2013-12-26

『ライ・トゥ・ミー 嘘は真実を語る』のモデル、ポール・エクマン


 精神行動分析学者であるカル・ライトマンが、「微表情」と呼ばれる一瞬の表情や仕草から嘘を見破ることで、犯罪捜査をはじめとするトラブル解決の手助けをする姿を描く。主人公であるカル・ライトマンは、実在の精神行動分析学者であるポール・エクマンをモデルにしている。実際にエクマンが体験したことが、そのまま主人公の過去として描かれている部分がある。

Wikipedia - ライ・トゥ・ミー



 ポール・エクマン(Paul Ekman、1934年 - )は感情と表情に関する先駆的な研究を行ったアメリカ合衆国の心理学者。20世紀の傑出した心理学者100人に選ばれた。アメリカのテレビドラマ『Lie to Me(ライ・トゥ・ミー 嘘の瞬間)』の主人公カル・ライトマン博士のモデルとなった。

 マーガレット・ミードを含む一部の人類学者の信念に反して、エクマンは表情が文化依存的ではなくて人類に普遍的な特徴であり生得的基盤を持つことを明らかにした。エクマンの発見は現在科学者から広く受け入れられている。エクマンが普遍的であると結論したのは怒り、嫌悪、恐れ、喜び、悲しみ、驚きである。軽蔑に関しては普遍的であることを示す予備的な証拠があるが、まだ議論は決着していない。

 エクマンはあらゆる表情を分類するためにFACS(Facial Action Coding System、顔動作記述システム)を考案した。これは表情に関連する精神医学や犯罪捜査の分野で幅広く利用されている。エクマンは表情以外にも広く非言語コミュニケーションの研究を行った。同情、利他的行為や平和的な個人関係の科学的解明にも尽くした。さらに人々が嘘をつくこと、嘘を見破ることの社会的な側面の研究にも貢献した。ディミトリス・メタクサスとともに視覚的嘘発見器の開発を行っている。

Wikipedia - ポール・エクマン

顔は口ほどに嘘をつく子どもはなぜ嘘をつくのか

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関連書:キネシクス

ウォッチメイカー〈上〉 (文春文庫)ウォッチメイカー〈下〉 (文春文庫)スリーピング・ドール〈上〉 (文春文庫)スリーピング・ドール〈下〉 (文春文庫)

ロードサイド・クロス 上 (文春文庫)ロードサイド・クロス 下 (文春文庫)バーニング・ワイヤー

カルト教団のリーダーvsキネシクス/『スリーピング・ドール』ジェフリー・ディーヴァー

2013-12-25

「女性は男性より将棋が弱い」


 ・「女性は男性より将棋が弱い」

『将棋の子』大崎善生
『傑作将棋アンソロジー 棋士という人生』大崎善生編

 世の中には、なぜという理由がきちんと説明できない事実というものがある。たとえば「女性は男性より将棋が弱い」という事実。もちろん、ヘボ将棋を指す男など苦もなくやっつける女性はいくらもいるのだが、頂点を比べれば、男女の力の差は厳然として存在する。▼いま女性で一番強いといわれる里見香奈さん(21)は一方で女流棋士として活躍し、一方では奨励会という名の棋士養成機関でプロの卵の少年にまじってしのぎを削っている。女性だけが少々甘い基準でなれる「女流棋士」は、男であれ女であれ奨励会を突破しなければなることができない「棋士」とは格がまったく違う。▼その里見さんが奨励会で一番上の三段に昇段し、棋士までもう一歩に迫った。棋士はおろか奨励会三段になった女性すらこれまで一人もいなかったのだから、快挙である。つぎは三段の40人ほどが戦う半年ごとのリーグ戦が待っている。上位2人に入れば、「女流最強棋士兼棋士の卵」から晴れて「女性初の棋士」である。▼とはいえ三段から棋士になれるのは半数以下という。「奨励会員なんてのは、虫ケラみたいなものなんだ」。奨励会の厳しさを描いた「将棋の子」(大崎善生著)にそんな一言がある。棋士を目指す貪欲な少年たちとどう戦うのか。里見さんのこれからは、大げさにいえば「将棋における男と女」の常識に一撃を加えうる。

