2011-06-09
ジョナサン・トーゴヴニク
1冊読了。
35冊目『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)/奥歯を噛み締めながら何とか読了した。30人の母親がルワンダ大虐殺を語る。母と子の写真、子供のポートレート、談話がそれぞれ1ページずつ。100日の間に80万人が切り刻まれる中で、彼女らは繰り返し繰り返し強姦された。ここに写っている子供たちは性的暴力から生まれた子だ。およそ2万人もいるという。30代であれば、私は本書を読むことができなかったことだろう。自分の内部で荒れ狂う暴力性を抑えることが困難なためだ。「子供を愛せない」と語る母親がいる。敵の子を生んだことで家族から見放される女性もいる。そして皆がHIVに感染していた。この世界は暴力にまみれている。「人類は滅んだ方がいい」と本気で思った。強姦をした男は凌遅刑(りょうちけい)にすべきだ。子供たちの瞳に撮影者が写っている。いや、それは私なのだ。ルワンダを知り得なかったことでジェノサイドに加担した私なのだ。
2011-06-08
指数関数的な加速度とシンギュラリティ(特異点)/『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・『人類が知っていることすべての短い歴史』ビル・ブライソン
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
・『人間原理の宇宙論 人間は宇宙の中心か』松田卓也
・全地球史アトラス
・『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』松田卓也
・指数関数的な加速度とシンギュラリティ(特異点)
・レイ・カーツワイルが描く衝撃的な未来図
・アルゴリズムが人間の知性を超える
・意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『トランセンデンス』ウォーリー・フィスター監督
・『LUCY/ルーシー』リュック・ベッソン監督、脚本
・『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
・『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『養老孟司の人間科学講義』養老孟司
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
・『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
・『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
・情報とアルゴリズム
・必読書リスト その五
レイ・カーツワイルが描く未来予想図は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』を軽々と凌駕している。鉄腕アトムですら足元にも及ばない。
人間の頭脳や身体がテクノロジーの進化によって拡張されるという主張は比較的理解しやすい。
・「体重支持型歩行アシスト」試作機(ホンダ)
我々はあまり意識することがないが、既に身体化されたテクノロジーはたくさんある。杖や眼鏡は元より、衣服や靴が典型であろう。脳の拡張という点では文字の発明が決定的だと思われる。そして粘土板(ねんどばん)、木簡・竹簡、パピルス、羊皮紙と保存ツールは進化してきた。今やテキストはデジタル化されている。テクノロジーの発達は桁外れのスピードを生む。
レイ・カーツワイルは最終的な予想として、知性がナノテクノロジーによってミクロ化され、統一された意志が宇宙に広がってゆく様相を描いている。もうね、ため息も出ないよ。
ホロコーストからのがれてきたわたしの両親は、いずれも芸術家で、子どもには、実際的で視野の広い宗教教育を施したいと考えた。それでわたしは、ユニテリアン派教会の教えを受けることになった。そこでは、半年かけてひとつの宗教について学ぶ。礼拝に出て、教典を読み、指導者と対話する。それが終わると、次の宗教について勉強する。「真理に至る道はたくさんある」という考え方がその中心にあるのだ。世界中の宗教の伝統には共通するところがたくさんあるが、一致しないところも明らかにあることに当然気付いた。おおもとの真実は奥が深くて、見かけの矛盾を超えることができるのだということが、だんだんとわかってきた。
【『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル:井上健〈いのうえ・けん〉監訳、小野木明恵〈おのき・あきえ〉、野中香方子〈のなか・きょうこ〉、福田実〈ふくだ・みのる〉訳(NHK出版、2007年)以下同】
