2014-04-24
『日本株スーパーサイクル投資』宮田直彦(扶桑社、2014年)
「アベノミクス相場第二幕は、2016年にやってくる!」――そう断言するのは、プロも認めるテクニカルアナリストの宮田直彦氏。エリオット波動というテクニカル分析を用い、相場を見たところ、「歴史は繰り返される」「長期的に見ると、上昇の流れにある」と言う。
日経平均は3万円へと向かっていくのが見えた――。そんな超強気相場「スーパーサイクル」に突入しつつあるのである。本誌では、過去起きた事例を歴史とともに振り返り、そして中長期の展望などを解説。さらに、宮田氏によるリアルな取引実例も紹介している。株初心者のみならず、今後の相場が気になるすべての方には必読だ。
2014-04-23
忠誠心がもたらす宗教の暗い側面/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
・進化宗教学の地平を拓いた一書
・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
・宗教と言語
・宗教の社会的側面
・普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
宗教は強固で独特な社会を作り上げるので、それぞれの文化の決定的な特徴となり、西欧キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など、偉大な文明へと発展した。
一方、宗教には行きすぎた激しい忠誠心がもたらす暗い側面もある。内部の反抗者や、正統派の妨げになると見なされた者には残忍な行動がとられる。社会は宗教の名のもとに審問をおこない、異端や魔女と見なした人々を処刑し、異神を崇める人々を拷問にかけたり、追放したりしてきた。
社会が外敵と戦うとき、宗教はほぼかならず重要な役割を担う。決まって戦争を正当化し、支持するために用いられてきたし、キリスト教とイスラム教、プロテスタントとカトリック、シーア派とスンナ派などのあいだに、多くの戦争を引き起こしてきた。ただ、そんな宗教戦争も、飢えたように生贄を求めたアステカ王国ほど残忍ではない。アステカでは毎日、ときには1回の儀式で何千という人々が生贄にされ、彼らの血が太陽神への食物として捧げられていた。
宗教とは何か。宗教は人の営為のなかでも、もっとも高潔で崇高なものを引き出しうるが、同時にもっとも残虐で卑劣なものも呼び起こす。宗教は世代から世代へと伝えられる聖なる知の集積にすぎないのだろうか。それとも、たんなる社会遺産をはるかに超えるものであり、何かを崇拝しようとする、深く根づいた本能的衝動から生まれるものなのだろうか。
【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)】
僭越ながら私が一言で述べよう。「土地の結びつきを感情的――あるいは精神的――なつながりに深めるのが宗教である」と。裏切り者を叩く――あるいは殺す――のはイニシエーション(通過儀礼)そのものである。組への忠誠を誓う暴力団構成員を見れば一目瞭然だ。
もう一歩深く考察すれば組織化と権威の問題が複雑に絡んでくることがわかる。権威については以下の書籍を必読のこと。
・脆弱な良心は良心たり得ない/『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
・http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090316/p1">服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
・父の権威、主人の権威、指導者の権威、裁判官の権威/『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
・現在をコントロールするものは過去をコントロールする/『一九八四年』ジョージ・オーウェル
自分が他人に比べてあまりものが見えず、また、あまり遠くまで見えないと納得している者は、他人によって容易に【操られる】、あるいは【導かれる】。だから、彼は可能な対抗行為を自覚的に放棄するのである。彼は他人から色々な行為を被るが、それらに反対せず、それらに抗議せず、それらを議論せず、問いを発することさえしない。彼は他人に「盲目的に」追随するのである。
