2014-03-24
2014-03-23
目撃された人々 56
近所に臆病な犬がいる。触れようとすると尻込みをして逃げるのだ。虐待された可能性がある。実に半年間をかけて少しずつ近寄り、一昨日接触に成功した。毎朝声を掛け、褒めちぎり、「ハイ、お手!」と言ったところ、目を逸らしながらも片足を上げた。が、私の手には乗せない。それを私が握った。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 23
ま、条件反射を逆手にとった戦法だ。今日もお手をしてきた。それから静かに顎を撫で、頭にゆっくりと手を回した。我々は既に友人だ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 23
アメリカ礼賛のプロパガンダ本/『犬の力』ドン・ウィンズロウ
寝間着姿――高価な絹のパジャマやネグリジェ――の者もいれば、Tシャツ姿の者もいる。裸の男女がひと組――情交のあとの睦(むつ)まやかな眠りを引き裂かれたのか。かつて愛欲だったものが、今は剥(む)き出しの猥褻(わいせつ)と化した。
向かいの壁の沿って、亡骸(なきがら)がひとつ、ぽつんと横たわる。老人。家長。おそらく最後に撃たれたのだろう。家族が殺されるのを見届けたあと、みずからもあの世に送られた。慈悲の計らい? これは一種のゆがんだ慈悲なのだろうか? しかし、そのとき、アートの目が老人の手をとらえる。爪が剥(は)ぎ取られ、指が切り落とされている。老人の口は悲鳴の形に開いて硬直し、何本かの指が舌にへばりついている。
敵はつまり、この一家の中に“指”(デド)――密告者――がいると考えていた。
そう考えるように、わたしが仕向けたせいで。
神よ、赦(ゆる)したまえ。
アートは特定の一体を捜して、屍をひとつひとつ検分していく。
捜し当てたとき、胃の腑(ふ)が揺さぶられ、喉(のど)へ突き上げてきた嘔気(おうき)を懸命に抑えつける。その若者の顔が、バナナのように皮を剥かれていたからだ。生皮が首から醜く垂れ下がっている。これが息絶えた【あと】に施された仕置きであることをアートは願ったが、そう甘くはあるまい。
若者の頭蓋(ずがい)の下半分が吹き飛ばされている。
口を撃たれたということだ。
反逆者は後頭部を、密告者は口を撃たれる。
敵はこの男を密告者だと考えた。
まさにおまえが仕向けたとおりだ、とアートは胸に言い聞かせる。見るがいい――おまえが意図したとおりになったのだ。
だが、わたしは想定していなかった。連中がこんなことをするとは。
【『犬の力』ドン・ウィンズロウ:東江一紀〈あがりえ・かずき〉訳(角川文庫、2009年)】
世界は主観で構成される。だから人の数だけ世界が存在する。つまり私が言いたいのはこうだ。書評は当てにならない。優れた書評本ですら鵜呑みにすると痛い目に遭う。例えば『狐の書評』で一躍有名になった山村修など。米原万里〈よねはら・まり〉すら信用ならない。ま、そんなわけで私は抜き書きを多用しているのだ。
このテキストを慎重に読み解けば本書の内容は窺える。吉川三国志の劉備玄徳を思わせる優柔不断さである。暗に良心の呵責を盛り込むことで主人公を読者の側に近づけたつもりなのだろう。私の目には単なる小心としか映らない。
一言でいえばメキシコのドラッグ・ウォー(麻薬戦争)を舞台にしたアメリカ・プロパガンダ本である。アート・ケラーはDEA(アメリカ麻薬取締局)のエージェントだ。麻薬戦争については以下のページを参照せよ。
・殺戮大陸メキシコの狂気(1)麻薬に汚染されてしまった国家(記事末尾に関連記事リンクあり)
既にメキシコのマフィアは軍隊並みの武器を保有しており、警察が手をつけられるような状態ではない。そこでエンターテイメント小説の出番となるわけだ。たぶん各所に目立たぬ真実が書かれている。大衆の位置からは現実の全体像が見えない。映像やテキストによるプロパガンダ作品の目的は「どうせ映画や小説の話」として喧伝するところにある。そして我々はフィクションであることに安心して、事実から目を逸(そ)らして日常生活に戻るのだ。
アメリカが正義の味方だと思ったら大間違いだ。かの国こそ世界で最も邪悪な国家と言い切ってよい。本書のプロパガンダを見抜くのは意外と簡単で、ジョン・パーキンス著『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』と、ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』を読むだけで十分だ。
ドン・ウィンズロウは『ストリート・キッズ』が秀作であっただけに残念だ。嘘を見抜く力を養うためには有益な作品といえよう。
・ストーリー展開と主人公の造形が雑/『流刑の街』チャック・ホーガン
2014-03-22
自由は個人から始まらなければならない/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
・努力と理想の否定
・自由は個人から始まらなければならない
・止観
質問者●あなたは、われわれインド人が独立を獲得したのだということを考慮していないように思われます。あなたによれば、真の自由とはどのような状態なのですか?