レイ・カーツワイルはドグマから自由であった。ホロコーストは固定観念から生まれる。親御さんの聡明さが窺える。信念・思想・哲学・宗教は価値観を固定化する。これは科学の世界においても同様で、人間が自由にものを考えることができると思うのは大間違いだ。それどころか脳科学の分野では自由意志すらないと考えられているのだ。
・人間に自由意思はない/『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
詩人のミュリエル・ルーカイザーは、「宇宙は、原子ではなく物語でできている」と語った。
さすが詩人である。ものの見事に本質を一言で衝(つ)いている。物語とは「時系列に因果をあてはめてしまう脳の癖」と考えればよい。3年ほど考え抜いて私はそう結論するに至った。
・「物語」関連記事
誰しも、自分の想像力の限界が、世界の限界だと誤解する。
――アルトゥール・ショーペンハウアー
これが本書を読む際の注意事項だ。上手いよね。
21世紀の前半にどのような革新的な出来事が待ち構えているのかが、少しずつ見えてくるようになった。宇宙のブラックホールが、事象の地平線〔ブラックホールにおいて、それ以上内側に入ると光すらも脱出できなくなるとされる境界〕に近づくにつれ、物質やエネルギーのパターンを劇的に変化させるのと同じように、われわれの目の前に迫りくる特異点は、人間の生活のあらゆる習慣や側面をがらりと変化させてしまうのである。性についても、精神についても。
特異点とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないことに変容してしまうような、来るべき未来のことだ。それは理想郷でも地獄でもないが、ビジネス・モデルや、死をも含めた人間のライフサイクルといった、人生の意味を考えるうえでよりどころとしている概念が、このとき、すっかり変容してしまうのである。
特異点(シンギュラリティ)とは因果が崩壊する地点を意味する。続いて『成長の限界 ローマ・クラブ人類の危機レポート』で示された「幾何級数的成長の限界」の例として有名な「睡蓮の例え」を紹介。レイ・カーツワイルは「指数関数的な成長」と表現している。
・環境経済学入門 Chihiro's web
つまり、テクノロジーが右肩上がりで急速な上昇を遂げた後に、全く新たな地平(=特異点)が現れるということだ。自動車が製造されるとアスファルトの道路ができる。交通手段の発達は移動時間を短縮した分だけ人生の密度を高める。通信技術の進化は移動する手間すら省(はぶ)いてしまった。江戸時代の人々からすればテレパシーも同然だ。このように技術は世界を変えるのだ。世界観や概念が激変すれば、世界の風景は完全に変わる。パラダイムシフト。
人間の脳は、さまざまな点でじつにすばらしいものだが、いかんともしがたい限界を抱えている。人は、脳の超並列処理(100兆ものニューロン間結合〔シナプスでの結合〕が同時に作動する)を用いて、微妙なパターンをすばやく認識する。だが、人間の思考速度はひじょうに遅い。基本的なニューロン処理は、現在の電子回路よりも、数百万倍も遅い。このため、人間の知識ベースが指数関数的に成長していく一方で、新しい情報処理するための生理学的な帯域幅はひじょうに限られたままなのである。
後で詳しく解説されているが、結局のところ光速度が最後の壁となる。真の特異点とは光速度を意味する。そしてレイ・カーツワイルは光速度を超えることは可能だとしている。
われわれは今、こうした移行期の初期の段階にある。パラダイム・シフト率(根本的な技術的アプローチが新しいものへと置き換わる率)と、情報テクノロジーの性能の指数関数的な成長はいずれも、「曲線の折れ曲がり」地点に達しようとしている。この地点にくると、指数関数的な動きが目立つようになり、この段階を過ぎるとすぐに、指数関数的な傾向は一気に爆発する。今世紀の半ばまでには、テクノロジーの成長率は急速に上昇し、ほとんど垂直の線に達するまでになるだろう――そのころ、テクノロジーとわれわれは一体化しているはずだ。
凄い。特異点の向こうの世界が示しているのはビッグバンそのものだ。しかも爆発(ビッグバン)から誕生した宇宙にある星々は爆発で死を迎えるわけだから、生と死をも象徴している。「芸術は爆発だ!」と岡本太郎は言ったが、宇宙全体が爆発というリズムを奏でているのだ。人類が戦争好きなのも、こんなところに由来しているのかもしれない。
1950年代、伝説的な情報理論研究者のジョン・フォン・ノイマンがこう言ったとされている。「たえず加速度的な進歩をとげているテクノロジーは……人類の歴史において、ある非常に重大な特異点に到達しつつあるように思われる。この点を超えると、今日ある人間の営為は存続するすることができなくなるだろう」ノイマンはここで、【加速度】と【特異点】という二つの重要な概念に触れている。加速度の意味するところは、人類の進歩は指数関数的なものであり(定数を【掛ける】ことで繰り返し拡大する)、線形的(定数を【足す】ことにより繰り返し増大する)なものではない、ということだ。
