・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 1
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 2
・なぜハイチは瓦礫に埋もれたままなのか 巨大地震からの復興を阻む統治の空白 3
統治なき国を襲った巨大地震
2010年1月12日にハイチを襲った壊滅的な地震を、自然災害の9.11と呼んでもおかしくはないだろう。地震によって多くの人が犠牲になった現地のせい惨な状況を、テレビ画面を通じて知った世界の人々は、ハイチの人々にかつてない同情と共感を寄せた。アメリカ人家庭の半数以上がハイチでの救済活動を支えるための寄付を行った。しかし、ほぼ3000人が犠牲になった2001年の9.11はその後10年経っても人々の心に深く刻まれているのに対して、地震で20万人が犠牲になり、その後、4000人以上がコレラその他の病気で命を落としたハイチで2010年に起きた悲劇の記憶はすでに色あせつつある。
(ハーバード大学医学部教授で、公衆衛生・医学領域での人道支援活動を世界的に展開している)ポール・ファーマーは、彼の熱意、医学的専門知識、ハイチとの深いつながりを基に、多くの人が忘れつつあるこの悲劇を、ここに取り上げる『地震後のハイチ』で議論している。
地震後の現地での状況を、ファーマーは個人的ストーリー、現実描写、分析という三つのレベルに分けて議論している。ハイチ人の妻を持つファーマーにとって、地震によって生活を大きく揺るがされた多くの人々のなかには彼の親戚や友人も含まれていた。ハイチとの深い絆ゆえに、彼の著作は、さまざまなエピソードと感情で満ちあふれている。
大きな悲劇を人々の記憶に刻みこむには、感情を共有できるようなパーソナルなストーリーが必要になる。ファーマーの著作にも、シラブという名の25歳の女性が登場する。彼女は、孤立し何も変わらない日常が流れる田舎から、期待を胸にハイチの首都ポルトープランスへとやってきた多くの若者の一人だった。だがその夢と期待は、ポルトープランスで出遭った安普請の粗末なアパート、そして地震によって打ち砕かれる。
崩壊したコンクリートの下敷きになり、片方の足は瓦礫に押しつぶされた。まだ意識のあるうちに、なんとか、通りへと這い出した彼女を、非政府組織(NGO)のスタッフが2日後に見つけたものの、この人物には、押しつぶされた足に包帯を巻くことしかできなかった。通りかかった牧師によって病院に連れていかれた彼女は、命を守るために、足の切断手術を受けた。路上では麻酔なしの切断処置が行われることが多かったことを思えば、少なくとも病院で麻酔を受けた上で片足の切断処置を受けた彼女は、他の人々よりは幸運だったのかもしれない。
こうしたパーソナルなストーリーを読めば、読者は動揺を隠せないだろう。だが、そうした心理的な衝動が人々を行動へと駆り立てる。
ポール・ファーマーは並み外れた活動家だ。カリスマ医師として、彼は1987年に12カ国で活動する公衆衛生国際NGO「パートナー・イン・ヘルス」を立ち上げ、地震が起きる前の段階で、すでにハイチに10の病院を設立していた。生と死をわけるような緊急事態のなかで直接的に成功と挫折を味わってきたファーマーは、このミッションを通じて、医療ケアを提供する上での問題と可能性についての指針を身につけていく。
他のNGOとは違って、パートナー・イン・ヘルスは、ハイチ保健省などの政府機関と緊密に連携して活動してきた。しかし、他のハイチの省庁同様に、保健省も地震によって瓦礫と化してしまった。ハイチの人々のための活動を通じて、ファーマーは、ハイチ復興への熱意を持ち、現地でも評価されていたビル・クリントン元米大統領と協力するようになった。
地震が起きる前段階で、クリントンは国連のハイチ特使になり、ファーマーは特使の代理人になっていた。非常に高いポジションから国際コミュニティの活動を監督する機会を得た彼は、現場において、官僚的手続きと差別ゆえに、協調支援行動のポテンシャルがいかに摘み取られているかを思い知るようになる。
一方で彼は、ハーバード大学医学部の公衆衛生学教授としての見識を、ハイチの医療危機、社会経済問題の分析にうまく生かした。ファーマーは、ハイチの状況を「慢性疾患を抱えるなかで発症した急性症状」と診断している。慢性的な社会的機能不全という環境で切実な危機が起きている、と現実を描写している。慢性的症状が急性症状をさらに深刻にし、緊急事態への対応を難しくしている。急性症状を治すには、慢性疾患を治さなければならないという、非常に難しい状況にハイチは追い込まれている。そして、政府が破綻していることが、社会的な機能不全の根っこにある。
【ポール・コリアー(オックスフォード大学教授)/フォーリン・アフェアーズ・リポート 2011年11月8日】