【『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ:今村真介〈いまむら・しんすけ〉訳(法政大学出版局、2010年)】
いつの世も新しい時代の扉を開くのは一人の天才である。そして科学なき時代は宗教の時代であった。音楽や文学・芸術も宗教行為として機能したことだろう。また何らかの予知能力やヒーリング能力を発揮したと想像される。人々が天才に注目し、彼――あるいは彼女――の言葉に耳を傾けた時、そこに宗教が生まれた。新しい儀礼は新しい社会の誕生を象徴する。それは脳の回路の劇的な変化を示すものだ。このようにして人類の物語は更新され続けてきた。今、人類の物語は経済で止まっているように見える。
宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
posted with amazlet at 18.04.19
ニコラス・ウェイド
エヌティティ出版 (2011-04-22)
売り上げランキング: 55,882
エヌティティ出版 (2011-04-22)
売り上げランキング: 55,882
権威の概念 (叢書・ウニベルシタス)
posted with amazlet at 18.04.19
アレクサンドル・コジェーヴ
法政大学出版局
売り上げランキング: 938,275
法政大学出版局
売り上げランキング: 938,275
2014-04-22
宗教は恐怖に基いている/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
・偶然性
・イエスの道徳的性格には重大な欠点がある
・残酷極まりないキリスト教
・宗教は恐怖に基いている
宗教は本来、主として恐怖に基いているとわたしは考えます。それはある意味においては、未知のものに対する恐怖であり、またある意味では、あらゆる悩みや論争にあつて、そばから援助する兄を持つているという風に感じたい希望なのです。恐怖――神秘的なものに対する恐怖、敗北の恐怖、死の恐怖――がこのこと全体の基礎なのです。恐怖は残酷さの親です。それ故残酷さと宗教とが手に手を取つて行つたとしても不思議ではありません。なぜならば恐怖はそれら二つのものの基礎なのですから。この世のなかで、今やわれわれは、少しはものごとが解るようになり始めました。そして一歩一歩、キリスト教徒の宗教、教会、あらゆる古い教えに反対して、のしあげてきた科学の助けによつてそれらのことを、少しは支配し始めることができるようになりました。科学は人類がかくも永い間そのなかで住んできたところの気の弱い恐怖を克服するのにわれわれを助けることができます。これ以上創造的な拠り所をさがしまわることなく、これ以上、天に同盟者を造り出すことをせず、教会がこの何十世紀のあいだなしてきたような類の場所にではなくて、この世を住むに適しい場所にするため、この地上のここにおけるわれわれ自身の努力に目をむけるために、科学はわれわれを教えることができますし、われわれ自身の心も、われわれに教えることができると思います。(「なぜ私はキリスト教徒ではないか」)
【『宗教は必要か』バートランド・ラッセル:大竹勝訳(荒地出版社、1959年)】
直訳調で実に読みにくい。半世紀以上経ていることだし、そろそろ新訳が出てもいい頃合いだろう。
未知への恐怖がわかりやすい動画があるので紹介する。パプアニューギニアのある部族が初めて白人と遭遇した際のドキュメンタリー映像である。彼らの反応から色々なことを考えさせられる。我々だって火星人と遭遇すれば大差はないことだろう。時間のない人は2番目の動画を見よ。
・初めて白人と接触したパプアニューギニアの部族の反応 : カラパイア
宗教が人々の不安に付け込んでいることは誰もが知っている。この動画を見ると無知にも付け込んでいることが理解できる。白人が文明の利器を使って「私は神だ」と宣言すれば、そこに宗教が生まれたことだろう。
死者を葬るところから宗教は発生したと思われるが、天変地異に対する恐怖が宗教を不可欠なものとしたに違いない。一寸先は闇である。現代の教団はその暗さを利用して信者を獲得する。昔は動物や人間を生け贄としたが、今日では時間とカネに応じて安心が供給される。信じる者はすくわれる。足元を。