現在使用されている殆どのパソコンは「ノイマン型コンピュータ」である。そのノイマンだ。ま、上に貼り付けたWikipedia記事の「逸話」という項目を読んでごらんよ。天才という言葉の意味が理解できるから。
非線形性については以下の記事を参照されよ。
・バイオホロニクス(生命関係学)/『生命を捉えなおす 生きている状態とは何か』清水博
このテーマは実に奥が深く、チューリングマシンやゲーデルの不完全性定理とも絡んでくる(停止性問題)。
その限界はテクノロジーで打ち破れるとレイ・カーツワイルは叫ぶ。やがて宇宙は人類の意志と知性で満たされる。そのとき神が誕生するのだ。すなわちポスト・ヒューマンとは神の異名である。
今日はここまで。まだ一章分の内容である(笑)。
・ロン・マッカラム:視覚障害者の読書を可能にした技術革新
・脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
・情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
・宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
・機械の字義/『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『歴史的意識について』竹山道雄
・ジョン・ホイーラーが示したビッグクエスチョン/『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー
・デジタル脳の未来/『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
2011-06-07
インターネット上に巣食う揶揄・中傷文化~山本弘の場合
最近、武田邦彦の動画を山ほど観ている。
・斧チャン:武田邦彦
理路整然としていてわかりやすい上、プレゼンテーション能力が高い。それでいて人懐っこくて朗らかだ。東日本大震災以降は、自分が原子力発電に関わってきた責任感から、具体的なメッセージを次々と発信した。
・武田邦彦公式サイト
あまりに面白いので古い動画も探した。武田は「環境問題は幻想であり、何ら科学的根拠がない」とテレビで主張し注目を集めた。これに対してSF作家の山本弘が「武田はデータ捏造をしている」という内容の著作を発行した(山本弘著『“環境問題のウソ”のウソ』楽工社、2007年)。
そして直接対決となったのが以下の番組である(URLは音声のみ)。
http://youtu.be/xwS6WZH0NNQ
http://youtu.be/Jle5Iu5-pvQ
http://youtu.be/JsN0FWCfkMo
http://youtu.be/sxX3txksS48
http://youtu.be/wkFvTeoUBi4
http://youtu.be/bwTt7DmJrto
見るからにオタクである。容貌も声も薄気味悪い。細かいデータを持ち出し指を差す仕草に嫌悪感を覚える。こういう輩(やから)は議論するよりも殴ってやった方がいい、とまで思う。
山本弘が行っているのは単なる「突っ込み」である。武田邦彦は世界に布かれつつあるルールが欺瞞である可能性を指摘しているのだ。山本はそこを問わずに些細な間違い探しに執心している。しかも薄ら笑いを浮かべながら。結果的に権力者を利している自覚もないのだろう。
山本は「と学会」の一員としても知られるが、結局あいつらのやっていることはこういうことなのだ。趣味としての粗(あら)探し。木を見て森を見ず、枝を見て花を見ず。唐沢俊一なんかも話は面白いが人間として信用できるタイプではない。
インターネットに巣食う揶揄・中傷文化は、ひょっとしたら彼らのような連中が先導した可能性もある。一般人からするとオタクの胡散臭さは直ぐわかる。東浩紀や宮台真司が信用ならないのは、言葉の端々に2ちゃんねる用語が出てくるためだ。小田嶋隆も同様。
彼らは全てを面白がってしまうために基本的な礼節を欠くところがある。掲示板のノリなのだ。確かにその軽さが魅力でもあるのだが、山本みたいな軽薄さを私は許すことができない。
昆虫の触覚が反応するかのように彼らは瑣末な知識を集める。そんなものがいくらあったところで、人の心を打つことは不可能だ。
ツイッターなどでも、ただ印象を垂れ流す連中が多い。相手が著名人であることをいいことに、口汚く罵る姿も珍しくはない。せめて相手の正面に立って言えることだけ書くべきではなかろうか。
