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知の強迫神経症
・あらゆる事象が記号化される事態
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『シミュラークルとシミュレーション』ジャン・ボードリヤール
西欧社会がおこなった大事業は、世界中を金儲けの場にして、すべてを商品の運命に引き渡したことだ、と言われる。国際的な美的演出、世界のイメージ化と記号化による世界中の美化もまた、西欧社会の大事業であったと言えるだろう。現在われわれが、商品レヴェルの唯物論を越えて立ち会っているのは、宣伝とメディアとイメージをつうじてあらゆる事象が記号化される事態だ。もっとも周辺的(マージナル)で、凡庸で、猥褻なものさえもが美化され、文化となり、美術館に入ることができる。あらゆるものが言葉をもち、みずからを表現し、記号としての力あるいは記号の様態を帯びる。システムは、商品の剰余価値によってよりはむしろ、記号の美的剰余価値によって機能する。
【『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール:塚原史〈つかはら・ふみ〉訳(紀伊國屋書店、1991年)】
「メディアはメッセージである」とマーシャル・マクルーハンは書いた(『
メディア論 人間の拡張の諸相』原書は1967年)。これに対して小田嶋隆が「メディアは“下水管”に過ぎない」と反論している(『
無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』1995年)。きっとどちらも正しいのだろう。マクルーハンはメディアを祭壇に仕立てようと試みた。無神論者の小田嶋からすればそれは欲望が排泄(はいせつ)される下水管にすぎないということだ。
メディアは広告メッセージである。元々は信仰メッセージであった。印刷革命は
グーテンベルク聖書に始まる。プロテスタントが広まったのも「安価で大量の宣伝パンフレット」(『
宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』永田諒一)を紙つぶてのように放ったからだ。
メッセージは信仰から広告へと変わった。神は死んだが紙はまだ生き残っている。
「西欧社会がおこなった大事業」の筆頭は奴隷貿易であろう。
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大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔
彼らは人間を商品に変えた。それ以前から労働力が商品であったことを踏まえると「人間の家畜化」(『
環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)に真っ直ぐ進むのは当然だ。
メディアはメッセージである。権力者からの。そう。
ビッグ・ブラザーだ。マス(
大衆)に向かって開くメディアは視聴する人々に何らかの基準となって行動や判断を促す。子供の時分から「昨日のあれ、見た?」「オー、見た見た。面白かったよなー」というやり取りが普通になっている。
私が幼い頃は一家に一台が標準であった。ブラウン管の前にカーテンや扉がついたテレビも存在した。今思うとあれは確かに祭壇の雰囲気を漂わせていた。そして一家が揃って同じ番組を観ていたのだ。
バブル前夜、価値観は多様化した。今から30年ほど前のことだ。若者は老舗メーカーよりも新興ファッションブランドを選んだ。そして“大衆消費社会は「モノの消費」から「情報の消費」へ”(『
ケアを問いなおす 〈深層の時間〉と高齢化社会』広井良典)と向かう。
記号や情報というと小難しく思えるが何てことはない。孔雀の羽みたいなもんだ。結局、高度情報化によって人間の情動がセンシティブになるのだろう。
21世紀は人間が記号化される。私は単なるIDと化す。その時、世界はこんなふうになっているだろう。
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Cildo Meireles作「Fontes」は日蓮へのオマージュか?
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