・白人による人種差別
・小林秀雄の戦争肯定
・「人類の法廷」は可能か?
・『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
・『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
・『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二
・日本の近代史を学ぶ
しかし、ニュルンベルク裁判を可能にする正義の視点とはいったいなんであろう。諸国家を超えた正義の視点は、はたして成り立つのか。 Humanity に当たるドイツ語 Menschlichkeit は人道であると同時に「人類」の意味である。 humanity も humankind の意味であり、まさに「人類に対する罪」と訳されるべきだろう。本稿の冒頭に掲げた「人類の法廷は可能か」以下の一連の問いがまさにここで初めて大規模な形式で地上に提起されたのであった。
しかしここで立ち停まってよく考えていただきたい。その正義の視点も、しょせんは戦勝国の力の結果であった事実は争えない。ドイツは力によって沈黙させられたのである。それが民主主義の勝利、理性と善の勝利であったなどというのは作り話であって、力が一定の効果を収めたあとの結果にすぎない。もし、ドイツが勝利していたなら、戦後の国際社会の正義のかたちと内容は、相当に大きく変わるほかなかったであろう。実際ソ連は、長いあいだ巧みに勝利者の顔をしつづけることができたため、スターリンの悪事はいまだに何%か正義の名前で隠されているのである。正義のフィクションをつくるだけでも、暴力なしでは成り立たないのだ。諸国家を超えた普遍的で絶対的な正義というのものは、はたしてあるのかという疑問がここから生じる。
すなわち、私が本稿の冒頭で掲げた「人類の法廷」は可能か、人は人類の裁き手になりうるのかというあの問いは、しょせんなんらかの力を前提とした相対的な判定によって得られるものであって、そうなれば、それらの力を行使しえた特定の国々の基準が、人類の名において正義として通るという矛盾を100%排除することはできない。ニュルンベルク裁判は、そのような矛盾を抱えた裁判だった。それを和(やわ)らげたのは、歴史上類を見ないナチスドイツによるむごたらしい大量殺戮の数々のデータと歴史によるのである。
【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】
敗者を裁く時、勝者は「人類」を名乗った。ニュルンベルク裁判で連合国はナチス・ドイツによるホロコーストを看過することはできなかった。そこで編み出したのが「人道に対する罪」と「平和に対する罪」であった。いずれも事後法である。
この論理が東京裁判にも持ち込まれる。日本は有色人種であるため「文明」の名において罰せられた。ただし日本の場合、ヒトラーのような独裁者は存在しなかったし、大量虐殺もなかった。アメリカは広島・長崎の原爆ホロコーストを糊塗するために、日本軍の南京大虐殺をでっち上げ、死者数もほぼ同数の30万人とした経緯がある。
第一次世界大戦で日本は勝った連合国側にいた。その後発足した国際連盟でも日本は最初から常任理事国であった。満州国建国を否定された日本が国連を正式に脱退するのは1935年のことである(※松岡洋右日本全権の国連演説「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」は1933年)。
国連でケツをまくった松岡を「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す」と朝日新聞は報じ、国民は松岡の帰国を大歓声で迎えた。
「人類の法廷」を可能にしたのは白人の傲(おご)りであった。なかんずく第二次世界大戦後のアングロサクソンの増長ぶりは目に余る。敗れた日本は義務教育で英語を学ばされる羽目となった。
日本の近代化そのものは奇蹟的な営みであったが、帝国主義の潮流に乗るのが遅すぎた。国家としての戦略も欠いていた。日清戦争における三国干渉(1895年)以降、国民の間には不満が溜まりに溜まっていた。
歴史は実に厄介なものである。日本の場合、進歩的文化人や日教組を中心とするマルクス史観が学校教育で教えられ、大東亜戦争以前の歴史は暗黒史として長らく扱われてきた。もちろん連中はGHQが日本を骨抜きにするための戦略に乗っかっただけのことである。ようやく自虐史観から目覚める人々が現れたのが1990年代だった。北朝鮮による拉致被害や、中国・韓国の反日運動をきっかけに日本の近代史を見直す機運が一気に高まった。ところが中には単純な「日本万歳本」も少なくない。
大東亜戦争は避けようがなかったとは思う。また日本が立ち上がったことによってアジア、中東、アフリカ諸国までもが独立に至ったことも間違いない。だからといって「大東亜戦争が正しかった」という結論にはならない。確かなことはGHQが日本から国家としての意志を剥奪(はくだつ)したという点である。日本は国体を死守するために他のすべてを犠牲にした。
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