2011-06-28

趣味のいい者


「趣味のいい者は、たいてい少数派だ」

【『深海のYrr(イール)』フランク・シェッツィング:北川和代訳(ハヤカワ文庫、2008年)】

  

2011-06-27

藤野ともね、アマンダ・リプリー


 2冊読了。

 42冊目『カイゴッチ 38の心得 燃え尽きない介護生活のために』藤野ともね(シンコーミュージック・エンタテイメント、2011年)/ブログ「フンコロガシの詩」を書籍化した作品。実に構成がよい。文章とイラストが絶妙にマッチしていて、レイアウトやフォントの色にも工夫が施されている。藤野はフリーライターだったのね。どうりで文章が上手いわけだ。難点は二つ。ブログという性質上もあって藤野のプライバシーに殆ど触れていないため、介護の背景に厚みがない。もう一点は値段。いくら何でも1300円は高い。

 43冊目『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年)/インタビュー集にすべきであったと思う。文章のリズムが悪く、竜頭蛇尾となってしまっている。素材を生かしきれていない料理みたいだ。登場人物が遭遇した事故に思いを馳せながら、自分で結論を導く必要がある。

異端妄説の譏を恐るることなく、勇を振て我思う所の説を吐くべし


 故に昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。然ば即ち今日の異端妄説もまた必ず後年の通説常談なるべし。学者宜しく世論の喧しきを憚らず、異端妄説の譏を恐るることなく、勇を振て我思う所の説を吐くべし。
  ――福澤諭吉『文明論之概略』

【『自由貿易の罠 覚醒する保護主義』中野剛志〈なかの・たけし〉(青土社、2009年)】

自由貿易の罠 覚醒する保護主義文明論之概略 (岩波文庫)

中野剛志

2011-06-26

戦後の娯楽は映画からテレビに/『ナベプロ帝国の興亡』軍司貞則


 軍司貞則の本を読もうと思い立ち、取り敢えず入手しやすいものを選んだ。ナベプロの創業者・渡辺晋〈わたなべ・しん〉の一代記。芸能界から見た戦後の経済史として読むことも可能で、更にビジネス手法まで学べる。

 昭和30年代生まれであれば、幼い頃に観たテレビ番組の記憶が蘇ることだろう。シャボン玉ホリデーなど。

 戦後の娯楽といえば映画が王者の座に君臨していた。日常の情報は新聞とラジオが支えていた。そこへテレビが台頭してくる。

 NHKの関係者から「すさまじい勢いで受信契約世帯が増えている」という話をきいていた。昭和33年のNHK受信契約世帯は100万世帯だったが、1年後には500万世帯に迫る勢いだという。すごい伸び率である。こんな伸びを示しているものが他にあるだろうか。
 それに輪をかけるように、34年2月に東芝がカラーテレビ第1号を完成させていた。カラーテレビはまだまだぜいたく品で1台52万円だが、各方面から問い合わせが多いという。さらにソニーが昭和35年4月に向けてオールトランジスターテレビを発売するという噂も聞いていた。小売価格は6万9800円だという。
 確実にテレビは普及する。
 白黒(モノクロ)からカラーになり、サイズも自由になる、と渡辺晋は予測した。

【『ナベプロ帝国の興亡』軍司貞則〈ぐんじ・さだのり〉(文藝春秋、1992年/文春文庫、1995年)以下同】

 これは街頭テレビ(1953年/昭和28年)の影響が大きかった。力道山が白人レスラーをやっつける姿を見て、敗戦に打ちひしがれていた日本国民は狂喜した。ま、一種の敗者復活戦みたいなものだったのだろう。

 そして映画の斜陽が始まったのは1960年(昭和35年)であった。

 映画は確実にテレビに喰われ始めていた。劇場へ行く観客が減っているのだ。全盛期の昭和33年に年間11億2700万人を数えた映画館入場者数は、36年には8億6300万人へと激減していた。
 戦後、映画は娯楽の王者であり、テレビ創成期も映画俳優はテレビを「電気紙芝居」と蔑んで絶対にブラウン管には登場しなかった。ところが昭和37年にはNHKの受信契約世帯は1000万台を突破し、4月からTBS系で始まったアメリカのテレビ映画「ベン・ケーシー」が視聴率50パーセントを超えるという事態が生じる。徐々にではあるが「テレビ」と「映画」の関係の逆転現象が起こり始めていた。
 晋と美佐はそれに気づいていた。

 1958年から翌年にかけてミッチー・ブームが吹き荒れる。皇太子の御成婚(1959年)をひと目見ようと、人々はテレビを買い求めた。そして東京オリンピック(1964年)でテレビは全国のお茶の間に備えられた。

日本映画産業統計:過去データ一覧表

 入場者数を見ると1959年をピークに、1960年はほぼ横ばいだが1961年から激減している。この数字からテレビの普及率が窺えよう。

 ナベプロは創業期のテレビ局をバックアップしながら、その一方で落ち目となった映画界に触手を伸ばした。そして計算通り、クレージーキャッツの映画作品を次々と大ヒットさせる。

 大宅壮一が一億総白痴化といったのは『週刊東京』1957年2月2日号でのこと。まだまだテレビが蔑まれていた時代であった。

 テレビというパンドラの匣(はこ)は、広告代理店が企業を統治するメディア情況を生んだ。視聴者はコントロールされる対象に貶(おとし)められた。今となっては単なる世論誘導の道具にすぎない。

 先ほど以下のツイートが流れてきた。

1.もっと使わせろ、2.捨てさせろ、3.無駄使いさせろ、4.季節を忘れさせろ、5.贈り物をさせろ、6.組み合わせで買わせろ、7.きっかけを投じろ、8.流行遅れにさせろ、9.気安く買わせろ、10.混乱をつくり出せ【電通「戦略十訓」】(@take23asn

 完全に統治者の言葉づかいとなっている。ジョージ・オーウェルが描いた『一九八四年』の世界が現実化している。

現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル

チャールズ・ダーウィン


 2冊挫折。

 挫折34『種の起源(上)』ダーウィン:渡辺政隆訳(光文社古典新訳文庫、2009年)/ツイッターで@untitled_skz氏から勧められたのだが、私の手に負える本ではなかった。敢えなく撃沈。いつの日か再チャレンジ。

 挫折35『新版・図説 種の起源』チャールズ・ダーウィン、リャード・リーキー編:吉岡晶子訳(東京書籍、1997年)/図があれば何とかなるだろうと思ったものの、やはり一度染みついた先入観を拭うことは難しい。ついてゆけなくなった授業の雰囲気が漂う。完全なKO負け。