クリシュナムルティ●自由が民族(国家)主義的なものであるとき、それは孤立になるのです。そして孤立は必然的に葛藤に帰着します。
【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1994年)以下同】
本書はテーマ別シリーズの一冊で、講話の抄録+質疑応答となっていて読みやすい。期間は1948~1985年に渡っている。つまり第二次大戦後からクリシュナムルティが亡くなる前年に及ぶ。前回掲載した講話と同じく、1948年3月7日ボンベイ(現ムンバイ)にて。
インド・パキスタン分離独立が1947年8月14~15日のこと。国父ガンディーが凶弾に斃れたのが1948年1月30日であった。87年もの間、イギリスの植民地であったインドの歴史を思えば質問内容は決して的外れとはいえない。
第二次世界大戦が行われている間、クリシュナムルティは公開講話をせずに沈黙の中で過ごしている(1940年8月末~1944年5月中旬まで)。クリシュナムルティは一貫して反戦の態度を示した。だが多くの人々はそれを理解できなかった。聴衆が去っていったこともあった。
【クリシュナムルティが放つ光/『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス】
インドの国民が国家意識に目覚める中でクリシュナムルティはあっさりと国家主義を否定してみせた。
皆さんが国家という存在として自分自身を孤立させたとき、皆さんは自由を得たのでしょうか? 皆さんは搾取からの自由、階級闘争、飢餓、異宗教間の衝突からの自由、司祭、宗教的・人種的団体間の争い、指導者たちからの自由を得ましたか? 明らかに得ませんでした。皆さんはたんに白い皮膚の搾取者たちを追い出し、代わりに浅黒い――たぶん、もう少し冷酷な――搾取者たちをかれらの後釜に坐らせただけなのです。私たちはあい(ママ)変わらず以前と同じものを持ち、同じ搾取、同じ司祭、同じ組織宗教、同じ迷信、そして同じ階級闘争をかかえています。で、これらは私たちに自由を与えたでしょうか? そう、私たちは実は自由になりたくないのです。ごまかさないようにしましょう。なぜなら、自由は英知、愛を意味しており、それは搾取しないこと、権威に屈従しないこと、並外れて廉直であることを意味しているからです。先ほど言いましたように、独善は常に孤立化していく過程なのです。なぜなら、孤立と独善は相伴うからです。これに反して、廉直と自由は共存するのです。主権国家は常に孤立しており、それゆえけっして自由ではありえないのです。それは、絶えざる紛争、猜疑、敵意そして戦争の原因なのです。
何と辛辣(しんらつ)な指摘か。当時を生きる人々が理解できたとは到底思えない。それでも尚クリシュナムルティは「変わらぬ現実」を指摘し抜いた。現在、インドはIT大国となった。既に核爆弾も保有している。BRICsの一翼を担い、2026年には中国を抜いて世界一の人口となることも予想されている。だが実態はどうか? カースト制度が生む暴力が止むことはなく、強姦は頻繁に繰り返され、児童虐待は後を絶たない。
・両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ
・外交官が描いたインドの現実/『ぼくと1ルピーの神様』ヴィカス・スワラップ
クリシュナムルティがアメリカで受け入れられたのは多分ベトナム戦争が泥沼化した後のことだろう。私だってバブル景気以前であれば理解できなかったに違いない。我々は時代という波に翻弄される存在だ。聴きたいのは真実ではなく耳触りのよい言葉だ。
「そう、私たちは実は自由になりたくないのです」――頭からバケツで冷や水を掛けられた思いがする。私が求めていたのは心地よい束縛であったのだ。ソフトSM。自由には責任が伴う。そして重大な判断を自分が下さなければならない。そうであれば国家や会社や組織に乗っかった方が楽だ。これが私の本音なのだ。
そして二度に及ぶ世界大戦が宗教と教育の無力を完全に証明した(『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳)。
クリシュナムルティ:onologue - Jiddu Krishnamurti http://t.co/2J0T9CdiD6
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 22
ですから、自由は全的な過程である個人、集団に対立した存在ではない個人から始まらなければなりません。個人こそは世界の全過程であり、そしてもし彼が自分のことをたんにナショナリズムや独善のなかで孤立させれば、彼は災いと不幸の原因になるのです。が、もし個人――全過程である個人、集団に対立しておらず、集団、全体の結果である個人――が自分自身、自分の人生を変容させれば、そのとき彼にとって自由があるのです。そして彼は全過程の結果なので、彼が自分自身をナショナリズム、貪欲、搾取から解放させれば、彼は全体に対して直接作用を及ぼすのです。個人の再生は未来においてではなく、【いま】起こらなければなりません。もし自分の再生を明日に延期すれば、皆さんは混乱を招き、暗黒の波に呑まれてしまうのです。再生は明日ではなく【いま】なのです。なぜなら、理解はいまの瞬間にのみあるからです。皆さんがいま理解しないのは、自分の精神・心・全注意を、自分が理解したいと思っているものに向けないからです。もし皆さんが自分の精神・心を理解することに傾ければ、皆さんは理解力を持つことでしょう。もし自分精神・心を傾けて暴力の原因を見い出すようにし、充分にそれに気づけば、皆さんはいま非暴力的になることでしょう。が、不幸にして、皆さんは自分の精神を宗教的延期や社会道徳によってあまりにも条件づけられてきたので、皆さんはそれを直接見ることができなくなっているのです――そしてそれが私たちの困難なのです。
