2011-09-11

大地を埋め尽くすポピー


 雲間から差す柔らかな光がポピーを引き立てている。

Wiltshire Poppies

齋藤健、フィリップ・ジャカン


 2冊挫折。

転落の歴史に何を見るか 奉天会戦からノモンハン事件へ』齋藤健〈さいとう・たけし〉(ちくま新書、2002年)/著者は自民党の代議士で多摩大学大学院客員教授も務める人物。ま、頭のいい人だ。語り口もソフトで理路整然としている。歴史は大所高所から俯瞰すべきだというのが私の持論で、本書は微細な視点で書かれているため口に合わなかった。

アメリカ・インディアン 奪われた大地(「知の再発見」双書)』フィリップ・ジャカン:富田虎男監修、森夏樹訳(創元社、1992年)/構成が滅茶苦茶。せっかくのイラストが大きすぎて読み物として成立していない。創元社の見識を大いに疑う。

自炊代行バッシングと反ブックオフキャンペーンの類似 漫画家・佐藤秀峰の指摘


togetter

 これは勉強になった。著作権を通して資本主義のカラクリを鮮明に浮かび上がらせている。ユダヤ資本の手口と一緒だ。

 出版業界が著作権を盾にしてブックオフのネガティブキャンペーンを張ったが、その後大手出版社がブックオフの株主になっているとのこと。

信用創造のカラクリ

2011-09-10

9.11から10年狙った「信頼できる」テロ情報、米 警戒強化を指示


 米国土安全保障省(Department of Homeland Security)は8日、9.11米同時多発テロ10年に合わせ「具体的で信頼できる、未確認の脅威の情報」があるとして、警戒を呼びかけた。
 米ホワイトハウス(White House)も、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領が「信頼できる未確認情報」を受け、既に強化している警戒態勢を一層強めるよう指示したと表明。また、ニューヨーク(New York)のマイケル・ブルームバーグ(Michael Bloomberg)も記者会見し、トンネルや橋などの要所に配置する警察官を増員していることを明らかにした。
 米メディア報道によると、8月に3人の不信人物が米国に入国し、トラックか乗用車に積み込んだ爆発物による攻撃を計画しているとの情報があるという。米テレビABCは、3人の出発地はアフガニスタンで、空路で米国入りしたとみられ、うち1人は米市民権を保持しているとみられるとの米政府高官の発言を伝えた。
 また、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(Wall Street Journal、WSJ)は対テロ対策担当の政府高官の話として、パキスタン出身の国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の戦闘員が、ワシントンD.C.(Washington D.C.)とニューヨーク(New York)を狙った連続自動車爆弾攻撃を計画している恐れがあると報じている。

AFP 2011-09-09

パレスチナの国連加盟問題、米国が拒否権発動を初めて明言

 シナリオが発表された。「3人の出発地はアフガニスタンで、空路で米国入りした」とのこと。つまり今回起こるであろうテロの首謀者はアフガニスタン人というストーリーになっている模様。まるで番組の予告編だ。

 9.11テロの際は、スーダンから寄せられたテロ情報をアメリカは完全に無視した。

タルキ・アル=ファイサル王子がNYtimes紙に寄稿
『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー

2011-09-09

哀れな中古品(セコハン)人間/『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムルティ


 われわれが生活と呼ぶ不断の戦いにおいて、われわれは自分たちが育った社会、それが共産主義社会であれ、いわゆる自由社会であれ、それにしたがって行動の基準を確立しようとする。そして、ヒンズー教や回教もしくはキリスト教、あるいはわれわれがたまたま関係する他の宗教といった伝統的存在の一部としてその行動基準を受けいれるのである。また、何が正しい行為で何が間違った行為であるか、そして何が正しい思想で何が間違った思想であるかを誰かに教わり、それを一つの絶対的基準として遵奉するが、その場合、すでにわれわれの行動と思考は型にはまったものになり、あらゆるものに対して機械的な反応しかできなくなる。このことは、われわれ自身の中にきわめて容易に見出すことができるのである。
 何世紀もの間、われわれは学校の教師や権威者、書物や聖者の教えによって育て導かれてきている。われわれはいう、「あの丘や山や陸地の向うには何があるのでしょうか、本当のことを全部教えて下さい」と、そして彼らから与えられた説明に満足し、教えられたとおりに生きてゆく。だが、その人生は浅薄で、しかも空虚なものにすぎない。われわれはそこで、哀れな中古品(セコハン)人間になりはてる。自分の性向と傾向にしたがうか、あるいは境遇や環境に強制されて、その教えられた言葉を固守して生きてゆくだけである。われわれ人間はあらゆる種類の存在の影響によって生みだされた産物であって、何一つとして新しいものはわれわれの中には存在しないし、われわれ自身で発見したもの、独創的で清新で明確なものは何一つ存在しない。

