私の大好きな話に「第七番目の方角」というのがある。私はこれを、現代ラコタ族のすぐれた伝承の語り手である、ケヴィン・ロックから教えてもらった。それはこういう話だ。
「グレート・スピリットであるワカンタンカ(※スー族の崇める大精霊「ワカンタンカ〈ワカン=神秘、タンカ=大いなる〉」)は、六つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決められていない方角が残されていた。この七番目の方角は、すべてのなかでもっとも力にあふれ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレート・スピリットであるワカンタンカは、それをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは、人間がものを探すときにいちばん最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというと、ひとりひとりの心のなかだったという話だ」(はじめに)
【『それでもあなたの道を行け インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』ジョセフ・ブルチャック:中沢新一、石川雄午訳〈いしかわ・ゆうご〉(めるくまーる、1998年)】
表紙の顔に眼が釘付けとなった。インディアンの若者は真っ直ぐに私を見つめていた。世に直線が存在するのであれば、彼の視線こそは正しく直線であった。双眸(そうぼう)は清らかな光を発し、顎(あご)のラインが力強い意志を感じさせる。気高き香りが濃厚さを伴って漂ってくるようだ。
インディアンの風貌はそれ自体が詩であり音楽でもある。彼らは「人間の顔」を持っている。我々の弛緩(しかん)し、のっぺりした顔とは大違いだ。真っ当な生活、そして正しい感情が表情を彫琢(ちょうたく)するのだろう。
「第七番目の方角」は「内なる方向」であった。座標軸ではなく方向という指摘が重い。つまり特異点ではなく、その向こう側の領域なのだ。インディアン仏法における生死不二(しょうじふに)といってよい。
人々を覚醒させる真理を私は仏法と呼ぶ。特定の教団へ誘(いざな)い、他勢力と競い争う言説は、商用レベルのプロパガンダであって仏法ではない。むしろ政治的言説といってよかろう。彼らは真理ではなく集団力学に支配されている。
第七の道を行く人は、澄み切った湖面のような厳粛なる静けさを湛(たた)えている。彼らは言葉で語らない。目で語るがゆえに。これを
白毫相(びゃくごうそう)という。