私が変われば世界が変わるのだ。だとすれば問題は世界ではなくして私にある。しかも修行を積んで時間をかける(「宗教的延期」)のではなくして、「今直ぐただちに変われ」というのだ。すなわち真の自由とは「今この瞬間に変わる自由」なのだ(本覚思想とは時間的有限性の打破/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ)。
「人は自由であるか自由でないかのどちらかです」(『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ)とも。つまり自由であれば変わることができ、不自由であれば変わることができない。考える余地もなければ、準備する猶予もない。つべこべ言わずに今変わる。変わった。明日、世界も変わっていることだろう。
余は極て悠久なり/『一年有半・続一年有半』中江兆民
余一日(いちじつ)堀内を訪(と)ひ、あらかじめ諱(い)むことなく明言してくれんことを請(こ)ひ、因(よつ)てこれよりいよいよ臨終(りんじゅう)に至るまではなほ幾何日月(いくばくじつげつ)あるべきを問(と)ふ。即ちこの間(あいだ)に為すべき事とまた楽むべき事とあるが故に、一日(いちじつ)たりとも多く利用せんと欲するが故に、かく問ふて今後の心得(こころえ)を為さんと思へり。堀内医(ほりうちい)は極(きわ)めて無害(むがい)の長者(ちょうじゃ)なり、、沈思(ちんし)二、三分にして極めて言ひ悪(に)くそふに曰(いわ)く、一年半、善(よ)く養生(ようじょう)すれば二年を保(ほ)すべしと。余曰く、余は高々(たかだか)五、六ケ月ならんと思ひしに、一年とは余のためには寿命(じゅみょう)の豊年(ほうねん)なりと。この書題(だい)して一年有半(ゆうはん)といふはこれがためなり。
一年半、諸君は短促(たんそく)なりといはん、余は極(きわめ)て悠久(ゆうきゆう)なりといふ。もし短(たん)といはんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。それ生時(せいじ)限りありて死後限りなし、限りあるを以て限りなきに比(ひ)す短にはあらざるなり、始(はじめ)よりなきなり。もし為(な)すありてかつ楽(たのし)むにおいては、一年半これ優(ゆう)に利用するに足らずや、ああいはゆる一年半も無なり、五十年百年も無なり、即ち我儕(わがせい)はこれ虚無海上一虚舟(きょむじょうかいじょういちきょしゅう)。
【『一年有半・続一年有半』中江兆民〈なかえ・ちょうみん〉:井田進也〈いだ・しんや〉校注(博文館、1901年/岩波文庫、1995年)
中江兆民は自由民権運動に理論的な魂を打ち込み、「東洋のルソー」と称された人物である。
現在を十全に生きようとする態度がセネカと完全に一致している(『人生の短さについて』セネカ)。「いついつまでにこれこれを成し遂げる」という生き方だと途中で死ぬことを避けられない。人生に目的があるとすれば、生そのものが二義的になってしまう。生きることそれ自体が人生の目的であり意味でありすべてである。であるならば、生を常に花の如く咲かせるべきだろう。
onologue - 中江兆民 http://t.co/jCPw4J4AFl
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 3月 22
自由民権運動について何も知らなかったので少々調べてみた。
従来の戦後歴史学では、民権派=民権論、政府=国権論として捉えられてきた。近年、高知大学教授の田村安興らの研究(※『ナショナリズムと自由民権』)によって、土佐の民権派においても国権は前提であったことが示されている。田村の研究によって、従来、自由民権運動は初期の民権論から後に国権論へ転向していったと説明されてきたことが誤りとなった。事実、板垣らは征韓論を主張したのであり、政党名も「愛国公党」であった。また植木枝盛・中江兆民なども、皇国思想や天皇親政を公的に批判したことが一度もない。その理由として、田村は自由民権運動が国学以来の系譜の延長線上にあるからとしている。
【自由民権運動→民権論と国権論:Wikipedia】
飽くまでも国民的な国家意識の芽生えにおける平等主義と見てよかろう。自由民権運動と戦前の新興宗教の結びつきが気になったのだが有益な情報を発見できず。たぶん国家主義は太平洋戦争まで続いたことだろう。すると革命意識を有したのは共産主義者のみか。
新しい理論が世の常識を変える。だがそれはまた古い常識と化し、手垢(てあか)にまみれる。社会改革はどこまで行ってもキリがない。ここにこそ宗教性の必要があるわけだが、宗教もまた組織化することで世俗化を免れない。ブッダとクリシュナムルティを思えば、正真正銘の巨人は2000年に一人しか登場しないようだ。
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