【『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編:十菱珠樹〈じゅうびし・たまき〉訳(霞ケ関書房、1970年)】

 人間が生まれる時は白紙状態なのかどうかについては議論が分かれている。私はタブラ・ラサ論を支持する。

 E・O・ウィルソンが社会生物学の立場から批判しているようだ。詳細はわからない。

 E・O・ウィルソンがいうところの「遺伝」とは何か? よもや遺伝子のことではあるまい。遺伝子にはタンパク質をコピーする情報はあるが、性格や個性を反映するものではない。

 また、同じ遺伝情報を持つ兄弟であっても性格が異なるのが普通である。離れ離れで育った一卵性双生児がびっくりするほどよく似た人生を歩んでいたという話もあるが、これは類似した情報だけピックアップしているので合理性はないものとされている。

 生まれた時はもちろん白紙状態ではない。妊娠5ヶ月くらいから赤ちゃんは耳が聞こえている。怒鳴ったり、泣いたり、笑ったりする声は全部伝わっているのだ。

 喧嘩の絶えない夫婦のもとであれば、赤ちゃんは「戦争をしている世界」と認識することだろう。笑い声や歌声に触れていれば「楽しい世界」と判断することだろう。その意味でドアをバタンと閉めたり、けたたましい電話の音を妊婦は避けるべきだ。

 更にこんな話もある。妊娠(着床)直後に母親がジャンクフード中心の食事をすると、生まれてくる赤ちゃんは肥満児になりやすいという。母胎を通して「食糧事情が悪い」という情報を受け取るためだ(『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス)。

 とすれば妊娠直後から胎児は情報を受け取っているものと考えていいだろう。

 一方、クリシュナムルティが説くのは「心理的なパターン」のことである。人は教育の名のもとに社会のルールを叩き込まれる。大体、我々が「正しい」と思い込んでいるものは、「正しい」と教えられただけであり、自分で検証した人はまずいない。

 親孝行なんて言葉が最たるもので、実際は経済的見返りを与えることを意味する。親といっても色んな親がいるわけで、それを一把一絡げにして「孝行せよ」という論理は明らかにおかしい。

 恩返しなんてのもそうだ。鶴や亀の恩返しを見れば一目瞭然だが完全なギブ&テイクとなっている。「鶴の恩返し」に至っては強制労働をそそのかす匂いを発しており、我が身を犠牲にするところは売春を連想させるほどだ。

 我々は親や友人、はたまた尊敬する人物の影響下で価値観を形成している。で、偉人と称される人々はたいてい社会にとって都合のいい人物である。つまり「反社会的である」ことは価値としては認められていないのだ。

 腐敗した社会で生きる人々はおのずと腐敗してゆく。米軍基地は沖縄に押し付け、原子力発電所は福島につくるのが我々の流儀である。病人や要介護者を社会の厄介者として扱う。これは事実として政治がそのように対応している。

 幸福とは何か? それは成功することである。そう我々は教えられ、教えられた価値観を疑うことがない。

 仕事は目的ではなく成功するための手段と化している。ミュージシャンは歌うことが目的ではなく、ヒット曲を出すことが目的である。目の前の聴衆も「売れるため」の手段に他ならない。

 政治家、学者、文化人、芸術家、みな同じだ。我々は金銭に額づく奴隷なのだ。これが資本主義ルールである。

 確かにクリシュナムルティが教えるように、生そのものがパターン化し、機械的な反応を繰り返すだけになっている。私の人生はどこにもない。ただ社会から与えられた役割をこなしているだけだ。

 苦情があれば平身低頭し、見込み客の前では愛想を振りまき、アルコールの力を借りて「まったくやってられねえよな」と気炎を上げるのが私の人生になってしまった。

 すなわち「時給なんぼ」の人生だ。

 私は明らかに「生きていない」。きっと幼い頃から牙を抜かれ、少しずつ殺されてきたのだろう。もはや完全に屍体のレベルで腐臭を放っている。

 私の生はどこへ行ってしまったのだろう?



Jiddu Krishnamurti