卑弥呼は「鬼道」を事とし、「男弟」がこれを補佐し、「婢千人」がその周辺に侍(はべ)るばかりでなく、「宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人有り、兵を持して守衛す」るまさに初期王権の王者であったといってよい。
「鬼道」については、これをシャーマニズムと解釈する説が多いけれども、「鬼道」はたんなるシャーマニズムではなかった。かつて指摘したとおり、「鬼道」の用辞は『倭人伝』だけではなく、『三国志』の『蜀書』(蜀志)劉焉伝や『魏志』張魯伝にもあって、それはすべて道教を意味する。したがって『三国志』をまとめた陳寿の書法に従えば、卑弥呼の宗教を道教に類するものとみなしての「鬼道」であったと理解すべきであろう。
【『古代日本のこころとかたち』上田正昭(角川叢書、2006年)】