「無反応であるということ、無関心であるということ、無視され続けるということは、軍事攻撃を受けるということと同じように私たちを苦しめ続けます」
【『「パレスチナが見たい」』森沢典子〈もりさわ・のりこ〉(TBSブリタニカ、2002年)】
バビロニアの天文学とともにバビロニアの数ももたらされた。天文学上の目的でギリシア人は六十進法の数体系を採用し、1時間を60分に、また1分を60秒に分けた。紀元前500年頃、バビロニアの文献に空位を表すものとしてゼロが現れはじめた。当然、ゼロはギリシアの天文学界にも広まった。(中略)ギリシア人はゼロを好まず、使うのをできるだけ避けた。
【『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2003年/ハヤカワ文庫、2009年)以下同】
無限と空虚には、ギリシアを恐れさせる力があった。無限は、あらゆる運動を不可能にする恐れがあったし、無は、小さな宇宙を1000個もの破片に砕け散らせる恐れがあった。ギリシア哲学は、ゼロを斥けることによって、自らの宇宙観に2000年にわたって生きつづける永続性を与えた。
ピュタゴラスの教義は西洋哲学の中心となった。それは、宇宙全体が比と形に支配されているというものだった。惑星は、回転しながら音楽を奏でる天球の一部として動いているのだった。だが、天球のむこうには何があるのか。さらに大きな天球があり、そのまたむこうにはさらに大きな天球があるのか。いちばん外の天球は宇宙の果てなのか。アリストテレスやその後の哲学者たちは、無限の数の天球が入れ子状になっているはずはないと主張した。この哲学を採用した西洋世界に、無限を受け入れる余地はなかった。西洋人は無限を徹底的に排除した。というのも、無限はすでに西洋思想の根元を蝕みはじめていたからだ。それはゼノンのせいだった。同時代人から西洋世界でもっとも厄介な人物と見なされていた哲学者だ。
ギリシア人はこの問題に悩んだが、その根源を探り当てた。それは無限だった。ゼノンのパラドクスの核心にあるのは無限である。ゼノンは連続的な運動を無限の数の小さなステップに分割したのだ。ステップが無限にあるから、ステップが小さくなっていっても、競争はいつまでもつづくのだとギリシア人は考えた。競争は有限の時間のうちには終わらない――そうギリシア人は考えた。古代人には無限を扱う道具がなかったが、現代の数学者は無限を扱うすべを身につけている。無限は注意深く処理しなければならないが、征服できる。ゼロの助けを借りれば。2400年分の数学で武装した私たちにとって、振り返って、ゼノンのアキレス腱を見つけるのはむずかしくはない。
ギリシア人はこのちょっとした数学上の芸当をやってみせることができなかった。ゼロを受け入れなかったため、極限の概念をもっていなかった。無限数列の項には極限も目的地もなかった。終点もなく小さくなっていくように思われた。その結果、ギリシア人は無限なるものを扱うことができなかった。無の概念について思索はしたが、数としてのゼロは斥けた。そして、無限なるものの概念を弄んだが、数の領域の近辺のどこにも無限――無限に小さい数と無限に大きい数――を受け入れようとしなかった。これはギリシア数学最大の失敗であり、ギリシア人が微積分を発見できなかったただ一つの理由だった。
無限、ゼロ、極限の概念はすべて結びついて一束になっている。ギリシアの哲学者は、その束をほぐすことができなかった。そのため、ゼノンの難問を解くすべがなかった。だが、ゼノンのパラドクスはあまりにも強力だったので、ギリシア人は、ゼノンの無限を説明して片づけてしまおうと繰り返し試みた。しかし、妥当な概念で武装していなかったので、失敗する運命にあった。
5世紀頃、インドの数学者は数体系を変えた。ギリシア式からバビロニア式に切り換えたのだ。新しいインドの数体系とバビロニア式との重要な違いの一つは、インドの数が60ではなく10を底としていたことだ。私たちの数字は、インド人が用いた記号が発展したものだ。だから本来、アラビア数字ではなくインド数字と呼ばれるべきである。
インド人にとっては、負の数は文句なしに意味をなした。負の数がはじめて姿を表したのは、インド(および中国)だ。7世紀のインドの数学者、ブラフマグプタは、数を割る規則を述べ、そこに負の数も含めた。「正の数を正の数で割っても、負の数を負の数で割っても、正である。正の数を負の数で割ると、負である。負の数を正の数で割ると、負である」と書いた。これらは今日認められている規則だ。二つの数の符号が同じなら、一方をもう一方で割ると、答えは正である。
ブラフマグプタは、0÷0は0だと考えた(後で見るように、これは間違っている)。そして、1÷0は……何だと考えたのか、実はわからない。何しろ、ブラフマグプタの言っていることは大した意味がないから。要するに、ブラフマグプタは、手を振って、問題が消え去ってくれるよう願っていたのだ。
