2012-01-25
安部公房
昨日、1冊読了。
5冊目『内なる辺境』安部公房〈あべ・こうぼう〉(中央公論社、1971年/中公文庫、1975年)/極太の文体である。活字が立ち上がってくるような印象を受けた。熊田一雄〈くまた・かずお〉氏のブログで見つけた文章を探すためだけに読んだ。「本物の異端は、たぶん、道化の衣装でやってくる」(「ミリタリィ・ルック」)。軍服の流行を苦々しい眼差しで捉えた論考だ。1971年といえば学生運動が頂点を過ぎた頃で、沖縄返還の前年となる。「内なる辺境」ではユダヤ人問題を取り上げているが、時代の影響を受けながらもギリギリのところで踏ん張っている。この辺りのセンスが凄い。100ページで500円。ポケットに強靭な知性が収まるなら安いもんだ。
2012-01-24
どうしても原発を動かしたい人たちが、電力不足をあおりたてる数字をこれからも出してくるだろう
@magosaki_ukeru
孫崎 享 東京新聞:筆洗「どうしても原発を動かしたい人たちが、電力不足をあおりたてる数字をこれからも出してくるだろう。そこに潜むうそを見破っていきたい」。東京の原発追跡は賞賛もの。ついでにぜひ「TPPに潜むうそを見破っていきたい」をお願いします
Jan 24 via web Favorite Retweet Reply
2012-01-23
Cildo Meireles作「Fontes」は日蓮へのオマージュか?
ブラジルのアーティストCildo Meireles作「Fontes」。名前はスィウド・メイレリスと読むようだ。私は衝撃を受けた。どう見ても日蓮へのオマージュにしか見えない。
日蓮は文字マンダラによって縁起的宇宙観を表現した。世界観というよりは宇宙観というべきだろう。その縦軸は久遠(くおん)から現在(鎌倉時代)に至る。そしてあらゆる生命状態の衆生が法に照らされた尊極(そんごく)の姿を示している。
これに対してスィウド・メイレリスは、時間と空間が崩壊した宇宙の姿を表現しているように見える。崩壊というよりは、むしろ時空を超越した宇宙を表したのかもしれない。
スケール(物差し)が意味をなさず、時間がバラバラと崩れ落ちる。極大か極小か。はたまた無限か瞬間か。私の目にはプランク時間以下の世界が見える。
「言葉も数字も及ばぬ現在性」を見事に描き切ったといえよう。更に塔のようなものまで現れる。これぞ宝塔だ。天晴(あっぱれ)。
・Cildo Meireles
・ATSUGI「プレーンストッキングの逆襲」パンスト コマーシャル ・あらゆる事象が記号化される事態/『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール
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