身の丈に応じた言葉づかいができない限り、インターネット上の議論が成熟することはないだろう。
2011-06-06
自閉症者の可能性/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
・『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
・宗教の原型は確証バイアス
・自閉症者の可能性
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」がうまれたとき』山極寿一、小原克博
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
順番だと、レイ・カーツワイル著『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』を書くはずなのだが、今日はそれほどの体力がない。万全の体調でなければ歯が立たない代物だ。そこで『ポスト・ヒューマン誕生』と併読すべき本書を紹介することにした。
実は全く畑違いの本ではあるが、知性という一点において恐るべき共通性がある。テンプル・グランディンは自閉症の動物学者だ。知能は優れていることから、アスペルガー障害と思われる。彼女は幼い頃から動物の気持ちを理解することができた。
私は動物はどんなふうに考えているかわかるのだが、自閉症でない人は、それがわかった瞬間はどんな感じだったときまってたずねる。直感のようなものがひらめいたと思うらしい。(中略)
子供のころは、自分が動物と特別な結びつきがあるとは思ってもいなかった。動物は好きだったが、小さい犬は猫ではないのだということを理解するだけでも苦労した。これは人生の一大事だった。私が知っていたいのはどれもみな、とても大きかったから、犬は体が大きいものだと思っていた。ところが近所の人がダックスフントを買ってきて、さっぱりわけがわからなくなった。「なんでこれが犬なの?」といいつづけ、謎を解こうとしてダックスフントをじっくり観察した。ダックスフントがうちのゴールデンレトリーバーと同じ種類の鼻をしていることに気づいて、ようやく納得した。
【『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン:中尾ゆかり(NHK出版、2006年)以下同】
本書が凄いのは、自閉症と動物心理という別次元の話を何の違和感もなく縦横に織り込んでいるところだ。この文章からはカテゴリー化に苦労していることがわかる。つまり自閉傾向がある人は細部を中心に見るのだ。
そのしかけが目にとまったとたんに、私はおばに車を停めてもらい、車から降りて見物した。締めつけ機の中にいる大きな牛から目がはなせなくなった。こんなに大きな金属製の工作物でいきなり体を締めつけられたら、牛はさぞかしおびえるだろうと思うかもしれないが、まったく逆だ。牛はじつにおとなしくなる。考えてみればわかるのだが、だいたい誰でもじわりと圧力をかけられると気持ちが落ち着く。マッサージが心地いいのも、じわりと圧力を感じるからだ。締めつけ機で締められると、新生児が産着(うぶぎ)に包まれたときやスキューバダイバーが水にもぐったときに感じる、おだやかな気持ちになるのだろう。牛は喜んでいた。
少女時代のエピソードである。言われてみればなるほどとは思うものの、そこまで動物を観察することは難しい。羊水に浮かぶ胎児や抱っこされる赤ん坊を思えば、締めつけられることが心地いいというのは納得できる。
馬はとりわけ10代の子どもに好ましい。マサチューセッツ州で精神科医をしている友人は、10代の患者をたくさん診(み)ているが、乗馬をする子には、かくべつの期待をかけている。同じ程度の障害で同じ問題をもつふたりの子供のうち、ひとりは定期的に乗馬をし、もうひとりは乗馬をしない場合、最後には、乗馬をする子のほうがしない子よりも改善が見られるというのだ。ひとつには、馬をあつかうときに大きな責任がともなうため、世話をしている子は好ましい性格を発達させるということがある。だが、もうひとつ、乗馬は見た目とちがって、人が鞍に腰かけて、手綱を引いて馬に命令するものではないということもある。ほんものの乗馬は、社交ダンスがてらのフィギュアスケートによく似ている。おたがいの関係で成り立っているのだ。
これなんかは、自閉症のお子さんがいるならば試すべきだと思う。たぶん情愛ではなく、システマティックな関係となっているのだろう。それでも関係性を広げることは大切だ。
マーク・ハッドン著『夜中に犬に起こった奇妙な事件』の主人公である少年もアスペルガー障害だが、彼は表情があらわすサインを読み解くことができない。人間関係のトラブルを防ぐために、感情別の顔マークが書かれたカードを持ち歩いていた。