女性に向かって「俺を信じろ」というのは大抵の場合、結婚詐欺を目的としている。嘘をつく時は必ず「俺の目を見ろ」と囁く。確かに信じる行為なくして我々の生活は成り立たないが、何を信じ何を信じないかは個人の自由であって他人が強要することではない。
人は空腹を感じると食べ物を欲する。同じように不幸を感じると幸福を欲する。そして病気になると健康を欲する。食べ物は買えるが、幸福や健康は買うことができない。そこで宗教の出番となる。根拠のない希望を与えるのが彼らの仕事だ。
希望といえば聞こえはいい。それが単なる願望や欲望であったとしても。多くの宗教が行っていることは現実に目を閉ざすことだ。目をつぶれば不幸に対して不感症になることができる。
熱烈な信仰者は熱烈な共産党員と同じ表情をしている。マルチ商法で成功した連中はどこか教祖っぽい雰囲気を醸し出す。
本物の宗教的感情は恐怖から離れた位置に存在する。恐怖心は必ず依存を目指す。あらゆる不確実性を受け入れ、それを楽しむことがよりよい人生を送る秘訣であろう。特定の宗教は必要ない。
2014-04-21
残酷極まりないキリスト教/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
・偶然性
・イエスの道徳的性格には重大な欠点がある
・残酷極まりないキリスト教
・宗教は恐怖に基いている
もしわれわれがキリスト教徒の宗教につかまつていなければ、われわれみなは悪人になるというのであります。キリスト教にすがりついていたひとびとのほうが、大部分ひどく悪かつたようにわたしには見えます。いかなる時代でも宗教が強烈であればあるほど、また独断的な信仰が深ければ深いほど、それだけ残酷さは甚だしく、事態は悪化していたという、この奇妙な事実を発見なさるでしょう。いわゆる信仰の時代に、すべての完全さをもつて、ひとびとがキリスト教を実践信仰していた時代に、拷問をともなつた宗教裁判があり、魔女として焼き殺された無数の不幸な女性があ(ママ)りました。そして宗教の名において、あらゆる種類の残酷さがあらゆる種類のひとびとに行われたのであります。
世界じゆうを見渡すならば、皆さんは、人間感情のあらゆる小さな進歩も、刑法のあらゆる改正も、戦争縮小へのあらゆる歩みも、有色人種の待遇改善へのあらゆる歩みも、奴隷制度の緩和も世界におけるあらゆる道徳的進歩も、世界の組織化された教会によつて、徹頭徹尾反対されてきたことを発見なさるでありましよう。わたしは敢えて申しますが、諸教会として組織されたキリスト教徒の宗教は、世界の道徳的な進歩の主なる敵であつたし、今なおそうであります。(「なぜ私はキリスト教徒ではないか」)
【『宗教は必要か』バートランド・ラッセル:大竹勝訳(荒地出版社、1959年)】
この後ラッセルは具体例として梅毒を患う男性と結婚した女性の例を示す。カトリック教会は離婚を認めない。更には避妊をも許さないのだ。このためエイズ蔓延を助長しているという指摘が数多くある。ラッセルは「悪魔的な残酷さ」と述べる。
キリスト教は人類史上最悪の宗教といってよい。彼らが行ってきた殺戮はイスラム教の比ではない。宣教という名で思想的に侵略し、神の名のもとに大量虐殺を正当化するのだ。クリシュナムルティが繰り返し否定し続けた「組織化された宗教」(=制度宗教)も具体的にはカトリック教会を指す。
魔女狩り、奴隷制度、インディアン虐殺、帝国主義による植民地支配――これらはすべてキリスト教の歴史だ。発展途上国がいつまで経っても豊かになることができないのは、彼らが築いたシステムに起因する。
アメリカの傲慢を見よ。かの国はプロテスタント原理主義国家だ。アメリカの思い上がりを支えているのは神の存在に他ならない。彼らが説く正義は邪悪にまみれている。そして世界最大のテロ国家でもある。
ラス・カサスのような人物もいたことは確かだが、キリスト教がラス・カサスを生んだわけではなく、ラス・カサスがたまたまキリスト教徒であったというだけに過ぎない。
世界を混乱に導いているのは明らかにキリスト教とユダヤ教である。これらの宗教に鉄槌を加え、白人の目を覚まさせる思想を樹立する必要がある。インディアンの思想が理想的だが、現実的に考えるとジブリ作品で攻めるしかないように思う。キリスト教への対抗思想としてアニミズムの復興を目指すべきだ。それがブッダとクリシュナムルティを受け入れる素地となることだろう。
登録:
コメント (Atom)

