2011-06-03

須賀敦子、菊地信義、グレッグ・ルッカ


 2冊挫折、1冊読了。

 挫折22『遠い朝の本たち』須賀敦子(筑摩書房、1998年/ちくま文庫、2001年)/開くなり「調布のカルメル会修道女」と出てきてウンザリ。これだけで「敬虔なクリスチャン」という印象が黒々と浮かび上がってくる。強信(ごうしん)のブードゥー教信者とか厳格なムスリムだったら書けない。それだけでもずるいと思う。「わたくし、クリスチャンですのよ。オホホホホ」という忍び笑いが聞こえてきそうだ。エッセイを読んでいると、水で薄めたウイスキーみたいに感じて、パラパラとめくってパタンと閉じてしまった。

 挫折23『樹の花にて 装幀家の余白』菊地信義(白水社、1993年/白水Uブックス、2000年)/菊地は装丁の第一人者。文章が巧みだ。上手すぎて鼻につく。見事なデッサンなんだが、どうも線が気に入らぬ。銀座の様々な表情が描かれている。


 34冊目『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ/古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉(講談社文庫、2002年)/アティカス・コディアック・シリーズの第三弾。600ページ近いが一日で読了。やはり順番で読むのが正しい。サービス過剰のあまり冗長な部分もあるが、文章がいいので苦にならない。ブリジット・ローガンの使い方が実に上手い。登場しないことで存在感を際立たせている。巨大な煙草メーカーを告発する重要証人の警護を行う。この爺様が不思議な魅力を放っている。

2011-06-02

世界の構造は一人の男によって変わった/『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ


『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 ・世界の構造は一人の男によって変わった

『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文

 政治・経済・文化という次元で世界を理解しようと思えば、キリスト教を避けて通るわけにはいかない。欧米を中心とする世界基準はキリスト教であるからだ。思想的背景が異なると言葉の意味すら変わってくる。日本語で人間といえば同じ生き物としての平等性を感じるが、これが英語だと神の僕(しもべ)として何らかの役割を担っている雰囲気がある。

社会を構成しているのは「神と向き合う個人」/『翻訳語成立事情』柳父章

 ポール・ヴェーヌは古代ローマ史を研究する碩学(せきがく)とのこと。はっきりと断っておくが面白くない本である。にもかかわらず、私が長らく抱いていた疑問が解けた。それは「いつからキリスト教が西洋のスタンダードになったのか?」というものだ。

 で、犯人がコンスタンティヌスであることはわかっていた。問題は犯行の手口だった。

 西洋史、さらには世界史にあってさえ決定的だった出来事のひとつが、312年に広大なローマ帝国内で生じた。

【『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ:西永良成〈にしなが・よしなり〉、渡名喜庸哲〈となき・ようてつ〉訳(岩波書店、2010年)以下同】

 312年にコンスタンティヌスは西ローマ帝国を制覇した。で、歴史を揺るがす大事件とは何であったのか?

 ところが、その翌年の312年、およそ予測することも不可能だったひとつの出来事が生じた。すなわち、共同皇帝の別のひとり、この壮大な物語=歴史のヒーローであるコンスタンティヌスが(「おまえはこの徴(しるし)のもとに勝利するであろう」という)夢のお告げのあと、キリスト教に改宗したのである。当時のキリスト教とは〈帝国〉の人口(おそらくは7000万人)のわずか5ないし10パーセント程度でしかなかったと考えられている。だからこそJ・B・ペリーは、「312年、大多数の真価が考えていたことに挑戦し、これを軽蔑しつつコンスタンティヌスの成しとげた宗教革命はたぶん、かつてひとりの専制君主が敢行したうちでも、最も大胆な行為だったことをけっして忘れてはならない」と書いているのである。

 有名なエピソードである。キリスト教世界は夢のお告げから誕生したのだ。啓示、あるいは悟りと考えてよかろう。現在、世界の宗教人口はキリスト教33.4%、イスラム教22.2%、ヒンドゥー教13.5%、仏教5.7%となっている(百科事典『ブリタニカ』年鑑2009年版)。

 しかしながら、王の改宗自体は決して珍しいものではない。この時何が変わったのか?

