子(し)の曰(のたま)わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。
先生がいわれた、「学んでも考えなければ〔ものごとは〕はっきりしない。考えても学ばなければ、〔独断におちいって〕危険である。」
【『論語』金谷治〈かなや・おさむ〉訳注(岩波文庫、1963年/新訂版、1999年)】
子(し)曰(い)はく、学んで思わざれば則ち罔(くら)く、思うて学ばざれば則ち殆(あやふ)し。
〔通釈〕ただその事を学ぶだけで、その理窟を思索しなければ、心がくらくてなにも悟りを得ることはない。ただその理窟を思索するだけで、その事を学ばなければ、空想に過ぎないから、危(あやう)くて不安を免(まぬ)かれない。(※〔語釈〕〔解説〕は略す)
【『論語新釈』宇野哲人〈うの・てつと〉(講談社学術文庫、1980年/『大礼記念昭和漢文叢書』弘道館、1929年)】
この訳文に鑑み、金谷訳注の岩波本を読むことにした。ただし孔子のセリフの語尾に「ね」や「ねえ」を使うのはどうかと思う。安っぽい落語が混入したような印象を受ける。以下のテキストも参照されよ。
(※金谷訳注本は)原文と、その読み下し文に簡潔な現代語訳と注釈を加えた本で、入門書としては傑作です。まさに、日本人向けの論語の教科書といえるもので、贅肉のような解説を伴わないシンプルなものです。繰り返し読もうとする場合に、このシンプルさが読む者の思索を邪魔しないという良さにつながると考えます。
・論語‐どの論語本を読むか?―基本編・第1回
・論語‐どの論語本を読むか?―基本編・第2回
・論語‐どの論語本を読むか?―基本編・第3回