ブラフマグプタの誤りは、それほど長続きはしなかった。やがてインド人は、1÷0が無限大であることに気づいた。「ゼロを分母とする分数は、無限量と名づけられる」と、12世紀のインドの数学者、バスカラは書いている。バスカラは1÷0に数を加えると、どうなるかを語っている。「多くを足しても引いても、何の変化もない。無限にして不変の神のなかでは何の変化も起こらない」
神は見いだされた。無限大のなかに。そしてゼロのなかに。
アリストテレスはまだ教会をしっかり支配していて、どんなに優れた思想家も、無限に大きなもの、無限に小さなもの、無を斥けた。13世紀に十字軍が終わっても、聖トマス・アクイナスは、神が無限なるものをつくるなどというのは、学のある馬をつくるようなもので、そんなことはありえないと言い放った。しかし、だからといって、神が全能でないわけではなかった。神が全能でないという考えは、キリスト教神学で御法度だった。
教会はさらに数百年アリストテレスにしがみつきつづけるのだが、アリストテレスの没落と、無と無限の台頭は明らかにはじまっていた。ゼロが西洋世界に到来するのに好都合な時代だった。12世紀半ば、アルフワリズミの Al-jabr の最初の翻訳がスペイン、イングランド、ヨーロッパのその他の地域に入ってきていた。ゼロは迫ってきていたのであり、教会がアリストテレス哲学の足かせを断ち切るとすぐに登場した。
ほんの一粒の砂のような微細なものでもいいから私は伝えたい、それならできるかもしれない。一粒の砂のようなものを無限にあるうちから取り出して伝えたとしても、それはあなたの命を賭けるに値することがあるだろう。大事にして、ささいな事柄に極まりなくどこまでもどこまでも入り込んでいったほうがいい。今からでも遅くない。
【『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編(フィルムアート社、1997年)以下同】
感ずるという言葉は人間が作り出したものだ。見上げることもあったでしょう。下を向いたとき、あなたは感じたでしょう。しかし感ずるという言葉ではなかったかもしれない。右を向き、左を向き、あらゆる運動のなかで、やがて人間との関係が成立したときに欠くことができないもの、それは運動だった。下を向くということは自分自身を見つめるということに関係しているか。右を向き、左を向き、それはあなたの喜びや悲しみの分かち合うために必要だったのか。そのようにしてあなたの関節が肉体がだんだん成立したんだ。命には理屈が不必要だった。
舞踏の場というのは、お母さんのおなかの中だ。胎内、宇宙の胎内、私の踊りの場は胎内、おなかの中だ。死と生は分かちがたく一つ。人間が誕生するように死が必ずやってくる。つねに矛盾をはらんでいる。われわれの命が誕生する。さかのぼって天地創造までくる。天地創造からずうっと歴史が通じてわれわれのところまで続いている。これがわれわれの考えになければならないと思う。考えるということは生きるということだ。われわれはあんまり合理的にわかろうわかろうとして、大事なものはみんなぽろぽろぽろぽろ落ちてしまって、残ったものは味もそっけもないものになってしまう。
クレイジーじゃないとだめですよ。忘れたころに、花がここにあった。何か知らないけど、ここに花があった。花と、さて何しているんだ。花と語り合ってるんだ。トーキングですよ、花と。トーキングしようと思って、すっといくと、いつの間にか花がなくなってしまった。とにかくクレイジーですよ、だからフリースタイルで。
フリースタイル。何か表現しようというんじゃなくて。いま、トレーニングしたことは全部忘れてね。ただ立っているだけでもいい。
みんなの目を見た。何かね、考えているような目が非常に多いんだな。こうしよう、ああしようって。目のやり場がなくなってしまう。そういう中でさ、目がね、大事ですよ。宇宙の、宇宙が目のなかにすべて集約されている、要約されている。目がまるで宇宙のような、こういうなかで無心になることができる。目が開いている、目が。遠くを見るようにさ、瞳孔小さくして。見ない目ですよ、目に入っていない。宇宙がすっと入ってくる。そうすると、いつのまにか無心にもなれるんじゃないかと私は思ったわけです。探しているときは考えてるときなんだ。これじゃ無心になんかなれない。ものが生まれてこないんですよ。
目を開いて、そして見ない。手を出しても反応がない。そういう目のほうがいい。これもある、あれもある、さあどうしたらいいかじゃなくて、見ない目。無心になる。じゃ勉強しなかったのか。勉強して勉強して勉強して全部捨ててしまった。捨ててしまったんではないんだ。それが自分を支えてくれる。私はそういう踊りを見るとね、あんまり派手に動かなくたって、じっと立っているだけでも、ちょっと動いただけでも、ああ、いいなと思う。