2019-11-30

走らずにはいられなかった


 もともと走るのは苦手だった。幼い頃から運動神経はいい方だったがそれは球技に限られていた。走るのが嫌いだったのは汗をかきにくい体質と関係があったのかもしれぬ。ただ苦しいだけで何も報われないような気がしてならなかった。私が得意なのは技だ。陸上競技の単調な動きは嫌悪の対象でしかなかった。

 昨年から自転車に乗り始めて体調がよくなった。1年ほど経った時、走行距離が伸びなくなった。100km近くまで走れたのが50km前後にまで落ちてしまった。私が走るのは宮ヶ瀬湖周辺で峠道が多いので脚にかかるダメージがわかりやすい。大体、半原越(愛川町川)付近や土山峠で脚のコンディションがはっきりする。スピンバイクの時間も30分から10分に低下した。

 ここで無理をしてしまうとバドミントンと同じ轍(てつ)を踏んでしまう。一昨年のことだが1ヶ月の間に三度も肉離れを起こしたことがあった。中高年の運動において最も大事なのは「頑張らない」ことだ。

 そこでウォーキングを行ってきたのだが、どうも負荷が弱すぎる。体が温まっても汗をかくほどではない。ムラムラと走る衝動が湧いてきた。

 実はランニングは体に悪い。激しい運動によって活性酸素が発生するためだ。活性酸素は老化や癌の原因となる。プロスポーツ選手が意外なほど短命なのも活性酸素によるものだ。要は体が錆(さ)びてくるのだ。もちろん長距離のサイクリングも健康を阻害する。

 それでも尚走らずにはいられなかった。理由は三つある。まず汗をかきたかった。次に極度の寒がりを克服したかった。そして煙草の本数を減らしたかった。ウォーキングやサイクリングだといくらでも煙草が吸える。肺を痛めつければそうはいかない。私の頭にあの名場面が浮かんだ。

 とうとう足は地面を蹴(け)りはじめた。すぐ息が上がった。水ぶくれのおれの体から汗が噴き出した。額から頬をつたってアゴの下へ汗がたまった。肺は水が詰まったように重かった。ただ走ることだけが、おれの唯一の避難所へ通じる道のようだった。激しく体を消耗させることだけが、この信じられないことだらけの、ひどい夢のような現在(いま)を消すたった一つの方法のようだった。

【『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1989年/リバイバル版 小学館、2000年/小学館文庫、2003年)】

 意を決して11月25日から走り始めた。初日は数百メートルだ。時折右膝が痛むことがあるので慎重に足を運んだ。そして27日に3kmほど走った。私にとっては偉業である。こんなに走ったのは高校の部活以来だ。目標の信号からは歩いて流した。驚くほど脚が前に出る。翌日、案の定太腿の前側が筋肉痛となった。散歩やサイクリングでは鍛えることのできなかった部位なのだろう。ミッドフット走法の効果だ。年をとると翌々日の筋肉痛が最も激しくなる。心地よい痛みだ。

 タイミングよく読んだ江上剛〈えがみ・ごう〉著『56歳でフルマラソン 62歳で100キロマラソン』が背中を押してくれた。私は56歳だ。レースに興味はないが100kmマラソンは大きな目標となる。

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