1732年にジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人に庇護されながら、さまざまな教育を受け、その愛人となった。この時期については晩年、生涯でもっとも幸福な時期として回想している。
夫人と別れたのち、1740年から1741年にかけてリヨンのマブリ家(哲学者マブリ、コンディヤックの実兄の家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。この職を辞した後、1742年に音楽の新しい記譜法を発表し、それを元手にパリに出てディドロらと親しくなる。これがきっかけで後の一時期、『百科全書』に原稿を執筆している。1745年、下宿の女中テレーズを愛人とし、10年間で5人の子供を産ませ、5人とも孤児院に送った。
私生活においては、極度のマゾヒズムや露出癖、知的障害者に性的虐待を行い妊娠させ次々に捨てるなど、性倒錯が顕著でもあり、自身の著書『告白』などでそれら様々な行動について具体的に触れている。少年時代には強姦未遂で逮捕されたこともあった。
【Wikipedia】
・サドと、エマニエル夫人と、ロリータと、フランス人とドイツ人:鈴木傾城〈すずき・けいせい〉
ジャン=ジャック・ルソーはスイス生まれであるが、16歳でヴィラン男爵夫人の情夫となっているのでフランス人と考えてよかろう。