三十年来肝胆相照らす仲の論客三人が、古今東西の文学作品をめぐって、世にはびこる愚説迷論を糾弾し、庖丁さばきも鮮やかに料理する。古典の名作から時代小説や児童文学まで。食わず嫌いはもったいない。ざっくばらんのごった煮の妙味を、心ゆくまでご賞味あれ。
潮出版社、1981年/潮文庫、1984年
病院の受付嬢はマスクをするな。マガーク効果も知らないのだろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 6
Krishnamurti - Can Humanity Change - 1. We Are All Caught In The Idea Of Progres. sub esp from iser on Vimeo.
高名なスリランカの仏教学者であったWalpola Rahula長老とクリシュナムルティの対談『人間性は買えることができるか』(原題’Can Humanity Change?’)という本を最近買ったので、読んでみます。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2013, 12月 4
日本語訳を切望。仏教者のようだがビビリまくって演説。/Krishnamurti - Can Humanity Change - 1. We Are All Caught In The Idea Of Progres. sub esp http://t.co/DN6PfBOhqS
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
クリシュナムルティは「イエッサー」と敬語を使い、静かに語る。勝負あり。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
これがブッダの弟子だとすれば情けない限りだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
ブッダに寄りかかっているだけの愚か者だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
クリシュナムルティはあらゆる宗教を否定しながらも、ブッダに最大の親近感を抱いていた。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
卑屈な男だ。自分の眼前にいるのはブッダとも気づかずに。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
目は口ほどにものを言う。たぶん本当は違う。言語を獲得する以前は目でコミュニケーションを図っていたのだろう。だから「口は目ほどにものを言う」が正しい。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
それが証拠に優れた映画やドラマは必ず「目にものを言わせる」。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
クリシュナムルティの眼は格闘家と同じ光を放っている。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
銀髪が美しい光を放っている。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
仏とは世界に応じる存在なのだろう。それゆえ衆生が求めなければ仏は存在しない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
仏も悟りも受動的にしか受け取ることができない。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5
会えばわかる。見ればわかる。聞けばわかる。触れればわかる。五感情報はかくも豊富だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2013, 12月 5