【「春秋」/日本経済新聞 2013-12-25】

2013-12-24

満面の笑み


 セピア調ではあるが、多分それほど古い写真ではない。カメラによる画質なのだろう。外から戻ったばかりか、あるいは部屋が寒いのか。丼から顔を上げた少女が笑い声を立てる。懐かしい光景だ。無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年/角川文庫、1992年/岩波文庫、1995年)に「みんなゲラゲラでんぐりかえる(ひっくりかえる)ほど笑った」とある。でんぐり返るという言葉は北海道でも使う。私が子供の時分は「腹を抱えて笑った」ものだ。今はどうか。「爆笑」という言葉が誤って多用されている。本来は大勢の人々がどっと笑う様子を指す言葉だ。でも今時は一人称でも「爆笑した」と言ってのける。音の響きは威勢がよいのだが、「爆笑」には笑わせられたという受け身の姿勢を感じる。身体の運動を欠いた口先だけの笑いがあちこちから聞こえてくる。時に蔑みが込められることも珍しくない。写真の向こうで笑う少女の顔は天真爛漫そのものだ。強烈な伝染性をもって見る者の眼尻を下げてしまう。年の瀬は人それぞれの苦悩を深める時期でもある。そんな人々にこそこの写真を見てもらいたい。少女につられてマグカップのペコちゃんも笑っているよ。



2013-12-23

反原発ソングまとめて21曲(たぶん最強)


 わかる範囲で新→旧に並べた。


歌詞


歌詞





















チェルノブイリに悲しい雨が降る (Cherunobuiru ni Kanashii Ame ga Furu) - ドラゴンアッシュ / Dragon Ash















歴史的真実・宗教的真実に対する違和感/『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男


開祖や教団の正統性に寄りかからない
大乗仏教の仏は“真実(リアリティ)の神話的投影”
・歴史的真実・宗教的真実に対する違和感

 さらに、歴史的真実よりも宗教的真実を重んじるとき、必ずしも釈尊に帰れば説得力を持たないこともありうることである。我・法の二空を説き、無住処涅槃を説き、他者への慈悲と永遠の利他活動を説く。こうした大乗仏教は、宗教としては一定の原始仏教部派仏教よりも勝れているという判定は、大いにありうることである。人間として、虚心に宗教性の深みを問うとき、たとえ『阿含経』や『ニカーヤ』が釈尊の語ったことを確かに記録にとどめているとしても、時に非仏説とも批判される大乗経典の方により心を打たれ、より感銘を受けるものがあることも否定しえない事実である。

【『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男〈たけむら・まきお〉(大東出版社、1997年)】

 botの入力をしていたところ目に止まったテキスト。読んだのが5年前なので当時の書評は当てにならない。その後私の価値観が激変しているためだ。

 竹村の学問的アプローチはプラグマティックなもので望ましい姿勢であろう。ただし日本仏教なかんずく鎌倉仏教を擁護する悪臭を放っている。「歴史的真実よりも宗教的真実を重んじる」との言葉づかいにそれが顕著だ。

 ティク・ナット・ハンが法華経の内容に対して「歴史的次元と本源的次元」という枠組みを示している(『法華経の省察 行動の扉をひらく』)。確かに霊山会(りょうぜんえ)と虚空会(こくうえ)を理解するためにはそう解釈せざるを得ない。

 本来であれば「歴史的事実」とすべきであろう(※私の入力ミスである可能性も否定できず)。歴史的事実とはブッダが語った言葉と振る舞いだ。そして宗教的真実とはブッダの悟り以外の何ものでもない。ここから離れて大衆部(だいしゅぶ=大乗仏教)を持ち上げる行為は、悟りを斥(しりぞ)けて理論に接近することを意味する。

 理論が人々を救い、欲望から解き放つのであれば、我々は思考によって所願満足の人生を送ることが可能となる。そんな馬鹿なことなどあるわけがない。

 学術的成果と真の学びとは別物だ。

 学びというのは、不断の、蓄積しない過程であり、「自分自身」というのはつねに変化しつづけるもの、新たな考え、新たな感覚、新たなかたち、新たなヒントです。
 学ぶことは、過去や未来にかかわることではありません。
 私は学び終えたとか、私は学ぶだろうとか言うことはできないのです。
 したがって、精神は絶えず学びの状態でなくてはならないことになりますから、つねに進行中の現在にあり、つねに新鮮なのです。蓄積された昨日の知識を抱えた状態ではないのです。
 それを探ってみるなら、あるのは知識の獲得ではなく、ただ学びということがわかるでしょう。
 そのとき精神はとてつもなく気づき、目覚め、鋭敏に見るようになるのです。

【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ:竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】

 理論とは説明されるものだ。悟りとは何か、生とは何かを言葉で説明することはできない。テキスト化された言葉は真実から離れてしまう。それゆえソクラテスは書字を嫌ったのだ(『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ)。

 仏法は啓典宗教ではない(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。その一点から開始しなければ、いかなる仏教研究であろうとキリスト教のサブカルチャー的位置に貶(おとし)められてしまうだろう。

 続いてクリシュナムルティが説く「学び」について書く予定だ。

仏教は本当に意味があるのか入門 哲学としての仏教 (講談社現代新書)あなたは世界だ

真の学びとは/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
タコツボ化する日本の大乗仏教という物語/『インド仏教の歴史 「覚り」と「空」』竹村牧男
ソクラテスの言葉に対する独特の考え方/『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