偶然が生んだ物語。
2012-03-18
ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発
米児童権利団体が制作しインターネットで反響を呼んでいる、ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(Lord's Resistance Army、LRA)」のジョゼフ・コニー(Joseph Kony)司令官の身柄拘束を訴える動画に、当のウガンダの人びとが猛反発している。ウガンダ国内各地でこの短編映画の上映会を計画していた青少年支援団体は15日、初回上映を見た人々が激怒したため、計画を中止したと発表した。
「Kony 2012」と題された約30分の短編映画は、米児童権利団体「インビジブル・チルドレン(Invisible Children、見えない子どもたち)」が制作したもの。前週公開されて以来、インターネットを中心に大きな反響を呼んでいる。ウガンダではネットへ接続できる人が少ないことから、地元の青少年支援団体「アフリカン・ユース・イニシアチブ・ネットワーク(African Youth Initiative Network、AYINET)」が上映会を計画した。
「描かれているのは過去の姿」「実情伝えていない」
ところが13日、同国北部(Lira)で行われた上映会では、映画が始まってすぐに人びとが怒り出し、投石を始めたため上映は中止に追い込まれた。会場に集まった数千人の観衆の多くは、LRAの兵士らに四肢を切断されるなど実際に被害を受けた人たちだった。
AYINETのビクター・オチェン(Victor Ochen)代表によると、集まった人びとは映画の内容について「無神経で、ウガンダ北部の過去の姿しか描いていない」と非難。「なぜ、アメリカの白人の子どもたちを映して、(ウガンダ北部の)地元の人びとが置かれた真の現状を伝えないのか」と口々に批判したという。
上映会計画の中止を発表したオチェン氏は、「どこへ行っても同じ反応だろうと判断した」と説明した。
LRAはウガンダ北部で政府軍と20年にわたって戦闘を続け、民間人の手足を切断したり、子どもを誘拐して兵士や性奴隷にしたとして悪名高い。LRAのコニー司令官は、北部のアチョリ人で構成された反政府組織の実権を1988年に握り、聖書に書かれた十戒に基づく政権樹立を掲げて中央政府に対する抵抗を開始した。
LRAは2006年にウガンダ北部から排除されたが、南スーダンなど周辺国で活動を続けている。国際刑事裁判所(International Criminal Court、ICC)は人道に対する罪などでコニー司令官に対する逮捕状を出しているが、身柄はまだ拘束できていない。
【AFP 2012-03-16】
・KONY 2012/ジョゼフ・コニー逮捕キャンペーン
・コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
・The Kony 2012 論争
・KONY2012を支持する人々
2012-03-16
福島県教育委員会と福島県知事
福島・中通り60代男性「ラジオを聞いてひっくり返ったよ。放射能に負けない子供になろう!って福島県教育委員会がラジオで呼びかけているんだもの。中通りの住民は、被害者という意識が薄い。だから教育委員会は、県外に避難した人を非難するんだ。もうマスクをしている人も、ほとんどいないよ」
— 中下大樹さん (@nakashitadaiki) 3月 13, 2012福島市60代男性「福島県知事は、今、どこに住んでいるか知ってる?今の知事はね、福島に住んでいないんだよ。危ないと分かっているから。知事は今、米沢から福島へ毎日通っているんだよ。しかも、息子は東電の社員。誰も言わないけど、最悪だろ」
— 中下大樹さん (@nakashitadaiki) 3月 13, 2012
正力松太郎というリトマス試験紙
・【福島原発事故 その時私は】双葉病院長 鈴木市郎さん(77)
続きを書く。情報の吟味、精査、検討という観点から正力松太郎〈しょうりき・まつたろう〉をリトマス試験紙にすべきである。
元読売新聞社社主にして「原子力の父」と謳(うた)われた人物だ。
・原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略
・戦後、CIAは正力松太郎氏と協力して日本で原子力の平和利用キャンペーンを推進
福島原発事故以降、国民感情としては反原発・脱原発に傾いていると思われるが、如何せん国民の意志を表明するシステムがない。解散総選挙となった場合、政治家は原発が争点になることをずる賢く回避すると思う。
また国民投票や住民投票が実施されそうな気配もない。