 すなわち、ローマの玉座がキリスト教になり、〈教会〉が権力になったということである。もしコンスタンティヌスがなかったなら、キリスト教はひとつの前衛的宗派にとどまっていたことだろう。

 これだよ、これ。権力の移行を伴ったことが最大の違いであった。見ようによっては、政治権力を政教という形で分散したようにも考えられる。本質的には政治が現実生活の枠組みを規定し、宗教が内面の物語を構成する以上、全く新しい「大文字の歴史」が誕生したといってよい。

 彼は自分の臣下たち全員がキリスト教徒になるのを見たいと心底願っていたにもかかわらず、彼らを改宗させるという不可能な任務に手を染めることはなかった。これは異教徒を迫害しなかったし、異教徒の発言を封じもしなかったし、異教徒の出世を不利にすることもしなかった。迷信家どもが身を滅ぼしたいというのなら、それは彼らの勝手だ、というわけである。コンスタンティヌスの後継者たちもやはり異教徒を強制せず、彼らの改宗の務めをもっぱら〈教会〉にゆだねたのであり、そしてこの〈教会〉も又迫害よりも説得を用いることになった。

 これは凄い。コンスタンティヌスはキリスト教を「公正なもの」に変えたのだ。すなわち、彼の「人間としての振る舞い」がキリスト教を世界基準にまで高めたのだ。コンスタンティヌスは命令よりも感化を選んだ。人間への限りない信頼によって、言葉の意味すら重みが増したことだろう。

 コンスタンティヌスは又、たとえ犯罪者であろうとも、キリスト教徒に罪を償わせる合法的な義務を免除してやった。当時、有罪者の一部は強制的に剣闘士として闘う刑に処されていた。ところが、聖なる〈戒律〉は「汝、殺すなかれ」と定めている。だから、剣闘士たちは久しく〈教会〉にはいることを認められていなかった。そこでコンスタンティヌスは、キリスト教徒には「受刑者が流血を見ることなく、自らの大罪の罰が感じられるように」と、闘技場での闘いの刑を鉱山や採石場での強制労働に代える決定をくだしたのである。この偉大な皇帝の後継者たちも以後、これと同じ法律を尊重することになるだろう。

 彼はまた、キリスト教を「法」へと高めたのだ。劇的なパラダイムシフトといってよい。完璧なソフトパワー革命だ。

 要はこうだ。コンスタンティヌスという人間の思考回路は時代を超越していた。ある日、夢が引き金となってシナプスの構成が一変した。彼はいまだかつてなかった常識と道理を政治レベルで示した。その瞬間、人々の脳の構造も変わった。かくしてキリスト教世界が生まれたわけだ。一人の脳内ネットワークがそのまま社会ネットワークと化した。

 コンスタンティヌスは最初のマグマだったのだ。312年に始まった噴火は中世まで続いた。そして全く新しい山脈が出来上がった。

 その後のキリスト教の歴史を見れば、キリスト教そのものに力があったとは思えない。世界の混乱の大半はキリスト教に原因があると私は考えている。神と人間、そして人間と動物の差別意識が征服や侵略を可能にしたと思う。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 とすると、コンスタンティヌスによるキリスト教の「扱い方」に最大の勝因があったのではなかろうか。それはそのまま「人間に対する扱い方」でもあった。

 世界の構造は一人の男によって変わったのだ。万人が納得し得る合理性こそがその鍵となる。



コンスタンティヌス家 Constantinus
コンスタンティヌス1世 (AD307-AD337)
キリスト教の創立者/コンスタンティヌス
映画『Zeitgeist(ツァイトガイスト) 時代の精神』ピーター・ジョセフ監督
欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
サードマン現象は右脳で起こる/『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー
イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

武田邦彦「日本社会は原子力という巨大技術を実施するポテンシャルがない」


 痺れた。数学的思考が具体的な答えを導き出している。

「私は原子力の技術に関しては絶対に大丈夫だと思っている。だけど日本社会は原子力という巨大技術を実施するポテンシャルがない。例えば非常に具体的に言えば東大教授を全員クビにして、天皇陛下の叙勲を全部なくして、官僚を全部教育し直して、万機公論(ばんきこうろん)に決するようにして、という条件がなけりゃダメだ」(武田邦彦)

『そのまま言うよ!やらまいか』 第14回「民主主義 part6」

世界は狭い


 世界は知覚で構成されている。つまり知覚の限界が世界の涯(はて)である。その意味ではいかなる世界であっても狭い。大切なことは世界を広げることよりも、狭い世界に対する自覚である。しなやかな精神の持ち主は、世界を柔らかに再構成してゆくことができる。

信仰者は言葉の奴隷である


 信仰者は教えられた答えにしがみつく。教義が絶対的なものであるなら、彼らは言葉の奴隷といってよい。かつて教義が変わらなかった教団は存在しない。信者は大きな口で変更された教義を鵜呑みにする。