのは後回し」と決めていた。もちろん怖かったからだ。江戸初頭に記された古文書の記録から飯嶋和一は真実を炙(あぶ)り出す。300人にも及ぶ老若男女が殺戮された事件である。

「好きな小説家は?」と訊かれれば、私は迷うことなく宮城谷昌光と飯嶋和一の名を挙げる。続いて福永武彦。

 私は歴史が浅い北海道で育ったこともあり、「サンリン」(山林)や「カノハタ」(火の畑)なる言葉は初耳であった。「聖なる場所」といえばスピリチュアルだが、一種の緩衝地帯であったのだろう。法律が100%完璧ということはあり得ない。とすれば、こうした場所は人々の智慧から生まれたものと考えられる。

 現代社会におけるいじめ、パワハラ、ストーカー行為には逃げ場がない。だからあっさりと殺したり殺されたりするのだろう。そして移動のスピードがコミュニティを崩壊させた。死んだコミュニティでは衆人環視が機能しない。「人の目」こそが最初の犯罪抑止となる。人の目を恐れなければ欲望は自律的に走り出す。

 やはり「うるさい近所のおじさん、おばさん」が必要なのだ。コミュニティの崩壊は、子供たちを見つめ、そして見守る眼差しが社会から失われたことを意味する。

 民俗学的価値があると思い、この箇所を書き出しておく。

 尚、「世界大百科事典 第2版」にはこうある。

 山と林,樹木の多く生えている山。山林に入り,不自由を耐えて仏道の修行に励むことを〈山林斗藪(とそう)〉といったが,山林は聖地であり,アジールとしての性格を持っていた。平安末期から中世を通じて,領主の非法,横暴に抵抗して逃散(ちようさん)する百姓たちは,〈山林に交わる〉〈山野に交わる〉といって実際に山林にこもっており,山林は逃亡する下人・所従の駆け入る場でもあった。戦国時代になると〈延命寺へ山林申候〉〈悪党以下,山林と号して走り入る〉〈女山林〉などのように,〈山林〉という語それ自体が,アジール的な寺院へ駆けこむ行為を意味するようになるとともに,百姓たちが家や田畠に篠(ささ)を懸け,そこを〈山林不入の地と号し〉,領主が立ち入れないようにしたことから見て,アジールとしての性格を持つ寺院や聖域そのものも〈山林〉といわれたのである。

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