2014-06-19

将軍学/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 これから出発する使者がぶじに往還すれば、(との)和平はいっそうたしかなものになるので、使者への期待は大きいのである。ところが、その使者である楽毅(がっき)が、
「この使いは失敗する」
 と、なんの逡巡(しゅんじゅん)もみせずにいったので、郊昔(こうせき)ははっとうろたえた。
 ――そういうことか。
 この男の頭脳の回転ははやい。漠然と感じていた不安が急に明確になった。国家の中枢(ちゅうすう)にいる者は、国民とおなじ感情に染まっていては、展望ということができないということをあらためてさとった。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】

 楽毅は中山(ちゅうざん)の使者として趙へ赴くこととなった。上手く運ばないことはわかっていた。それどころか自分が殺される可能性もあった。楽毅は祖国のために立ち上がった。

 これが将軍学というものであろう。馬鹿の一つ覚えで「国民」を語る昨今の政治家とは雲泥の差がある。私は民主制よりも貴族制を支持するものだが、より一層その思いを強くした。左翼が語る「市民」もまったく信用できない。民の苦しみを知ることと苦しみに同調することは別次元のことだ。民が欲するのは衣食住の安定であり、それ以上のものではない。結局自分さえよければいいのだ。

 ノブレス・オブリージュを欠いた政治家ばかりだ。官僚化した政治家しか見当たらない。天下国家が語られることもなく瑣末な議論に終始している。そして彼らが操る言葉はとっくに死んでしまった。政治は我欲のレベルにまで堕した。

 そのとき肥義(ひぎ)は武霊王(ぶれいおう)の苦悩を察し、
「疑事(ぎじ)は功なく、疑行(ぎこう)は名なし」
 と、決断を勧(すす)めた。疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。迷いのなかで法令がくだり、施行(せこう)されても、上から下まで成果も利益も得られない。責任の所在が明確でないものは、かならずそうなる。君主が世の非難を浴びる覚悟をすえていれば、かえって世の非難は顧慮する必要はない。そのことを肥疑は、
「大功を成(な)す者は、衆に謀(はか)らず」
 と、表現した。さらにかれは幽玄の理念をこう説いた。
「愚者は成事に闇(くら)く、智者は未形に■(者+見/み)る」
 愚かな者はすでに完成された事でも理解をおよぼすことができないのにくらべて、智のある者は、その事が形をもたないうちに洞察してしまう。胡服騎射(こふくきしゃ)に関していえば、まだその軍政が形となっていなくても、自分にはその成果をありありと■(者+見/み)ることができる、と肥疑は武霊王をはげましたのである。ちなみに■(者+見)には、自分の目でたしかに、という強い意志がふくまれているので、人から■(者+見/み)られる、というような使い方はけっしてされない字である。

 臣とはかくあるべし。君主を時に諌め、時に励ますのが臣の役目である。それにしても見事な言葉だ。脳内のシナプスがタテ一直線に並ぶほどの説得力がある。しかも君主の自覚や責任に強く訴えている。言葉が盤石の根拠となり得るのだ。

 武霊王は趙の君主である。案の定、楽毅は謀(はか)られたが智慧を巡らせて危地を脱する。本書の名場面のひとつである。

   

2014-06-17

第一巻のメモ/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 英雄不在、というのが戦国の裏面である。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】



「商の湯王は伊尹(いいん)を、周の武王は太公望(たいこうぼう)をしたがえただけで、天下をとったのです。すなわち天下は、野(や)のどこかにころがっている、とおもわれます」



 龍元の目のかがやきもよい。
 志望が穢(けが)れていない目である。山も川も人も国も、そういう目でみなければ、真のかたちをとらえることはできぬ。



 目にみえぬ力に意味をみいだせない民族に文化はない。



 成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえをはじめるものである。



 人のうえに立つ者がおのれに熱中すれば、したにいる者は冷(ひ)えるものなのである。



「驕る者は人が小さくみえるようになる」



 自分の近いところにおよぼす愛が仁であれば、遠いところにおよぼす愛が義である。



 軽蔑のなかには発見はない



 ――わしがこの者たちを護(まも)り、この者たちによってわしは衛(まも)られる。



「目くばりをするということは、実際にそこに目を■(とど)めなければならぬ。目には呪力(じゅりょく)がある。防禦(ぼうぎょ)の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている」



 ――君命に受けざるところあり。
 受けてはならない君命のあることを孫子の兵法はおしえている。とくに戦場における将は、たとえ王の命令でも、したがえないときがある。



 楽毅は儒教についてくわしくないが、教祖である孔子は、
 ――道おこなわれず。桴(いかだ)に乗りて海に浮かばん。
 と、いったそうである。国家に正しい道がないとき、流亡の旅もやむをえない。



 よくよく考えてみれば、この世で、自分が自分でわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希(ねが)っているのかもしれない。



 将の気が塞をささえているといっても過言ではない。将の表情に射したわずかな翳(かげ)でも、兵の戦意を殺(そ)ぐのである。



 戦場の露(つゆ)をおのれの涙にかえる王にこそ、人は喜んで命をささげるものである。



 かつて周(しゅう)の武王(ぶおう)が商(殷)王朝を倒したあと、難攻不落の険峻(けんしゅん)の地に首都をおこうとした。そのとき武王の弟の周公旦(しゅうこうたん)が諫止(かんし)した。
「このようなけわしいところに王都を定めれば、諸侯が入朝(にゅうちょう)するにも、諸方が入貢するにも、難儀をいたします。まして周王朝が悪政をおこなって万民を苦しめたとき、諸侯によって匡(ただ)されにくくなります」
 王朝が天下の民にとって元凶にかわったとき、滅亡しやすいところに王都を定めるべきである、と周公旦はいったらしい。
 ――周公旦とは、何という男か。
 と、楽毅は腹の底から感動したおぼえがある。また、周公旦の諫言を容(い)れて、あっさり山をおりた武王の寛容力の大きさにも驚嘆した。