とすれば、だ。反原発・脱原発を表明する最も現実的で効果が高い行動は、読売新聞の購読を中止することだと私は考える。併せて日本テレビを見ないようにする。たったこれだけで日本の現状を動かすことは可能だ。
関東大震災(1923年)が起こった際、朝鮮人が「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」という流言が飛び交った。このデマを流布した首謀者が、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎であった。
・関東大震災の日
・読売新聞 3月11日付「編集手帳」
【福島原発事故 その時私は】双葉病院長 鈴木市郎さん(77)
置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人
地震で停電になったが、すぐ復旧すると思っていました。原発が危ないと知ったのは翌12日の早朝。「急いで避難しろ」と大熊町の防災無線の放送があった。町役場に助けを求めるとバスが来て、患者209人と全職員が乗り込みました。
残されたのは患者129人と私一人。職員には「残ってくれ」と言いたかったが、津波で家が流された人もいた。「自分は最後の一人を送るまで残る」と笑って見送った。すぐに後続のバスが来ると思ってました。
ところが午後に1号機が爆発した。役場を見に行くと、人の気配がない。「置いていかれた」と思った。
近くに系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」があって、入所者98人と職員二人も取り残された。電話もテレビも使えません。不安でしたが、夜になって自衛隊員が来て「明日には車を手配できる」と言ってくれました。
一晩ならなんとかなる。でも、停電で真っ暗だから、顔色も分からない。頬に自分の頬を寄せて無事を確認しました。患者のそばを離れられなかった。
翌日、救助は来ませんでした。車で助けを求めて周辺をさまよっていると、パトカーに出合った。「早く助けてくれ」と頼んだ。また裏切られるかも…と思い、名前や車のナンバーを確認した。
後で双葉署長が病院に来てくれました。でも、車の手配が難しいからと、「今日の救出は無理」って告げられた。思わず「このままでは100人亡くなる」と怒鳴っていました。
その夜、衰弱で一人目の患者が亡くなりました。翌朝には二人。このままだと本当に数十人単位で亡くなると思いました。
14日朝。突然、自衛隊から救助のバスが来ました。患者34人とドーヴィルの入所者98人全員が避難した。隊員は「すぐに後続が来る」と言ってくれた。だけど、3号機が爆発。隊員は「(現地対策拠点の)オフサイトセンターに行かなくては」と言っていなくなり、また約束は破られました。
このバスが避難所のいわき光洋高校に到着したのは夜です。直線で30キロの距離を230キロ、10時間かけて移動しました。バスの車内で3人、到着後の高校の体育館で11人が亡くなった。除染のためいったん北上した後、100人を超える患者を収容できる施設を求めて原発を避けるように移動したためだと、後で聞きました。
結局、全員が避難したのは翌15日から16日にかけて。当時、私は警察から「緊急避難だ」と原発から20キロ離れた割山峠まで連れ出されていた。「2号機が危ない」という情報が福島県警に入っていたそうです。
救助後、県は私たちが「患者を置き去りにした」と発表した。
私は1号機の爆発も3号機の爆発も気付きませんでした。とにかく無我夢中だった。
31日までにドーヴィルと合わせて、436人の高齢者のうち50人が亡くなりました。原発から5キロ圏には、ほかに双葉厚生病院と大野病院がありますが、両方とも13日までに避難している。どうしてうちの救助が遅れたか。どうして230キロの移動になったか。
あの後、弁護士に依頼して調査を始めましたが、いまだに分からない。50人は救えた命だった。もう1年たちますが、まだ現在進行形なんです。
【TOKYO Web 2012-03-12】
高度情報化社会における情報の重要度は言うまでもない。ましてや災害時においては「情報が命」に直結する。かような局面で「救助後、県は私たちが『患者を置き去りにした』と発表した」。
このようなケースを法的に裁くシステムが求められる。そうでないといつまで経っても権力者やメディアはデマを流し続けるからだ。嘘は罪である。嘘を言った者は重罪に科し、嘘を広めた者も罪に問うべきだ。
twitterを始めとするインターネット情報は拡散しやすい。であれば情報が誤っていた場合、デマ元にさかのぼる動きを心掛けたい。拡散に対して収束という方向性も必要だ。
◎正力松太郎というリトマス試験紙
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