彼らは我々と異なる世界で生きているのだ。まずそれを認めることから始める必要があろう。異なる価値観ではなく異なる世界を認めること。そうすれば、無理に「こちらの世界」へ引きずり込もうとする努力も不要になる。
自閉症をもつ人は動物が考えるように考えることができる。もちろん、人が考えるようにも考える――そこまでふつうの人とちがううわけではない。自閉症は、動物から人間へいたる道の途中にある駅のようなものだ。そのおかげで、私のような自閉症の人は「動物のおしゃべり」を通訳する絶後の立場にある。私は、動物の行動のわけを飼い主に説明できる。
好きだからこそ、自閉症を抱えていながら成功できたのだと思う。
とすると自閉症は前頭葉の機能障害なのかもしれない。「障害」というべきかのかどうかも微妙だ。なぜなら自閉傾向の強い人は増えていて、発達障害、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、更にはパーソナリティ障害などの症例で知られている。
ってことはだよ、ひょっとすると進化している可能性もあるのだ。都市部の人口密度の高さ、満員電車、高速道路の渋滞、汚れた空気、ジャンクフードなどの環境リスクを回避するために、脳機能が変化したと考えても不思議ではない。
・『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス
動物はサヴァン自閉症の人に似ている。それどころか、動物は、じつはサヴァン自閉症だとさえいえるのではないだろうか。自閉症の人がふつうの人にはない特殊な才能をもっているのと同じように、動物もふつうの人にはない特殊な才能をもっている。たいていの場合、動物の才能は、自閉症の人の才能があらわれるのと同じ理由であらわれると私は考えている。自閉症の人と動物に共通してみられる脳のちがいだ。
・九千冊の本を暗記する男 サヴァン症候群とは
私は会話の中の特定の言葉や文章をほとんどおぼえていないから、なにをきかれたか記憶にない。自閉症の人は絵で考えるからだ。頭の中では、まったくといっていいほど、言葉はめぐっていない。次から次へとイメージが流れているだけだ。だから、質問の内容はおぼえていないが、質問をされたということだけはおぼえている。
これを直観像記憶(映像記憶)という。手っ取り早く言ってしまおう。彼らはたぶん物語を必要としないのだ。だからこそ感情や意味を読み解くことができないのだろう。豊かな感情=善ではない。行き過ぎた恋愛感情が刃傷沙汰(にんじょうざた)に発展することは珍しくない。生真面目な人が精神疾患となりやすいのも、相手の感情を考えすぎることが原因になっているような気がする。ステップを相手に合わせよう合わせようと努力して主体性を喪失する羽目となる。
テンプル・グランディンは自らの自閉症を通して、動物の世界を我々に見せてくれる。私は本書を読むまで少なからず、動物を知能の劣った人間みたいに考えていた。
世界とは世界観を意味する。世界観とは何らかの情報に基づいたシステム(系)のことだ。それが直観像だろうと感情だろうと世界であることに変わりはないし、何の問題もない。ただ、一般人とのコミュニケーションに齟齬(そご)をきたすことがあるというだけの話だ。
自閉症の世界は決して貧しい世界ではない。むしろ人間の別の可能性を示す豊かな世界であるといってよい。
私が設計した「中央トラック制御システム」は北アメリカのおよそ半分の向上に設置されている。
マクドナルドも彼女のシステムを導入している。動物の気持ちがわかる彼女ならではの見事な社会貢献だ。
・テンプル・グランディン:世界はあらゆる頭脳を必要としている
・自閉症者の苦悩
・サヴァン症候群~脅威の記憶力
・ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ
・野生動物が家畜化を選んだ/『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
・カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド
デイヴィッド・ベニオフ
1冊挫折。
挫折25『卵をめぐる祖父の戦争』デイヴィッド・ベニオフ/田口俊樹訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2010年)/120ページで挫ける。文章は大層巧みなのだがプロットが肌に合わず。主人公が卑屈すぎて、コーリャとの対比が残酷さを帯びている。たぶん作品の問題というよりは、私が年をとりすぎていることに原因があるのだろう。注目すべき作家であることは間違いない。
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