   

2014-06-16

オフコース - 言葉にできない


 これほど美しい微速度映像を見たことがない。

気格/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

「薛公(せっこう)についていえば、天の気をもった人だな。風雨を吐きだすことができる。彼に撃ちかかろうとしても、ひと息で飛ばされよう。飢渇(きかつ)した者は、慈雨(じう)をあびることができよう。中山(ちゅうざん)は薛公にすがることだ」

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】

「気」にまつわる文章をいくつか拾ってみよう。気とは陰陽(いんよう)を往き交うものと私は理解している。気息の場合は呼気が陽で吸気が陰となるようだが(第四難)、個人的には呼吸が陽で息の止まる一瞬が陰と考えている。(追記/ただし声で考えると前者がわかりやすい)

 陰陽の落差が気格の個性を表すのだろう。「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」(ウォルト・ホイットマン)。苦労や困難が人生の幅を押し広げる。生命の感応する力が豊かになる。そこに気の深さや太さがある。孟嘗君(もうしょうくん/薛公)は背が低かった。だが飄然とした態度の中に気宇壮大が滲み出た。その人格は楽毅の人生に鮮やかな色彩を加えた。先に『孟嘗君』を読んでおくと、まるで自分の親戚が登場したかのような親しみを覚える。

 狐午(こご)は中山(ちゅうざん)の貴門を出入りし、他国の貴族と面語することもあるが、楽毅のような人柄に会ったことがない。一言でいえば、ふところが■(ひろ)くて巨(おお)きい。人格からたちのぼる気が、虚空(こくう)をさわやかにあざやかに切りすすんでゆく。
 ――めずらしい人だ。
 と、狐午はおもった。好きになったのである。だが商人としての自覚が、そういう感情のかたむきを認めなかった。人への好悪(こうお)は商人が冷静におこなわなければならぬ計算を狂わせる。その自覚が商売という戦場を生きぬくための商人にとっての甲(よろい)である。

 第一巻なので楽毅はたぶん二十代であろう。人生経験の乏しい若者は底が浅い。そして底の浅さに甘んじる若者が多い。やはり溌剌(はつらつ)たる気を漲(みなぎ)らせるべきだろう。自己嫌悪に陥るよりも学ぶことを自らに課せばよい。10代、20代で悪い姿勢が身につくとものが見えなくなる。

 父は自分の子を毅然(きぜん)とつくっている魂胆(こんたん)の重厚な精強さに気づいた。暗殺者はもしかすると楽毅に両断されるまえに、楽毅の渾身(こんしん)から発揚された鋭気のようなものにうちのめされたのかもしれない。
 ――人とはふしぎなものだ。
 身分とはちがうところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のり■(こ)えることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。

 人生には気の通う出会いがある。もっと極端に言ってしまえば人生は出会いで決まる。その意味で誰と出会うかが肝心だ。数々の出会いが自分自身を染め上げてゆく。もちろん悪い出会いも多い。易(やす)きに流されればあっと言う間に転落してゆく。尊敬できる人物をもつ人は幸せだ。どんな世界にも人物はいるものだ。若者は血眼になって探し回れ。

   

2014-06-15

勝利を創造する/『楽毅』宮城谷昌光


『管仲』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『長城のかげ』宮城谷昌光

 ・マントラと漢字
 ・勝利を創造する
 ・気格
 ・第一巻のメモ
 ・将軍学
 ・王者とは弱者をいたわるもの
 ・外交とは戦いである
 ・第二巻のメモ
 ・先ず隗より始めよ
 ・大望をもつ者
 ・将は将を知る

『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 むろん孫子(そんし)の兵法書は暗記するほどくりかえし読んだ。そうするうちに、
 ――なるほど、人も兵法も、じつにあいまいなものだ。
 ということに想いが到(いた)った。
 生まれて死ぬまで、おなじでありつづける人などどこにもいない。赤子の身重のまま死の牀(とこ)につく老人がないこと、そのひとつをとっても、人は変化するのである。
 兵も同じである。多数の兵は少数の兵につねにまさるとはかぎらない。陣形も地形によって変化する。それに将軍と兵のよしあしを考えあわせてみると、かならず勝つという戦いができるのは、一生のうちに一度あればよいほうであろう。むろん孫子はそんないいかたをしていない。必勝の法をさずけてくれてはいるのだが、楽毅〈がっき〉はむしろ、その法にこだわると負けるのではないか、とおもった。兵法とは戦いの原則にすぎない。が、実戦はその原則の下にあるわけではなく、上において展開される。つまり、かつてあった戦いはこれからの戦いと同一のものではなく、兵を率いる者は、戦場において勝利を創造しなければならない。

【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】

 諸葛亮(孔明)が敬慕した名将が楽毅〈がっき〉その人である(管仲・楽毅・晏嬰伝)。智だけでも勇だけでも名将たり得ない。情に人はついてくるが理を欠いては組織することが難しい。若き楽毅は戦場を「生きた現場」と捉えた。兵法に戦場を当てはめるのではなくして、理外の理を鋭く見抜いた。現在の言葉でいえばランダム性だ。

 思い通りに運べば未来は予測されたものとなる。そこに自分自身の変化はない。勝利は「計る」(『新訂 孫子』金谷治訳注)ものであると同時に「創造」するものなのだ。

「創造」の一言が重い。人生もまた同様であろう。トラブルや悲劇という不確定要素が自分の創造力を問う。創造は何も神様の専売特許ではない。